現代にある偶像礼拝にはどんな例がある?

は、神、聖書、救い、そのほかの霊的な課題を理解することの助けとなる のを願って、それに専念し、訓練を受けたボランテイヤの奉仕者から成るミニストリーです。私たちはクリスチャンです。プロテスタント、保守主義、福音派、根本主義、そして無宗派です。私たちは、教会と相並んで、霊的なことに関しての質問の答を人々が見つける手伝いをするパラ.チャーチ.ミニストリーだと自分たちを見ています。
現代にある偶像礼拝の多くの例には一つ共通する点があり、それは自己崇拝です。現代、偶像にひれ伏す人は多くいませんが、自分という神を礼拝していて、この偶像礼拝には様々な形があります。

現代の偶像礼拝の一つめの形は物質主義です。物質主義は自尊心を確立するために新しい物を取得し続けるのです。私たちの家庭は物質主義的な物で溢れています。家を大きく建て続け、さらに多くの物をしまっておくために物置部屋や倉庫を建て、後払いで色々手に入れるのです。私たちの持っている物の多くは計画的に旧式化されるように設計されいて、やがて役に立たなくなり、しまっておくだけの物に変わり、私たちはさらに新しい物を買いに行き、同じ事を繰り返すのです。この満たされる事を知らない、最新の、最善の物を多く手に入れる事への願望は、欲しがる罪そのものです。十戒には「あなたの隣人の家を欲しがってはならない。すなわち隣人の妻、あるいは、その男奴隷、女奴隷、牛、ろば、すべてあなたの隣人のものを欲しがってはならない」(出エジプト20:7)と書いてある通りです。神は私たちが物質主義的な生活をしても満たされる事はない事を知っておられます。物質主義は私たちが神ではなく自分に注目し続けて生きるようにするサタンの罠なのです。

現代の偶像礼拝の二つめの形は高慢さと自尊心です。これは私たちの仕事での成功への執着に現れています。何百万人もの人々-男女共に-が毎週60-80時間、週末も休暇も返上して働いていて、いつでもどこでもどうすれば次の出世や昇給を受け、商談を成功させ、会社を大きくする事ができるかを考えているのです。それと同時に私たちの子供達は愛と関心を受け取る事に飢え渇いているのです。私たちは家族のために働いているのだと自分に嘘をつき、実は社会での成功を通して自尊心の確立を得ようとして、他でもない自分のためだけに働いている事を隠しているのです。これはとても愚かな事です。私たちの死んだ後には、永遠の価値がない、社会的成功や私たちの達成した事、人々からの羨望などはなんの意味もなくなります。ソロモン王が「どんなに人が知恵と知識と才能をもって労苦しても、何の労苦もしなかった者に、自分の分け前を譲らなければならない。これもまた、むなしく、非常に悪いことだ。実に、日の下で骨折ったいっさいの労苦と思い煩いは、人に何になろう。その一生は悲しみであり、その仕事には悩みがあり、その心は夜も休まらない。これもまた、むなしい。(伝道者の書2:21-23)と言っている通りです。

現代の偶像礼拝の三つめの形は自然主義と科学を通しての人類の偶像化と言えるでしょう。この世界観は私たち人類をこの世の支配者とし、私たちの自尊心を神のようなものと確立するのです。私たちは神のみことばとどのようにして神が天地を創造したかを拒み、自然主義と進化論という信じがたい学論を信じるのです。また私たちは環境保護論を硬く信じ、やがて終わりが来ると神が定めた地球を永遠に保持できると信じ込んでいます。終わりの時に神は全てを新しく変え、新しい天と新しい地を創造されます。「しかし、主の日は、盗人のようにやって来ます。その日には、天は大きな響きをたてて消えうせ、天の万象は焼けてくずれ去り、地と地のいろいろなわざは焼き尽くされます。このように、これらのものはみな、くずれ落ちるものだとすれば、あなたがたは、どれほど聖い生き方をする敬虔な人でなければならないことでしょう。そのようにして、神の日の来るのを待ち望み、その日の来るのを早めなければなりません。その日が来れば、そのために、天は燃えてくずれ、天の万象は焼け溶けてしまいます。しかし、私たちは、神の約束に従って、正義の住む新しい天と新しい地を待ち望んでいます。(IIペテロ3:10-13)。この箇所にはっきりと書いてある通り、私たちは環境を拝する事に集中するのではなく、主であり救い主である、ただ一人礼拝されるに値するキリストが再び来られるまで、聖なる生活をする事に集中するべきです。

現代の偶像礼拝の最後の、そして一番有害な形は自己の強大化を求め、他人の必要や願望を除外する傾向に現れています。この世界観はアルコール、薬物、そして食物への依存にも見られます。裕福な国々の人々はアルコール、薬物や食物をいつでも入手する事ができ、肥満、糖尿病など、生活習慣病に結びつきます。私たちの食欲やアルコール、薬物への願望の前に自制心はたやすく跳ね返されてしまい、私たちは自らの欲をコントロールする事を拒み続け、自分の人生の神となるのです。この世界観は創世記3章で、アダムとイブに向けられたサタンの「あなたがたが神のようになり…」という言葉から始まり、その日からずっと人類は神となる願望を満たすために自身を礼拝し続けているのです。

自己崇拝の中心には1ヨハネ2:16に書いてある三つの欲があります:「すべての世にあるもの、すなわち、肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢などは、御父から出たものではなく、この世から出たものだからです。」私たちが現代の偶像礼拝に打ち勝つためには、それが深刻なものであると認め、その全ての形を拒む事が必要です。偶像礼拝は神からではなく、サタンからくるものだからです。自己愛が満たしをもたらすという嘘はサタンがアダムとイブに言った最初の嘘なのです。とても悲しい事に、今日、多くの教会は自己崇拝に基づいた健康、財産と繁栄の福音を伝えています。しかし私たちは自己中心的に生活し続けても満たされる事はありません。私たちの心と体は神と隣人を愛する事に集中されるべきです。これが、イエスがマタイ22:37で、一番優れた命令が何かという質問に次のように答えた理由です:「心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。」私たちが神と人々を愛するならば、自己崇拝の入る余地はなくなるのです。

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