どうすれば賢者になれるか”
ラスベガス日本人教会 砂漠の地ラスベガスから乾いた心に命の水を
今日は、どうすれば賢者になれるかを考えてみました。 世界で最初のクリスマスの出来事です。聖書にこう書いてあります。
イエスがヘロデ王の代に、ユダヤのベツレヘムでお生れになったとき、見よ、東からきた博士たちがエルサレムに着いて言った、「ユダヤ人の王としてお生れになったかたは、どこにおられますか。わたしたちは東の方でその星を見たので、そのかたを拝みにきました」。(マタイ2:1-2) もしあなたが賢者になりたければ、あの東から来た三人の博士たちがした事と同じ事をすればいいのです。 彼らは真理の探求者でした。彼らは本当に真理を知りたいと願っていました。彼らは、神に関する真理を知ることを後回しにしませんでした。 彼らは何と尋ねているでしょう。「ユダヤ人の王としてお生まれになったかたは、どこにおられますか」と尋ねています。彼らはなぜこの真理に気付くことができたのでしょう。それは彼らが聖書を学んでいたからです。つまり旧約聖書にある救い主の誕生を星が知らせるというメシヤ預言を知っていたからです。 “賢者は今もなおイエスを探し求めている”という格言があります。あなたはイエス様を探し求めておられますか。賢者はイエス様を探し求めるのです。実際、真理に関して言えば、この世には、通常、二種類の人がいます。それは、真理について考えるだけの人と、真理を実際に探し求める人です。 考えるだけの人は、口では真理を知りたいと言いますが、それを学ぶための努力をしようとはしません。彼らは真理を探そうとはせず、代わりに、「私は神とはこういうものだと思う」というふうに、自分で神のイメージを作り上げてしまいます。 しかし、実際、彼らがどう考えるかは全く重要ではありません。彼らは神を、死んだ人間であったり、宇宙であったり、太陽であったり、自然であったり、動物であったり、と様々なイメージに想像します。ところが、本当に重要なのは、事実、神は誰なのかということです。
真実こそが重要なのです。 それに対し、実際に探し求める人は、真理を見つけ出すために時間を使い、あらゆる努力を惜しみません。聖書は、もし私たちが心からイエス様を探し求めるなら必ず見出すことができると教えています。ですから、イエス様を見出すことに集中するならば、必ず見出すことができるのです。真剣にイエス様を探し求める者を、神は絶対に失敗させたりはなさいません。 三人の博士たちは、真理を見出すためなら、どこまでも探しに行く気持ちを持っていました。もしあなたがそれと同じようにされるなら、あなたはイエス様を見出す賢者になるでしょう。 今日の一言:
賢者はイエスを探す人 平安鶴田牧師