祈れない私たちに――キリストの祈りから学ぶ 100パーセントきかれる祈り

聖書に出てくる用語、クリスチャンが使う用語を説明しています。 ヘブル的視点で解説されていますので、すでにクリスチャン歴が長い方にも新しい発見があるかもしれません。


金政吉
韓国オンヌリ教会 派遣宣教師

何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神はその願いを聞いてくださるということ、これこそ神に対する私たちの確信です。私たちの願う事を神が聞いてくださると知れば、神に願ったその事は、すでにかなえられたと知るのです。(Iヨハネ5・14―15)

人は誰でも心の中に願いを持ち、それがかなえられることを望んでいます。そして誰かにかなえてもらうために、人間は偶像の神々を造り、熱心な祈りをもって訴えます。それが世の宗教です。彼らは、自分の幸せや利益を求め、かなえられたら幸運だと思っています。

それでは、私たちはどうでしょうか。クリスチャンにも、「求めなさい。そうすれば与えられます」(マタイ7・7)というみことばを、何でも祈れば与えられる意味だと勘違いし、一心不乱に自分の願いを神に訴え、「長時間祈ればかなえられる」とか、「熱心に祈らないから、かなえられないのだ」とか、「○○牧師に祈ってもらったから、もう大丈夫だ」と言う人がいます。祈り自体が人の誇りや功績にもなり、かなえられない場合は、その人の重荷になってしまいます。礼拝ではもちろん、食前や寝る前など、祈ることが日常生活の中で習慣化され、神社、仏閣で祈っている人と、大して違わない方法と内容になってはいないでしょうか。どの教会でも、祈ることの大切さを強調し、もっと祈るように指導し、信徒に何とか熱心な祈りの生活をさせようと励んでいます。また長時間、熱心そうに祈り、立て板に水を流すような祈りをする人を霊的な人、立派な信仰者であるように言います。本当にそうでしょうか。

祈るためにはまず、祈りの対象者の前に出て行かなければなりません。私たちが祈る対象者は、私たち人間を造られ、霊的に生かす神です。天地万物を造られた創造主、生きておられる唯一の神です。聖なる栄光の神の御前に出て、その方と親しき交わりを持つことが祈りのはじめです。神は、私たちの主権者ですから、その方の前に出るためには、霊とまことをもって礼拝する真の礼拝者としての自覚が必要です。

イエスが、弟子たちに主の祈りを教えられた中で、真っ先に言われたことは「天にましますわれらの父よ」でした。すなわち、何をかよりも、誰にかが、大切であることを示唆しています。

また、ルカ18章9―14節には、パリサイ人と取税人の祈りのたとえがあります。自分の義を自認し、他人をさげすむパリサイ人と、胸をたたきながら神の赦しと憐れみを請う取税人。イエスは、宗教的に立派な行いをしているように見えるパリサイ人よりも、罪を告白する取税人の方を義とされました。人の心と思いを調べられる神は、祈る者の言葉を聞く前から、その人の隠れた思いを知っておられます。ですから、神の御前に出て祈る者は、何よりもまず、自分の心を低くし、謙遜な思いで祈らなければなりません。

また誰でも、生きて働かれる神の前に、みこころのままに私になさせたまえ、という信仰告白とともに、自分のからだをささげる献身が必要です。献身とは、御手に自分を委ね、みこころのままに聞き従い、生きる実践です。祈りとは、そのようにして歩む日常生活のすべてであり、みこころが自分を通して成し遂げられることを願うことなのです。

神は聖霊を通して、祈るべきことを直接に示し、導いてくださいます。ですから、真の祈りは、神が言われた通りに祈ることです。神のみこころは、神ご自身が知らせてくださることによってのみ知ることができます。被造物である人間が、いかに努力し、力と知恵をもってしても知ることはできません。「どうぞ、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願うことではなく、あなたのみこころのままを、なさってください。」(マルコ14・36)これが、イエスによる模範的なゲツセマネの祈りです。神のみこころが成るように祈ることこそ、信仰による真の祈りです。

またイエスは、何を食べるか、何を着るかなど、生活に必要なものを心配し、求めてはならないと言われました。(マタイ6・31―33)それは、異邦人が切に求めるものであり、神の子が求めるべきのものではないからです。父なる神は、願う前から、私たちが必要としているものを知っておられます。神の国とその義を求めるならば、必要なものすべては、求めなくとも、それに加えて与えられると約束しています。私たちに最も大切な永遠のいのちを与え、聖霊をくださる天の父(ルカ11・13)は惜しむことなく、時にかなって、良いものを豊かに、無条件で与えてくださいます。真の神を知らない悪い人にも太陽を上らせ、正しくない人にも雨を降らせてくださる憐れみ深い天の父が、神の子である私たちに、どうしてくださらないことがありましょうか。

祈りについて、聖書から学びながら気づくことは、私たちの祈りの生活が、いかに間違っているかです。聖書が示すとおりに祈りを正し、イエス・キリストによって与えられた特権、恵みを無駄にせず、神に喜ばれ、受け入れられる真の祈りをささげようではありませんか。

 

祈れない私たちに――キリストの祈りから学ぶ 祈れるようになる秘訣

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