スピリチュアル・ジャーニー その後 ~真の人間性の回復へのプロセス~ 第十二回 旅の中の出会いから学ぶ②

聖書に出てくる用語、クリスチャンが使う用語を説明しています。 ヘブル的視点で解説されていますので、すでにクリスチャン歴が長い方にも新しい発見があるかもしれません。

坂野慧吉(さかの・けいきち)
1941年、東京都生まれ。その後、北海道に移住。福島高校、東京大学卒業。大学生時代にクリスチャンとなり、卒業後、聖書神学舎(現・聖書宣教会)に入学。その後、キリスト者学生会(KGK)の主事を経て、1971年より浦和福音自由教会牧師。

二〇〇一年、スイスのラサでのセミナーを終えて、私は電車でイタリアに向かった。行ったことがない地をひとりで旅をするのはかなりの緊張を伴う。電車からスイスの山々を見ながら南下する。ミラノに着き、苦労しながらホテルを見つけ、チェックインをした後、部屋で一息ついた。ブレラ美術館でさまざまな絵画を見て、日曜日にはカトリック教会の礼拝に参加した。ミラノにはその当時、日本語教会はなかった。その後、フランスのリヨンで開かれた「ヨーロッパ日本人キリスト者の集い」の中で、韓国のクリスチャンが「ミラノに日本人伝道が始まりますように」という祈りの課題をあげていた。後に祈りが主によって聞かれて、ミラノでの日本語による伝道のために、内村伸之・まり子先生ご夫妻が招かれることになった。
ルーマニア
二〇〇一年の春、ヨーロッパの諸国を旅する計画を立てているとき、ふと一つのことが心に浮かんだ。その数年前に、浦和福音自由教会の集会にルーマニア人が来ていた。その人はクリステスクさんという五十歳前後の男性で、ルーマニアのブカレストからさらに北にあるプロイェシュティという町の人であった。熱心なクリスチャンで、ルーマニア語の聖書を印刷したいという希望をもって、新生運動で訓練を受けるために、日本に来ていた。しかし、仲介してくれていたルーマニア人が問題のある人で、結局短い期間で帰国せざるを得なかった。本人はルーマニア語とドイツ語しか話せないので、私は数十年前に大学で習ったドイツ語を思い出しながら会話したことを覚えている。
彼は帰国したあと、何回も英語で手紙をくれた。ご自分の子どもに翻訳してもらったのだと思う。その手紙の中で「ルーマニアに来て説教してくれ」と何回も頼んできた。しかし、私はルーマニアにわざわざ行く気になれず、返事をしなかった。ヨーロッパ諸国の旅行を考えたときに、「そう言えば、ルーマニアもヨーロッパだな」と考えたが、手紙も処分してしまったし、連絡先もわからず、あきらめていた。しかし、その翌日のこと、教会にクリステスクさんからのファックスが届いたのだ。さすがの私も「ルーマニアに行くことを神が望んでおられる」と信じざるを得なかった。ルーマニアで再会したとき、彼は「これが最後のリクエストだと祈ってファックスを送った」と分かち合ってくれた。私は、彼の信仰と祈りに神が応えられたことを知り、自分の愚かさを示された。
ルーマニアのクリステスクさんの家には十日ほど泊めていただいた。クリステスクさんの車はかなり古く、故障しがちであったが、その車でプロイェシュティの教会、ブカレストの教会だけではなく、田舎の教会もいくつか訪問して英語で説教し、それをルーマニア語に通訳していただいた。教会には、いわゆる「牧師」はおらず、訓練を受けた信徒長老、役員が交代で説教をし、洗礼と聖餐も司式していた。大きな教会は、二百人から三百人以上の人が集っていた。その後は牧師の必要性も感じて、聖書学校で牧師の訓練をするようになったことを知った。
クリステスクさんと共に、クルージュ・ナポカの川井先生を訪問し、その帰りに賛美歌作者のモルデベヌウ氏を訪ねた。彼は「聖書の詩篇にメロディーを作曲した」ということで、当時のルーマニアで権力を握っていたチャウシェスクによって投獄され、大変な迫害に遭った。モルデベヌウ氏は、神を賛美する歌詞と曲を数多く獄中で作曲した。しかし、紙もペンも与えられなかったので、自分の心と頭の中に記憶した。あるとき、看守が彼をコンクリートの床にうつぶせに寝かせ、その後頭部を靴で踏みつけた時に、自らの口から賛美が溢れたという証しをしてくださった。その時の賛美を、私たちの前で歌ってくれた。
リチャード・ウォムブラント牧師(『地下運動の声』の著者)も同時期に投獄されていた。実は以前、ウォムブラント夫妻がわが家に泊まり、浦和福音自由教会の礼拝で説教してくださったことがあった。彼は立って説教することができず、椅子に座って説教してくださった。その中で、牢獄の中でみことばの説教を「神に向かって」した、と話しておられた。聖書も紙も与えられていなかったので、自分が記憶していた聖書箇所から語り、その時の説教はすべて覚えているということであった。
ルーマニアのキリスト教の主流は、「ルーマニア正教」であるが、このグループはほとんど権力に追従していたようである。
プロイェシュティの教会は、郊外にキャンプ場をもっていて、私が滞在していたときに、「青少年キャンプ」が行われていた。私もそれに参加し、説教させていただいた。青少年たちは信仰が生き生きとしていて、みことばに対して心を開いていた。驚いたことに、キャンプの中で「ピリピ人への手紙」の全体を暗唱するという課題があり、みな一生懸命に励んでいた。
ヨーロッパのさまざまな国々の教会に接する機会が与えられたが、概して西ヨーロッパのキリスト教会の国教会は形骸化している印象があり、「自由教会」が生き生きとしていた。また東ヨーロッパの国々の福音的な教会のほうが、さまざまな迫害を受けてきたために、その試練を通して訓練を受け、信仰が生き生きとしているように感じた。
果たして日本の教会はどうだろうか。自分の信仰はこれでいいのか。伝道のスピリットが失われているのではないか、と心を探られる機会であった。

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Emmanuel

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