神様はよく「父なる神」と呼ばれていますが、神様は男性なのですか。「母なる神」と呼んではいけないのですか。
とても重要な質問だと思います。いつものように、3つ申し上げます。
1番目に、「父なる神」というのは、比喩的言葉です。
つまり、神様を喩えて「父なる神」と呼んでいるわけです。古代中近東における父親の役割が、神の性質を表現するのに最も適している、という判断がここにあります。
父親というのは、家族全体に目を配り、家族を守り育てる役割をします。また、家族に宗教教育を施すのも、父親の役割です。ですから、神様を「父なる神」と呼ぶのです。しかし、比喩的言葉には常に限界があります。ですから、その限界を知っておかなければなりません。
「父」というのは人間です。神は人間ではありません。「父」というのは男性です。しかし、神には性別はありません。男性、女性という性別は「被造世界」の中で作られた「区別」なのです。神様は、それを超越しておられるお方です。ですから、比喩的言葉の限界を知る必要があるのです。
2番目に、聖書は神様のことを、「父親」としても「母親」としても描いています。
例えば、イザヤ書にこういうことばがあります。
「女が自分の乳飲み子を忘れようか。自分の胎の子をあわれまないだろうか。たとい、女たちが忘れても、このわたしはあなたを忘れない」(イザヤ書49:15)
このように聖書は、人間の女が子供に対して抱く想いを、神様の想いに置き換えて表現しています。
あるいは、イエス様がこう語っておられます。
「わたしは、めんどりがひなをその翼の下に集めるように、あなた方を集めようとした」(マタイの福音書23:37)
この場合は、イエス様がご自分のことを「めんどり」に喩えておられます。
このように、聖書は神様のことを父としても母としても描いているのです。
3番目に、ではなぜ「母なる神」という言葉が出てこないのか、考えてみましょう。
「母なる神」という言葉を使用した場合、問題はないのでしょうか。私は、問題があると思います。その理由は、聖書の言葉というのは、神様が選ばれた言葉だからです。ある言葉を選び、ある言葉を選んでいない。その背後には、それぞれの理由があるのです。
聖書が「母なる神」という言葉を使っていない理由は、それが「偶像礼拝」につながる恐れがあるからです。多神教の神、多産の神、豊穣の神などは、おおむね「女性の神」、つまり「女神」ですね。イスラエルで遺跡を発掘すると、偶像神が出てくることがあります。出土したカナン人の偶像神は、女性が大きな乳房を両手で抱えて、「私が豊穣の神だ」と自己主張しているように見えます。
以上のことから、聖書は神様を父としても母としても描いているけれども、私たちが神様に呼びかけるときは、「母なる神」ではなく「父なる神」という言葉を使うべきだと思います。
「だから、彼らのまねをしてはいけません。あなたがたの父なる神は、あなたがたがお願いする先に、あなたがたに必要なものを知っておられるからです。だから、こう祈りなさい。『天にいます私たちの父よ。御名があがめられますように。御国が来ますように。みこころが天で行われるように地でも行われますように』」(マタイの福音書6:8〜10)
He is a cross pendant.
He is engraved with a unique Number.
He will mail it out from Jerusalem.
He will be sent to your Side.
Emmanuel
Bible Verses About Welcoming ImmigrantsEmbracing the StrangerAs we journey through life, we often encounter individuals who are not of our nationality......
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