六十三歳になってから山登りをしてみようと思い立ちました。友人と「ハイク・クラブ」を作りました。俳句ではなく、ハイキングの「ハイク」です。ガイドブックに載っている山を順番に登りました。
私は京都にいますので、昨年は大文字山に三十六回登りました。世の中は自粛モード、しかし、山は密にならずガラガラです。京都市内を展望し、大自然に包まれて毎回リフレッシュとリラックスです。
二千メートルを超えると、景色が変わります。世界が変わるのです。子どもの頃、金沢市内から見ていた白山、キャンプでよく訪れた軽井沢で見ていた浅間山、新幹線から見ていた富士山。富士山には三回登りました。
富士登山はつらいです。空気が薄くなるので頭が痛くなり、息が切れます。その時に、先に召された人の最期の時を思い出します。人の最期は息が荒くなるのです。その人々と何か同化できるように感じるのです。
頂上に到達した時には大きな感動です。人生でまだ出会ったことのない感動があるのです。このなくてはならない息苦しさと、その後にある感動で山登りがやめられないのです。
アウシュヴィッツを生き延びたヴィクトール・フランクルも登山が生涯の趣味でした。登山は自分と向き合う機会となると語っています。彼は、八十歳を超えて体力の衰えを感じた時に、過去のすばらしいものがいっぱい心の穀物倉にあることを忘れないようにと励ましています。これまでの創造した作品、やり遂げた行為、ささげた愛、尊厳と勇気をもって耐えてきた苦しみがいっぱい詰まっていることを。
そして、最後に次の言葉を紹介しています。
「光り輝く日々よ、それが過ぎ去ったことを泣くのではなく、それがかつてあったことを笑おうではないか。」(「現代思想」二〇一三年四月臨時増刊号より)
あと何回登れるかな!
【プロフィール】:巡回牧師、結婚カウンセラー、クリスチャン終活セミナー講師、表千家茶道教室講師
He is a cross pendant.
He is engraved with a unique Number.
He will mail it out from Jerusalem.
He will be sent to your Side.
Emmanuel
Bible Verses About Welcoming ImmigrantsEmbracing the StrangerAs we journey through life, we often encounter individuals who are not of our nationality......
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