特集 本との出会い 私を変えた一冊

聖書に出てくる用語、クリスチャンが使う用語を説明しています。 ヘブル的視点で解説されていますので、すでにクリスチャン歴が長い方にも新しい発見があるかもしれません。

K・Mさん

私は小さい頃から本が大好きでした。誕生日には、いつも父に欲しい本をリクエストし、プレゼントしてもらっていました。
家族、親族にはクリスチャンは一切いない環境だったのですが、そんな私が、外国のお話にその単語がのっていたのでしょうか、小学生のあるとき、突如、プレゼントに「聖書がほしい」とお願いしました。
両親は驚いて、「聖書は難しいものだから、まずは子ども向けの聖書のお話を買ってあげる、それでも読みたかったら、また聖書を買ってあげる」と言われ、そのときに、いのちのことば社の『聖書のおはなし』(一九七八年発行)という、大判のカラーの本を買ってもらいました。何度も何度も読み返し、主の祈りをメモに書いて、夜、眠る前に読んで自分流にお祈りをしたりもしていました。
教会に行き、受洗したのは大人になってからですが、この本だけは、いまだに手元に大切に持っていて、本当に出会えてよかったといえる私の宝物です。

 

絵本、そして読み語りの魅力について

『絵本の泉』著者  高原典子
最近、絵本をめぐってこんなことがありました。
知り合いのアメリカ在住の女の子エミリーちゃんが三歳の誕生日に、にんじん嫌いをママに叱られ、バースデーケーキも食べずにさっさと寝てしまったと聞いたものですから、『おおきなおおきな にんじん』(刀根里衣著、小学館)という絵本の英語版を送りました。
すると、この教訓臭のない想像力豊かなかわいい絵本を気に入ったエミリーちゃんが、食事ごとに絵本の中のいちばん小さなうさぎに自分のにんじんを食べさせ、自分も食べる真似をして、大嫌いだったにんじんとの関係が和らいできたということです。
幼児にとって、絵本は単なる読みものではなく、生活や遊びの中で、心や行動をやわらかに育むものであることを感じます。

拙著『絵本の泉』(いのちのことば社)にも書かせていただきましたが、絵本の絵をよく見るためには、文字が読める読めないにかかわらず、特に乳幼児にとって、身近な養育者や保育者の読み語り(読み聞かせ)が必要になるでしょう。
読み語りを通して、絵本を読む楽しさを体験することによって、本に対する抵抗感がなくなり、就学してからひとりで読書することが苦ではなくなるという報告もあります。
現代は、テレビやDVD、さらには、スマホやゲームなどの視聴覚機器・遊具、情報機器が発達しているために、子どもたちが動画のおもしろさに魅かれ、ページをめくらなくても、画面が流れていく流動刺激のとりこになりがちです。動画は、読むという手間がなく、あっという間に引き込まれるおもしろさがありますが、長時間視聴した場合には、依存症や脳の疲労などの影響が懸念されますし、それをどのようにセーブするかの心づかいも必要になるでしょう。
一方、絵本は、読み語りを通して子どもたちに愛情が流れ、子どもの心が満たされるというエピソードをよく聞きます。
絵本は画面が動かないだけに、子どもの要望に応えて、ページを戻したり、繰り返し読んであげたりすることもできます。その繰り返しの中で、乳幼児は言葉を獲得し、想像力が育まれ、コミュニケーション力も養われるのです。
ですから読み語りは、目には見えないプレゼントの時間であり、子どもにとって、かけがえのない心の糧を育む機会になるでしょう。
毎日でなくても、絵本をお子さんと一緒に楽しむ時間、あるいは、おとなの皆さんご自身が絵本を読むひとときは、たかが子どもの本と思えないほど豊かな味わいがあり、リフレッシュされることも多いのではないでしょうか。

私自身も絵本の恵みのメッセージに心癒やされることが多いものですから、昨年、「えほんのいずみ」(http://ehonnoizumi.com)というブログを開設致しました。
つたないブログですが、もしお時間がありましたら、ご高覧いただけると幸いです。

 

ある母親の話

ある母親の話です。彼女は夫婦関係や子育てに疲れを覚え、昔、教会学校に通っていたことを思い出し、教会に通うようになり、やがて洗礼を受けました。
彼女は、子どもたちにも福音に触れてほしいと願いましたが、教会も遠く、小学生の遊びたい盛りの子どもたちを無理やり教会に連れて行くのは難しいとも考えていました。そのことを牧師に相談したところ「旧新約全十巻の聖書物語があるので、それを与えてみては」と勧められました。そして、「まず第一巻」と買って帰ったところ、子どもたちは興味をもち、新しい巻を母親が買ってくると兄妹で先を争って読みました。
しばらくして、その一家は転居することになりました。近くに教会があったので、母親はそこの教会学校に子どもたちを連れて行きました。子どもたちにとってそこで聞く話は、すでに知っている話。「それ、知っているよ。こうなるんでしょ」と、得意気に教師たちを困らせつつ、教会学校に通うようになり、信仰をもちました。
現在、その兄妹の兄は伝道団体で働き、妹は宣教師として働いています。

The Cross Pendant

He is a cross pendant.
He is engraved with a unique Number.
He will mail it out from Jerusalem.
He will be sent to your Side.
Emmanuel

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