わが父の家には住処(すみか)おほし北九州・絆の創造の現場から 第6回 あんたもわしもおなじいのち-異人を隣人に

聖書に出てくる用語、クリスチャンが使う用語を説明しています。 ヘブル的視点で解説されていますので、すでにクリスチャン歴が長い方にも新しい発見があるかもしれません。

奥田 知志
日本バプテスト連盟 東八幡キリスト教会 牧師、NPO法人 北九州ホームレス支援機構理事長/代表

 一九八三年横浜で起こったホームレス襲撃事件は今も鮮明に覚えている。事件自体の衝撃もさることながら逮捕・補導された少年たちの供述が私たちを震撼させた。「横浜の地下街が汚いのは浮浪者がいるせいだ。俺たちは始末し、町の美化運動に協力してやったんだ。清掃してやったんだ」「なぜこんなに騒ぐんです。乞食が減って喜んでるくせに」(浮浪者も乞食も問題ある表現だがそのまま掲載した)。ホームレス襲撃事件は後を絶たない。なぜ、少年たちはこれほど情け容赦なくホームレスを襲うのか。

 「生産性のない人間が迫害を受けたり、差別されるのは当然のことだと思う」。ホームレス支援機構のホームページに書き込まれた一文である。誰が書いたのかは分からない。しかし「生産性」の有無が「勝ち組・負け組」を支配する「自己責任論社会」において多くの人々がこの言葉に怯えているのは事実だ。

 少年たちをホームレス襲撃に駆り立てているものは何か。それは「生産性があるか」という脅迫観念だと思う。「生産性の無い者は迫害されて当然」という価値観は、ホームレスに対してだけではなく、少年たちにも日常的に向けられている刃だ。彼らは自分の「生産性」の証明として、ホームレス襲撃・排除という「社会的貢献」を実行しているのではないか。大人社会は実のところホームレスがどんな形であれ街から消えることを「喜んでいる」。そのことを知っている子どもたちは「生産性の証明」としてホームレスを襲撃する。「ほめられるべきこと」と胸を張る。いや、張らざるを得ない。ホームレス襲撃は、子どもたちの歪んだ「社会参画」の結果だ。しかし彼らの予測に反して襲撃は、ホームレスのみならず加害者である子どもたちの未来を奪うこととなる。

 放蕩息子の帰郷(ルカ一五章)。父(なる神)は、息子を抱きしめ喜ぶ。息子は「私は罪を犯しました」と反省の弁を述べるが、父は聞いちゃいない。「生きていた。いなくなっていたのに見つかった」。父の喜びは、息子のいのち、存在そのものに向けられた。そこには「反省することができたかどうか」という息子の「能力―生産性」を凌駕する父のまなざしがある。子どもたちにも、ホームレス状態になった人々にも、そして自分の意義を見失いつつある人々にも、このまなざしを伝えたい。それが今日における伝道の意義である。

 少年たちは自己の存在意義を証明するためホームレスを「ゴミ」として「処分・排除」する。存在意義の証明が今日の社会的重圧であったにせよ、なぜそれほどに残忍になり得るか。ある社会学者はこう分析する。排除される人々は一種の「異人」として定義される。同じ人間とみなされない。加害側の少年たちは、ホームレス状態にある人を一種の「汚物」とみなして「掃除」する。故に彼らに罪の意識はない。これは、日本軍の南京大虐殺やナチスのユダヤ人虐殺、アメリカ軍のベトナム人殺戮などについても同様である。同じ人間ではないと認識することで良心は免責され、むしろ誇りに転化してしまう(赤坂憲雄『新編排除の現象学』参照)。ホームレスは常に「異人」とされ排斥されてきた。「異人」の排除には「社会のため」という歪んだ倫理が付きまとう。虐殺は「隣人を異人と見なす」時に起こる。テロリスト、悪の枢軸……、「異人化」の波は世界を戦争の危機に陥れている。

 しかし「異人(とされた人)を隣人とする」。それを福音という。教会の使命は異人を隣人にすること。すなわち和解である。神様からすれば、すべての人間はかけがえのない存在だ。ホームレス状態であろうが、「放蕩息子」であろうが……だ。ヨナ(旧約ヨナ書)は、神の命によりニネベに使わされる。ヨナはニネベなど滅んで当然と思っている。最初は逃亡したヨナだったが、ついにニネベに向かう。町々を巡り、悔い改めを迫る。ヨナは彼らが神の裁きを受けて滅びるに違い無いと丘からその様子を見物していた。しかし、神はニネベを滅ぼされない。食ってかかるヨナに、神は「自分はニネベの神でもある」ことを告げる。ヨナは、ニネベの人々を「異人」として捉えていた。しかし、実はヨナの神はニネベの神でもあったのだ。両者は、同じ神に創られ、同じく愛されている。ヨナは、そのことを知らされることによって、ニネベという「滅んで当然」と思っていた「異人」を隣人として発見する。神の国の門には、こんな看板が架かっている。「あんたもわしもおんなじいのち」。これは北九州ホームレス支援機構のテーマである。

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