連載 ふり返る祈り 第16回 自分を捨てるって?

聖書に出てくる用語、クリスチャンが使う用語を説明しています。 ヘブル的視点で解説されていますので、すでにクリスチャン歴が長い方にも新しい発見があるかもしれません。

だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。自分のいのちを救おうと思う者は、それを失い、わたしのために自分のいのちを失う者は、それを救うのです。ルカ9章23、24節

イエス様、あなたは「自分を捨て、日々自分の十字架を負い、わたしについて来なさい」とおっしゃいます。自分を捨てるとはどういうことでしょうか?せっかく育てられてきた「自分」をそんなに簡単に捨ててよいものですか? けれども主よ、自分を守ることばかりにしがみつく自分がいます。自分ばかりに思いが集中して他のものを顧みなくなった私を戒めてください。私を不自由にしている自分からお救いください。御名によって祈ります。アーメン。

私にとって自分を捨てることは大問題でした。捨ててもよい自分とは、価値がないものなのでしょうか。
日本には昔から、お上のために自らを犠牲にする滅私奉公という倫理観がありました。個よりも権威が大事でした。昔はお殿様、近代は天皇、現代になると会社や企業が、自分の身をささげる対象になっていたと考えられるでしょう。ところが世の中は変化していき、自分の身をささげるべき権威が失われてきました。そうなると、自分という個を中心とするしかありません。この世代が批判的に「わがまま世代」「自己中心世代」と呼ばれます。この世代の人たちは、自分というものに最高の価値を置きます。だから自分勝手な人が増えてきたのだ、と言う人々もいます。

けれども、自分というものにかけがえのない価値があるのは事実です。聖書は、父なる神は私たちの髪の毛の一本一本までご存じで、一人ひとりの人間を愛しておられるといいます。罪人の私でも神は愛してくださり、私たちは神の目に価値あるものなのです。けれども、価値あるものをあえて捨てよ、とイエスは言われるのです。それによって自分のいのちを得、さらに素晴らしい価値を見いだすのだとおっしゃいます。
自分を捨てるということは、一世一代の大事とはかぎりません。実際に自分の「いのち」を何かのためにささげるということは、そうあることではないでしょう。むしろ日常の中で起こることかもしれません。

私には苦い思い出があります。後になって思い返すと、自分を捨てきれなかった失敗経験です。私がまだ十八歳の夏、教会に宣教師志望の若いアメリカ人夫婦が一週間ほど滞在しました。日本の教会を巡ってさまざまな奉仕をしたのです。私たちの教会では、集会での証しやペンキ塗りなどの奉仕をしていただきました。教会は精いっぱいのおもてなしをしたのですが、私もある日の昼食を作って差し上げることになりました。私はカレーが大好きで、自分で食べるだけでなく、いろいろ工夫して自分でも料理していました。さまざまなスパイスを使って、りんごをすったり蜂蜜を入れたり、いかにおいしいカレーを作るかにこだわっていました。それで私は、夫妻のためにとびきりおいしいカレーを作りたいと思ったのです。
工夫を凝らしておいしいカレーを作ることは、悪いことではありません。むしろ価値あることです。けれども私は夫妻の健康状態のことを考慮していませんでした。季節は八月で猛暑が続く日々でした。その頃、日本の普通の家庭や教会ではまだまだエアコンはついていません。日本の蒸し暑さに慣れていないご夫妻は、あまり元気な状態ではありませんでした。特に奥様は胃腸の具合が悪いようでした。お二人は私が作ったカレーをおいしい、おいしいと食べてくれましたが、そんな体調のお二人にカレーは刺激が強すぎたようで、案の定おなかを壊してしまいました。私はまだ若かったのですが、冷静に考えれば分かったはずです。胃腸の弱っている人には、刺激の強いカレーよりもおなかに優しいスープかうどんのほうが良いはずだと。けれどもその時の私は真摯に二人のことを考えるというよりも、自分がカレーを作りたいという願望の方が強かったのです。

おいしいカレーを作るという行為は、悪いことでないばかりか価値あることです。けれども、宣教師夫妻の健康、これからの宣教活動というさらにレベルの高い価値のためには、私はカレー料理という価値あるものを捨てなければならなかったのです。そうするならば、私は本当の意味で宣教師を助けることができたでしょう。あるいは、夏バテに効くチキンスープ(?)という新たな価値あるものを見いだしたかもしれません。
私は、この失敗を思い出すたびに胸がチクチク痛みます。自分を捨てるとは、そのようなささやかな日常の出来事の中で起こることなのかもしれません。そして、日々新しい自分を見いだしていくのです。

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Emmanuel

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