信じても苦しい人へ 神から始まる新しい「自分」 第4回 聖書は人生の参考書?

聖書に出てくる用語、クリスチャンが使う用語を説明しています。 ヘブル的視点で解説されていますので、すでにクリスチャン歴が長い方にも新しい発見があるかもしれません。

信じても苦しい人へ 神から始まる新しい「自分」

中村穣 (なかむら・じょう)
2009年、米国のウエスレー神学大学院卒業。帰国後、上野の森キリスト教会で宣教主事として奉仕。
2014年、埼玉県飯能市に移住。飯能の山キリスト教会を立ち上げる。2016年に教会カフェを始める。
現在、聖望学園で聖書を教えつつ、上野公園でホームレス伝道を続けている。

第4回 聖書は人生の参考書?

私は教会でよく、「聖書は人生をうまく生きることを教える参考書ではないので、聖書からうまく生きる方法を受け取らないように」と言います。受け取るべきものは一つだけ、神の愛です。
聖書は「神様からのラブレター」とよく言います。つまり、聖書は神様の愛を語る本であって、うまく生きる方法を教える本ではないということです。
そのことを踏まえて、今日は学生の時に感動したアッシジのフランチェスコの話を紹介します。
フランシスコ会を設立したアッシジのフランチェスコは、貧しい人たちに寄り添い、神の愛を伝えた人です。すべてを捨てて主に従う、お金には触りもしない、厳しい修行を求めて実行していましたが、彼が一番に求めていたのはただ「主にある平安」でした。
あるときフランチェスコは、弟子の一人にお願いをされて困った経験をします。「あなたのような厳しい修行ができるように、ルールを作ってください。」
彼は弟子たちが目に見えるところばかりに気を取られていて、一番大切な「主にある平安」をわかっていなかったことに心を痛めました。フランチェスコが弟子たちに伝えたかったのは、どう主に仕えるか、どう厳しい修行を乗り越えるかという方法論ではありません。一番伝えたかったのは、愛するイエス様との静かな時間、「主にある平安」でした。
ここで重要なのは、彼の厳しい修行や貧しい人に寄り添う行動は、それ自体が“目的”ではなく、「主にある平安」を見つけるための“手段”である、ということです。
「主だけがベストを知っているのに、従う私たちにどんなルールが作れるだろうか?」と弟子たちに答えます。フランチェスコは葛藤しながらも、弟子たちにルールは教えませんでした。ルールばかりに目を向けると、主にある平安を見失うからです。必要なことはただ一つ、主にある平安だけなのだと教えたかったのです。
私の大好きなオズワルド・チェンバーズも「何かをすることのほうが、主に信頼することよりもずっと易しい」と言っています。
現代に生きる私たちは、どうしても何かをしようとしてしまいますし、どうしたらうまくいくのかと考えてしまいます。しかし、フランチェスコとチェンバーズが言わんとしていることは、大切なのは主への信頼だけであって、何かをうまくすることを求めてはいけない、ということです。

私たちは聖書を読むときに、自分の人生がうまくいくための聖句を探していないでしょうか。聖書を開くとき、そこに主にある平安を探す必要があるのではないでしょうか。
困っている人がいたら助けてあげたいけれど、自分にはそんな力がない。また、嫌いな人を少しでも愛せればいいとわかっていても、自分にはそんな愛はないと、悩む時があります。そんなとき、自分で自分を見ると愛のなさに絶望します。しかし、そのときこそチャンスです。絶望を見るのではなく、愛の出発点を再確認するのです。
愛はすべて神から始まります。その愛は変わらず、いつまでも注がれる愛です。私の中に何もなくても、注がれるのです。その愛を受けるために、十字架のもとに下る信仰が必要なのです。そのとき、自分には愛があると自らを信頼している人よりも、自分には愛がないからすべての愛を神様から受け取ります、という姿勢の人のほうが、より多く愛を受け取れるのではないでしょうか。ここが信仰の出発点です。

フランチェスコは、「他の何も求めず、ただ主の愛を求めなさい」と言いました。この主の愛を体験するためだけに目的を定め、すべての手段をこの目的のためだけに講じるとき、私たちは神の愛を深く知ることができます。
私たちが神のために働くのは素晴らしいことです。しかし、それは目的ではなく、手段です。時に、私たちは神を信じきることを忘れて、神のために働こうとしてしまいます。神のための働きがうまくいっているとき、「私にはできないことがある。だからこそ、この弱い私を用いてくださることを信じきろう」と考えるのは難しいでしょう。それならなおさら、「私にできないことを神がなしてくださる」と信じるのは難しいと思います。
神のために働くことを目的とせず、主にある平安を知るための手段とできたときに、私たちは自分の力を超えて働いてくださる神と出会うことができます。神の力の驚くほどの現れを経験することでしょう。

〈参考文献〉
Bruce Davis, Ph.D, Simple Peace :The spiritual life of St. Francis of Assisi, iUniverse, 2000.
オズワルド・チェンバーズ『いと高き方のもとに 366日の黙想』いのちのことば社、1990年

 

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