命じられたこと

ここで引用される聖書の著作権は日本聖書協会に属します

「命じられたこと

 今、日本では、人件費を切りつめるために正社員の数を減らし、パートを使うところが多いという話をよく聞く。だから、労働条件はひと頃よりも厳しくなったともいう。残業が増え、その中で時々、過労死する人も出てくる。

今日の箇所は、いわば「労働条件に関する話だ。ある農場主の僕(しもべ)が一日農場で働いて帰って来た。彼はヘトヘトに疲れてお腹も空いているが、直ぐ食事を摂って休むわけには行かない。その前に、先ず主人の夕食を用意しなければならない。食事中は給仕の仕事もある。きれい好きな私は、羊を飼う仕事をしてきた僕に直ぐ料理をさせたり給仕をさせたりしたくはないが、この僕は、いくらなんでも手ぐらい洗っただろうと思いたい。羊の匂いがしみこんだ汗臭い上着も、着替えてくれれば上等だが、多分、そんな余分な上着は持ち合わせていなかったかもしれない。

余談はその位にして、要するにこの僕は、農作業専門の労働者ではなく、主人の命じることは料理・給仕といった家事に至るまで何でもこなす便利な家来だったのだろう。主人の食事に給仕し終わってから初めて夕食にありつくのである。

主人がいかにも僕をこき使っているような印象があって反発を感じるかもしれないが、当時、それはごく普通の習慣だった。だから主イエスは、「命じられたことを果たしたからといって主人は僕に感謝するだろうか」(9)と言ったのである。

この主従関係を例にとって、彼は弟子たちの生き方を教える。弟子たちにとっては神が主人なのであり、その主人から命じられた仕事をやり遂げたとき、弟子たちはそれを何か特別の手柄であるかのように誇ってはいけない。「わたしどもは取るに足りない僕です。しなければならないことをしただけです(10)と言うべきだ。

この箇所を含めて、ルカ17章1-10節の主題は、弟子集団における一人ひとりの弟子の生き方である。具体的には、見出しにあるように、「赦し、信仰、奉仕」である。それは、主イエスの生き方から、また、彼が集めた弟子集団の本質から出て来る。

そこで、この弟子集団について考えたい。主イエスが伝道を始めるとすぐ、彼に従って来た人々の中から特に12使徒を選び(6,12)、また、72人を特別に任命して、使命を与えた上で派遣した(10,1以下)という。ここから、弟子集団がかなり早い時期から形成されていたことが分かる。

しかし、主イエスは何か特別な、特権的なグループを作ることに情熱を傾けたわけではなかった。彼は何よりも先ず、この世界の現実に直接触れて、それに立ち向かおうとしたのであり、弟子にもその業に参加するように求めたのである。

主イエスはガリラヤで伝道を始め、各地を巡回して貧しい人々を助け、体や心を病む人々を癒し、苦しむ人々に「神の国が来るという福音を告げ知らせた。その中で、この世の現実をその目で見、その耳で聞き、その手で触ったに違いない。

だから、故郷ナザレに来た時、イザヤ書61章の言葉を引いてこう言ったのである。「主の霊がわたしの上におられる。貧しい人に福音を告げ知らせるために、主がわたしに油を注がれたからである。主がわたしを遣わされたのは、捕らわれている人に解放を、目の見えない人に視力の回復を告げ、圧迫されている人を自由にし、主の恵みの年を告げるためである」(ルカ4,18)と。これは、主イエスの生き方を示す決定的な言葉だ。この生き方が、弟子集団の在り方と弟子たち各自の生き方を決定する。

主イエスは、「貧しい人」が衣食住に事欠く暮らしの中で呻いている現実を見た。そして、その人たちに希望を与えるのが自分の使命であると信じた。

主イエスはまた、多くの人が「捕らわれているという現実を見た。マタイ福音書23章34節にも「わたしは預言者、知者、学者をあなたたちに遣わすが、あなたたちはその中のある者を殺し、十字架につけ、ある者を会堂で鞭打ち、町から町へと追い回して迫害するとあるように、真実な人々が高ぶった権力者によって理不尽にも苦しめられ、不当な辱めに遭うという現実がこの世にはある。洗礼者ヨハネもそうだった。このような状態から、この世は解放されなければならない。これが自分の使命である、と彼は自覚したのである。

主イエスはまた、病気や障害を持っているというだけで不当な差別を受けるという現実も見た。「圧迫されている人の苦しみも見た。この句は、元のイザヤ書では「打ち砕かれた心」(61,1)だ。彼はその人に近づき、打ち砕かれた心を包んだ。

一昨日のアメリカ大統領就任式の席上、ブッシュ大統領は、全世界に本当の民主主義なるものを教えて圧政から解放し、自由を根付かせるのがアメリカの使命であると演説した。一見、主イエスの言葉と似ている。キリスト教的な用語も多く使われた。だが、両者は全く違う。主イエスは決して剣を振り上げないが、ブッシュ大統領は自らの使命感によって「大義なき戦争」を始めた。主イエスはいと小さき人々の苦しい現実を見るが、ブッシュ大統領は、イラクにも足元の米国にもある痛ましい現実、多くの名もなき庶民の死と苦しみをちゃんと見ているだろうか。

同じことは、イスラム原理主義組織の指導者たちに対しても言わねばならない。彼らの頑固な「原理主義によってどれ程多くの人が苦しみ、殺されているか。

この現実を見て立ち向かうこと!この業に、主イエスは弟子たちを参加させるのである。彼が弟子集団を形成したのは、この救いの業に参加させるためであって、弟子集団を作ることが自己目的なのではない。今日の午後、平山先生の講演を聞くことも、世界の現実を見てそれに立ち向かうという教会の使命の一つなのである。



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