今日のイエスの言葉は、いつになく激しい。後半部分(52-53)に家族に言及した言葉があるので、もしかしたらこの個所は、家庭生活も含めて日常の人間関係に関するイエスの倫理的な教えではないかと考える人もいるかもしれない。そうだとすれば、我々がこれまでイエスについて抱いて来たイメージの正反対である。我々の心の中には、大きな混乱が起こる。
人間関係に関して言うなら、イエスは互いに愛し合うことを教えた。これは福音書の大筋に照らして明らかである。―――相手があなたに対してどんな罪を犯しても、居丈高になってその人を裁いたりせず、暴力に対して暴力で報復することをせず、こちらから先に和解の手を差し伸べなさい。神が人間を赦して下さるという事実に相応しく「七度を七十倍するまで」人を赦しなさい。
だから、イエスがことさらに争いを好んだり、仲良く暮らしている家族の中にわざわざ分裂の種を持ち込むようなことをしたとは、到底思えない。この点、アッシジのフランチェスコの祈りは、イエスの精神を忠実に反映している。
「私を、あなたの平和の器としてお用い下さい。憎しみのある所に愛を、いさかいのある所に赦しを、分裂のある所に一致を、疑惑のある所に信頼を、誤りのある所に真理を、絶望のある所に希望を、闇に光を、悲しみのある所に喜びをもたらすものとして下さい」!
今日の個所は、人間関係一般に関するイエスの教えではない。このことは、先ず確認しておきたい。
序でに言えば、家族について我々自身が持つ願望から考えてもこの言葉にはとても承服できないという思いがある。我々は常日頃、社会の厳しい嵐の中でもまれているから、せめて家族の中には「ほっとするような、暖かい愛情に満ちた雰囲気」があるように願っている。そして、この願いは正当である。イエスが「家庭の中にも厳しい対立を持ち込むべきだ」と教えたとは考えられないが、万一そうなら、それにはついて行けないと我々は感じるであろう。
だが、厄介なことに、この言葉は厳としてここにある。我々は、この言葉を避けたり、自分勝手に水増しして解釈したりせず、できるだけ正面からこれと向き合わなければならない。
「わたしが地上に平和をもたらすために来たと思うのか。そうではない。言っておくが、むしろ分裂だ」(51)。繰り返して言うが、この激しい言葉は、「人間関係一般に関する教え」ではない。
53節から見てみよう。これは元々、ミカ書 7,6に出てくる言葉である。それは本来、対立や分裂を奨励したり正当化したりする言葉ではない。来るべき終末の時に神によって厳しい審判が行われる、その厳しさは、我々の願いすら打ち砕いて家の中に対立をもたらすほどのものだ、という意味である。
これは、イエスが登場する前後のユダヤ教黙示文学に共通する考えであった。
それによれば、世界は初めに神によって造られ、そしてその歴史は漫然と同じことを繰り返しながら流れて行くというようなものではなく、神の定められた目標に向かって直線的に進み、やがてその終局に達して終末の審判が行われる。神は、世界の歴史の初めであり、そして終わりである。アルファであり、オメガである。
イエスも、初代教会のキリスト者も、この黙示文学的な考え方を受けついで、終末についての厳しい見方を保持していた。
我々の生活は、いつまでも今のままダラダラと流れて行くようなものではない。いつか終末が来る。そして神の厳しい審判が行われ、我々の人生の全体が神によって問われるであろう。
この終末論的な見方・生き方を、イエスはその全生涯を賭けて、特に十字架の死によって世界の歴史の中に持ち込んだのだ。「地上に火を投ずる」(49)とか、苦しみを意味する「洗礼」(50)とか、「分裂」(51)とかは、すべてそのことを意味している。
イエスが平和(シャローム)を宣教したことは、これまでにもしばしば述べた。だが、この平和は、「馴れ合いの平和」ではない。
聖徳太子の17条憲法に「和をもって尊しとす」という言葉には、もっと深い意味があるのかもしれないが、実際には、この言葉が長い間に「違う意見を持ち出したりすることは、和を乱すもとだ」というような日本の精神風土を作ってきたように思われる。あるいはその逆に、日本の精神風土が、あのようなスローガンを生み出したのか。今日の日本の政治・経済・教育その他における混迷はすべて、「馴れ合いの平和」を守ることを優先する所から来ているのではないか。
そして、それは何故かと言えば、終末の審判という厳しい観点が欠けているからだ、と言わざるを得ない。
今日の個所がイエスの平和と愛の宣教と矛盾するように見るのは、ひどい誤解である。この終末論的な視点がなければ、愛とか平和とか言っても、馴れ合いに終わる。
He is a cross pendant.
He is engraved with a unique Number.
He will mail it out from Jerusalem.
He will be sent to your Side.
Emmanuel
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