旧約聖書における「福音」(鎌野直人師講演会)

聖書に出てくる用語、クリスチャンが使う用語を説明しています。 ヘブル的視点で解説されていますので、すでにクリスチャン歴が長い方にも新しい発見があるかもしれません。

私が理事長を務める日本福音主義神学会中部部会では、毎年5月に外部から講師をお招きして、公開講演会を行なっています。今年度は鎌野直人先生(関西聖書神学校学監)をお迎えして、「旧約聖書における『福音』とは~イザヤ書から考える~」と題して講演をいただきました。

鎌野師はまず、旧約聖書で「福音」と訳されるヘブル語besorahそしてその動詞形basarの用法を概観することから説き起こされました。それによると、このヘブル語は「何らかの形の紛争、多くの場合には戦場における戦闘が行われている中での、その勝敗の知らせ」(名詞)とその「知らせを伝えること」(動詞)であると結論づけられます。そしてこの理解はイザヤ書における「福音」の概念を理解する上で重要な土台となるといいます。

イザヤ書において動詞basarは7回登場します(40:9[2回]、41:27、52:7[2回]、60:6、61:1)が、鎌野師はそれら7箇所をすべて吟味し、次のようにまとめられました。

イザヤ書における福音、すなわち告げ知らされるべき知らせの内容は、第一義的にシオンと契約を結ばれた神に関するものであり、その神が王としてご自身を表されたことであることがわかる。しかし、シオンと契約を結ばれた神のわざは、今、すぐのことのみならず、人々が将来起こることを待ち望むわざも含まれている。そして、この知らせが告げられるところに、喜び、いやし、解放、釈放が実現されることがわかる。したがって、厳密に定義するならば、イザヤ書における福音とは、イスラエルの神とそのわざに関するしらせであって、その中核にはイスラエルの神が王として自らを顕したことがある。さらに「福音」という知らせが告げられたとき、それを聞いた者たちの間にさまざまなものが生み出される。

鎌野師はさらにイザヤ書全体に視野を広げて、その正典的文脈の中で「福音」、特に52章7-10節で述べられている「福音」について考えていきます。

7  よきおとずれを伝え、平和を告げ、よきおとずれを伝え、救を告げ、シオンにむかって「あなたの神は王となられた」と言う者の足は山の上にあって、なんと麗しいことだろう。 8  聞けよ、あなたの見張びとは声をあげて、共に喜び歌っている。彼らは目と目と相合わせて、主がシオンに帰られるのを見るからだ。 9  エルサレムの荒れすたれた所よ、声を放って共に歌え。主はその民を慰め、エルサレムをあがなわれたからだ。 10  主はその聖なるかいなを、もろもろの国びとの前にあらわされた。地のすべての果は、われわれの神の救を見る。(イザヤ52章7-10節)

鎌野師の詳しい議論については、福音主義神学会のサイトに掲載されているレジュメを参照していただきたいと思いますが、ここではその結論部分だけを紹介します。

(1)  イザヤ書52:7-10における「よい知らせ」の背景には、主がアブラハムおよびダビデと結んだ契約がある。契約関係にある「あなたの神」として主は行動されている。

(2)  イザヤ書52:7-10における「よい知らせ」の内容は、契約関係にある神が、特に油注がれた者クロス王を用いて、慰め、贖い、救い、平和の創造をなし、民とともにシオンに帰り、自らが王であって、他にそのような存在は存在しないことを世界中に明らかにすることである。なお、「よい知らせ」の内容は、すでに事前に予告されているが、その細部において、予告されていることに変更が加えられている(たとえば、アッシリアではなくバビロンからの解放、ダビデの家の王ではなくその契約を継承した民とペルシア王クロスによる平和の創造)。

(3)  イザヤ書52:7-10における「よい知らせ」が生み出すものは、喜びである。そして、この喜びは、よい知らせを聞いた者が他の人へと伝えるように押し出し、遂には、よい知らせがシオン、イスラエル、そして地の果てへと広がっていく。

(4)  イザヤ書52:7-10における「よい知らせ」の確かさを証言する出来事はもうすでに起こっている(36~37章)。

(5)  イザヤ書52:7-10における「よい知らせ」は、24~27章で描かれている終末論的な幻の実現の期待を人々の間に生み出す。その一方で、最終的な慰めの到来は期待しているようには起こらないのも事実であるが(56~66章)、王である主はそれを起こすと約束しつづける。

*     *     *

今回の講演とその後の質疑応答を通して、私なりに重要と思えたいくつかのポイントをメモ的にまとめてみます。

●イザヤ書における「福音(良いしらせ)」を理解するためには、神がアブラハムとダビデを通してイスラエルと結ばれた契約関係を軸とするナラティヴが重要である。

●「福音の内容」(神に関する知らせ)とそれがもたらすもの(人々の救い、喜び、等々)を区別する必要がある。ここを混同してしまうと、教会が福音を世に提示しようとするときに、さまざまな問題が起こってくる(鎌野師はこの点をたいへん強調しておられました)。

●「福音の内容」である神の計画が実現していくにあたっては、神はフレキシブルに働かれる。基本的なシナリオは変わらないがプレイヤーは変わることがある。

●預言書の適用は、「予言」された内容がいかに正確に成就したかということではなく、神の民が預言者が見るような見方で世界を見るようになることによってなされる。

●この地に平和がもたらされるのは、「苦難のしもべ」を通してである。聖書の福音と勝利主義とは相容れない。

今回の公開講演会には約20名の方々が出席され、鎌野師の講演に続いた質疑応答の時間も活発な質問がなされ、充実した時間となりました。聖書の福音は新約聖書だけに語られているわけではありません。「第五の福音書」とも呼ばれるイザヤ書について、お忙しい中貴重な講演をしてくださった鎌野先生に心から感謝します。

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