今年のカンファレンスの主題は「私たちはどこへ行くのかである。この主題がどのような意図から選ばれたかということについては、準備委員会が「しおりの3頁に次のような導入の文章を書いているから、先ずそれを引用したい。
「私たちの教会は最初の成長期を経て、いわゆる第2期に入ろうとしています。
私たちの生きる世界も冷戦後の10年余りを経た現在、個人・地域・文化の存在を重視するか、あるいは人材・国家・文明の有用性や支配力の増大を目指すか、という大きな問いの前に立たされているように思います。<イエスに従う>ことを願う私たちは、技術と環境・国家と教育・国際社会と平和・地域と福祉、といった大切な問題について、どのような未来を思い描くことができるのでしょうか。
この文章は、我々が常々考えていることや、青年会・ガリラヤ会・壮年会などの集まりでよく話題になっていることを、ほぼ正確に汲み上げていると思う。
第一に、この教会の問題がある。代々木上原教会は今や草創期を過ぎて、第2期に入った。いろいろな形で「世代交代が進まなければならない。我々はどのような教会の将来像を思い描いているか?その意味で、「私たちはどこへ行くのか。
第二に、冷戦後10年余りを経た世界の状況という大きな問題がある。委員会は、我々が「大きな問いの前に立たされていると言い、具体的に「技術と環境・国家と教育・国際社会と平和・地域と福祉といった諸問題を挙げた。その中で、<イエスに従う>ことを願う私たちは、世界のあるべき将来をどのように思い描き、そのために行動して行くのか?この点について率直に意見を交換し、互いに学び合いながら、より確かな将来へのヴィジョンを得ることが「カンファレンスの目標である。
さて、ここで我々は、今日のために選ばれたヨハネ福音書6章66~71節に目を向けたい。先ず、これに先立つ箇所(1節以下)を読むと、5000人の群衆にパンを分け与えるという奇跡がきっかけになって、イエスと弟子たちの間で「パンについての問答が交わされたことが分かる。その中でイエスは「命のパンについて語った。人が「永遠に生きる(58)ようになる命の源を、彼は象徴的に「パンと言ったのである。しかし、弟子たちの念頭には相変わらず「腹の足しになるパンのことしかない。イスラエル民族の先祖が荒れ野で食べたマンナ(出エジプト記16章)もその程度に理解されている。イエスと弟子たちの間のギャップは大きい。
誤解を避けるために言っておくと、むろんイエスは「腹の足しになるパンのことも大切に考えていたのである。そうでなければ、5000人への給食という奇跡も行わなかったであろう。彼は単なる「理想主義者ではない。食べるに事欠く貧しい人々の求めに誠実に応じてパンを与えようとする「現実主義者でもあった。
しかし、イエスは「人はパンだけで生きるものではない(マタイ 4,4)と言う。最も深い意味で人を生かすものは、「神の口から出る一つ一つの言葉の他にはない。これがイエスの揺るがぬ確信であった。この点、旧約の預言者たちも同じである。例えばアモスは、「神の言葉の飢饉ということを言う。「人々は海から海へと巡り、北から東へとよろめき歩いて主の言葉を探し求めるが、見出すことはできない(アモス書8,12) と言った。そのように神の言葉に飢えるとき、人は到底生きて行けないのだ。
では、「神の言葉とはどのような内容のものか?
例えば、「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである(ヨハネ3,16)という言葉。そして、「互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい(ヨハネ13,34)という新しい掟。人生が本当に生きるに値するものとなるのは、このような神の言葉が信じられる時だけだ。
だが、「腹の足しになるパンの方がずっと大事だと考えていた弟子たちは、このことを本当に理解することができなかったらしい。多くの者は、「だれが、こんな話を聞いていられようか(60)と言い放ったという。そして、「このために、弟子たちの多くが離れ去り、もはやイエスと共に歩まなくなった(66)。
僅かに12弟子だけが、イエスの傍らに残った。恐らく彼らも、「イエスについて行って果たして生活が成り立つものかと動揺していたであろう。それを見抜いたイエスは、愛を込めて、「あなたがたも離れて行きたいか(67)と問う。その時、シモン・ペトロは答える。「主よ、私たちはだれのところに行きましょうか。あなたは永遠の命の言葉を持っておられます(68)。このペトロの答えは、今回のカンファレンスでいろいろな問題を考える際に、まことに重要なヒントとなるのではないだろうか。
1980年頃、中距離核ミサイルのドイツ配備に反対してドイツの教会が大規模な平和デモに立ち上がった時、時の首相シュミットは「山上の説教は尊い教えだが、それで実際の政治を行うことは不可能だと公言した。しかし、その後の歴史を見ると、東西の対立が終わり、EUという共生の場が現実になるなど、世界は大筋でイエスの言葉の真理性を実証する方向に向かっている。
無差別にテロを行ったり、それを根絶するためと称して武力攻撃に訴えたり、気に入らない人に爆弾を仕掛けることが「当たり前の話だと言ったりする政治家たちの憎しみに満ちた言葉が今の世界には飛び交っている。これは、神の意志ではない。
主よ、私たちはだれのところに行きましょうか。あなたは永遠の命の言葉を持っておられます!ここにこそ、我々の向かうべき方向が示されているのではないか。
He is a cross pendant.
He is engraved with a unique Number.
He will mail it out from Jerusalem.
He will be sent to your Side.
Emmanuel
Bible Verses About Welcoming ImmigrantsEmbracing the StrangerAs we journey through life, we often encounter individuals who are not of our nationality......
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