サタンがこの世の神であるとはどいういうことなのでしょうか(コリント人への手紙 第二 4:4)。?

「この世の神」という表現は、サタンが大多数の人々の理想や意見、目標や希望、そしてその見解に大きな影響力を持っていることを示しています。サタンの影響力は世界の哲学体系や教育、そして商業にも及びます。この世の思想、概念、思索、偽宗教はサタンの支配下にあり、彼の偽りと欺きとから発生しているのです。サタンはまた、エペソ人への手紙 2:2で「空中の権威を持つ支配者」とも呼ばれています。ヨハネの福音書 12:31では「この世を支配する者」となっています。これら、及びその他の数々の称号はサタンの能力を表わすものです。例えば、サタンが「空中の権威を持つ支配者」であると言うことは、サタンが何らかの形でこの世界とそこに住む人々を支配していることを示しています。それは、サタンが世界を完全に支配していると言うもので

ミカエルとサタンはなぜモーセの体のことで論じ合っていたのでしょうか(ユダの手紙 9)。?

ユダの手紙 9節は、聖書でそこにしか触れられていない出来事について言及しています。ミカエルは、モーセの体についてサタンと争い、論じなければなりませんでした。ただし、それがどういう内容のものであったかは記述されていません。 御使いの格闘については別の一件がダニエルによって語られています。ダニエルは幻の中で彼のもとに御使いが現れた様子を描いています。ダニエル書 8:16と9:21でガブリエルと呼ばれているこの御使いは、御使いのかしらミカエルが助けに来るまで、「ペルシヤの国の君」と呼ばれる悪霊が彼に「向かって立って」いたのだとダニエルに告げます(ダニエル書 10:13)。そこで、私たちは、御使いたちと悪霊たちが人間の魂や国々を巡って霊的な戦いをすること、そして悪霊たちが御使いたちに対抗して、御使い

さらなる御使いたちが罪を犯すことは可能でしょうか。?

テモテへの手紙 第一 5:21は私たちにこう告げています。「私は、神とキリスト・イエスと選ばれた御使いたちとの前で、あなたにおごそかに命じます。これらのことを偏見なしに守り、何事もかたよらないで行いなさい。」 選びということについてどのような見解をとるとしても、聖書には、誰が救われるかという選択において神が何らかの形で関わっていたこと、つまり、この場合には、御使いたちのうちで罪を犯さないものたちを選ぶことに神が関わっていたことが明らかにされています。神の主権による選択は、聖書中、至るところで見られます。神は、アブラハムを選んで、多くの国民の父としました(創世記 17:4-5)。神はイスラエルを選んで、神の特別な民としました(創世記 17:7)。神はマリヤを選んで、イエスの母としました(ルカの

エゼキエル書 第28章におけるツロの君主への預言は、サタンを指しているのでしょうか。?

一見すると、エゼキエル書 28:11-19における預言は人間の王に当てはまっているように見えます。ツロは、聖書中の預言による非難の中でも最もきついものをいくつか与えられています(イザヤ書 23:1-18; エレミヤ書 25:22; 27:1-11; エゼキエル書 26:1-28:19; ヨエル書 3:4-8; アモス書 1:9, 10)。ツロは近隣の諸国からの搾取によって富を築くことで知られていました。 古代の書き手たちは、ツロの町をを悪徳商人であふれる町として 言及しています。ツロは偶像崇拝と性的不品行の中心地でした。 聖書の預言者たちは、ツロを莫大な富と景勝によってもたされたその高ぶりのために非難しました。エゼキエル書 28:11-19はツロの君主の飽くことを知らない高ぶりと貪欲を叱めて

使役霊(ファミリア・スピリット)とは何でしょうか?

「ファミリア」という語は、「家庭の召使い」という意味を持つラテン語「familiaris(ファミリアリス)」から派生しており、魔術師にはその命令にいつでも従う 用意のある召使いとしての霊がついているという概念を表わしています。死人と接触しようとする人たちには通常、今日に至るまでも、彼らと交信する何らかの霊的ガイドがいます。これらが使役霊(ファミリア・スピリット)と呼ばれるものです。レビ記 19:31; 20:6, 7及び申命記 18:9-14には、「霊媒や口寄せ」が言及されており、 それらは主に忌み嫌われるものであるために、それらのものと関わりを持つことは禁じられています。霊媒とは、生きている者のために死んだ者と接触したり交信したりするとされる、連絡係としての役目を務める人のことです。現実に

神 対 サタン ― 神が全能であるのならば、なぜ神はサタンを殺さないのでしょうか。?

キリスト教徒として生きていく上で不可解なことの一つに、なぜ神はサタンが罪を犯した時にすぐにサタンを滅ぼさなかったのかということがあります。私たちには神がいつの日かサタンを火の池に投げ込んで打ち負かし、サタンはそこで永遠に昼も夜も苦しみを受けることになっていることが分かっています(ヨハネの黙示録20:10)。しかし、時に私たちは、なぜ神はまだサタンを滅ぼしてしまわれないのだろうかと思うことがあります。おそらく、私たちが神の摂理を正確に知ることは決してないのでしょうが、神のご性質について私たちに分かっていることがいくつかあります。先ず第一に、私たちは神がすべての被造物に対して絶対的主権を持っておられ、これにはサタンも含まれていることを知っています。 確かに、サタンと悪霊たちはこの世界を荒らし回っ

神はサタンを愛していますか?

いいえ、神はサタンを愛してはおられませんし、私たちもサタンを愛するべきではありません。 神は邪悪で罪深いものを愛することはできません。そしてサタンはそのようなものすべての権化なのです。彼は敵であり(ペテロの手紙 第一 5:8)、悪い者であり(マタイの福音書 6:13)、偽りの父、また人殺しであり(ヨハネの福音書 8:44)、神の民の告発者であり(ヨハネの黙示録 12:10)、誘惑者であり(テサロニケ人への手紙 第一 3:5)、高慢、邪悪、暴力的で(イザヤ書 14:12-15)、偽りに満ちた者であり(使徒の働き 13:10)、策略する者であり(エペソ人への手紙 6:11)、盗む者であり(ルカの福音書 8:12)、これ以外にも多くの邪悪なものを具現しています。彼は、実際、神が嫌われるもののすべて

聖書は悪霊の抑圧についてどのように語っているでしょうか。?

クリスチャンが悪霊にとりつかれることがないことには、有力な聖書的証拠があります。そこで問題となるのは、悪霊がクリスチャンに対してどのような影響、あるいは力を持つことができるかということです。聖書を教える人たちの多くは 、悪霊がクリスチャンに与える影響のことを「悪霊の抑圧」と呼び、ポゼッション(悪霊にとりつかれること)とは区別しています。聖書は、悪魔が信じる者たちを食い尽くそうとしており(ペテロの手紙 第一 5:8)、サタンとその手下の悪霊たちがクリスチャンに対して「策略」をめぐらせている(エペソ人への手紙 6:11)と語っています。サタンがイエスを試みたように(ルカの福音書 4:2)、悪しき勢力は罪を犯させようと私たちを誘惑し、神に従おうとする私たちの努力を妨害します。悪霊たちがこれらの攻撃

悪霊は無生物・無機物に付着することができるでしょうか?

悪霊が物理的対象(物体)に 付着し得るという概念に対しては、聖書的な裏付けが全くありません。この考えは実際のところ、アニミズム文化や魔術を行う人たちの間に見受けられるオカルト信仰や迷信的慣習の一環なのです。使徒の働き 19:19には、以前に魔術を行っていた者たちが魔術に関する書物を焼き捨てたことが記されていますが、中には、そのような聖書箇所が、物体が悪霊を宿すことができるのを証明していると言う人たちがいます。 しかし、その聖句はそう言っているのではありません。これらの 新しい信者たちは、おそらく、偽りが広まるのを防ぎ、自分たちが今やイエスを信じる者であることを示すために、彼らの持っていた魔術の書物を焼き捨てていたのであろうと思われます。聖書には、信じていない人たちに悪霊がとり憑いたり、苦しみ

悪魔・サタンは人格のある存在でしょうか、それとも悪の力、すなわち悪を擬人化したものでしょうか。?

多くの人々が、サタンは存在しないのだとサタンによって信じ込まされていますが、サタンは紛れもなく実在するのであり、人格のある存在であり、すべての不信仰と世にあるあらゆる類の道徳的および霊的な悪の源なのです。彼は聖書の中で、サタン(意味「敵対者」-ヨブ記1:6; ローマ人への手紙 16:20)、悪魔(すなわち「中傷する者」-マタイの福音書 4:1; ペテロの手紙 第一 5:8)、ルシファー(イザヤ書 14:12)、蛇(コリント人への手紙 第二 11:3; ヨハネの黙示録 12:9)を含め、他にも多くの様々な名で呼ばれています。人格的存在としてのサタンの存在は、主イエス・キリストがサタンをそのような存在として認識したという事実によって証明されます。 イエスは、しばしば彼のことを名前で言及し(例 ル

クリスチャンには御使いたちに命じる権威があるでしょうか。?

人々は今日、「天使論」と呼ばれる御使いに関する研究や、御使いという概念に強く興味をそそられています。宝飾品やクリスマスの飾りから映画やテレビ番組にいたるまで、天使を描写したものはあらゆるところに見られます。多くのクリスチャンが、自分たちには御使いたちに命じて命令に従わせる権威があると信じているかたわら、自分たちはイエスの名において御使いたちに(そして悪霊たちでさえにも)命じることができると信じている人たちもいます。 聖書には、人間が、彼ら自身の名においてでも、イエスの名においてでも、 御使いたちに命令することのできた実例は全くなく、人間が御使いたちの働きを支配している聖書箇所もありません。私たちには彼らが私たちよりも高い階級の存在であることが分かっています。イエスが人として生まれて苦しむため

今日の世に、悪霊のはたらきはあるのでしょうか。?

幽霊、心霊現象、降霊会、タロットカード、ウィジャボード、水晶玉。これらのものに共通しているものは何でしょう。それらのものが多くの人々の興味をそそるのは、それらが私たちの物理的存在の限界を超えた未知の世界への洞察を与えてくれるように思われるからです。そして、大ぜいの人たちにとって、そのようなものは無害で罪のないもののように見えるのです。非聖書的な観点からこれらの題材に取り組む人たちの多くは、幽霊とは何らかの理由で「次の段階」へと移っていない死者の霊であると信じています。幽霊存在を信じる人たちによると、心霊現象には次の三種類のものがあります。 (1)地縛霊(ビデオ再生にたとえられ、実際に霊と交流することは全くない)。(2)良い性質と悪い(が、邪悪ではない)性質の交じり合った人間の霊による心霊現象

キリスト教悪霊論とは何ですか。?

悪霊論は悪霊に関する研究で、キリスト教悪霊論は、悪霊についての聖書の教えを研究するものです。キリスト教悪霊論は天使論に密接に関連しており、悪霊たちについて、彼らが何者であり、彼らがどのように私たちを攻撃するかといったことを教えてくれます。サタンとその手下の悪霊たちは堕落した御使いたちなのであり、神と聖なる御使いたちと人類に対して戦いを仕掛ける、現実に人格を持った存在です。キリスト教悪霊論は、私たちがサタンとその手先のものたちや、彼らの悪しき陰謀を把握するための手助けをしてくれます。それでは、キリスト教悪霊論における重要な論点を以下にいくつかとりあげることにします。聖書は悪霊たちに関してどのように述べているでしょうか。聖書には、悪霊たちは堕落した御使いたちであると示されています。それはサタンと

御使いたちは今日でも人々の前に現れるのでしょうか。?

聖書の中では、御使いたちは予想のつかない様々な方法で人々の前に現れています。 聖書を何気なく読むと、御使いたちの出現がある程度ありふれたものであったように思えるかもしれませんが、それは事実ではありません。今日では、天使への関心が高まってきており、 天使の出現が頻繁に報告されています。天使はほぼすべての宗教においてその一要素を成しており、通常、連絡係という共通の役割を担っているようです。今日でも御使いが出現するかどうかを決定するために、私たちはまず、その古代における出現について聖書的な見解を得なければなりません。聖書の中で、最初に御使いが出現するのは創世記3:24で、アダムとイブがエデンの園から追放されたときのことです。神は炎の剣で入り口をふさぐために、ケルビムを置かれました。その次に御使いが

御使いはどんな姿をしているのでしょうか?

御使いたちは霊の存在ですから(ヘブル人への手紙1:14)、本質的な物理的形状はありません。しかし、御使いたちには人間の姿で現れる能力が備わっています。聖書の中で御使いたちが人間の前に現れた時には、彼らは普通の男性のような姿をしていました。創世記18:1-19では、神と二人の御使いが男性として現れて、実際にアブラハムとともに食事をしています御使いたちは聖書の初めから終わりまで、幾度も男性として現れていますが(ヨシュア記5:13-14; マルコの福音書16:5)、女性の似姿では一度も現れていません。他の場合には、御使いたちは人間としてではなく、何か別世界に属するものとして現れており、その容姿は彼らに遭遇した者たちにとって非常に恐ろしいものでした。しばしば、これらの御使いたちがまず初めに口にしたこ

神はなぜ堕落した御使いたちに悔い改める機会を与えないのでしょうか。?

聖書は、堕落した御使いたちに悔い改める機会があるかという問題については特に言及していませんが、聖書に書かれていることからいくつかの洞察を得ることはできます。先ず第一に、サタン(ルシファー)は階級の高い御使いたちの一人、おそらくは最高位にあった御使いでした(エゼキエル書28:14)。ルシファーも含めて、すべての御使いたちは絶えず神の御前にいたのであり、神の栄光を知っていました。ですから、彼らには、神に反抗して神に背を向けることに対する弁解の余地はありませんでした。彼らは誘惑されたわけではなかったのです。ルシファーと他の御使いたちが、彼らの知識をよそに神に反抗したことは、悪の極みだったのです。第二に、神は、人間のためにしてくださったようには、御使いたちのためには救いの計画を与えられませんでした。

天使学とは何ですか。?

天使学とは天使(御使い)に関する研究分野です。今日では、天使に関する非聖書的な見解が数多くあります。天使のことを死んでしまった人間たちだと信じている人たちもいれば、 非人間的な力の源だと信じている人たちもいます。さらには、天使の存在を完全に否定する人たちもいます。天使学を聖書に従って理解すれば、これらの誤った考えは正されます。 天使学は聖書が御使いに関してどう述べているかを教えてくれるもので、御使いたちがいかに人類と関わり、神の目的に仕えているかを研究するものです。以下に天使学における重要な点をいくつかあげておきます。御使いたちについて聖書には何と書かれているでしょうか。御使いは人間とは全く異なる種類の存在です。人間がその死後に御使いになることはありません。御使いもまた人間になることはなく、

メフィリムとは何ものですか?

ネフィリム(「堕落した者、巨人」)は、創世記6:1-4にある神の子らと人の娘たちの性関係によって生まれました。神の子ら」が誰であるかについては、いろいろな議論がなされています。私たちは、「神の子ら」は堕天使(悪霊)で、彼らが人間の女性と結婚したのか、あるいは、悪霊にとりつかれた人間の男性が人間の女性と結婚したものと考えています。これらの結婚が「昔の勇士であり、名のある者たち」(創世記6:4)であるネフィリムという子孫を産み出しました。なぜ悪霊がそのようなことをするのでしょうか?聖書は特に答えを出してはいません。悪霊は、邪悪で曲がった存在です。悪霊が何をしても不思議はありません。明らかな動機としては、悪霊たちがメシヤであるイエス・キリストの来臨を妨げるために人間の血筋を汚そうとしたというのが最

天使(御使い)の人形や置き物を所有することはいけないことでしょうか。?

天使の人形や置き物それ自体には、全く問題はありません。個人がそれらの天使の人形や置き物をどう見るかによって、その良し悪しが決定します。天使の人形や置き物が問題となる原因はただ一つ、人がそれらを偶像化したり、それらのものに向かって祈ったり、それらを崇めたりすることで、これは神によって禁じられています(サムエル記 第一 12:21)。私たちは、天使や、天使の置き物を崇めたりはしません。神のみが崇拝にふさわしいのであり(詩篇99:5;ルカの福音書4:8)、私たちは神のみに全き信頼を置くべきであるからです(詩篇9:10)。聖書は宗教的な像を非常に強く否定しています。これを受けて、天使の人形や置き物であれ、イエスを画いた絵であれ、キリスト降誕の場面を再現した模型であれ、そういった像が障害や罠にならない

死の天使は存在しますか。?

死の天使」という概念は複数の宗教に存在します。「死の天使」は、ユダヤ教ではサマエル、サリエル、またはアズラエルとして、イスラム教ではマラク・アルモートとして、ヒンズー教では ヤマ、あるいはヤマラージャとして知られており、また大衆小説では死神として知られています。様々な神話において、死の天使は マントをまとい釜を手にした骸骨姿をしたものから、美しい女性の姿や幼い子どもの姿をとるものまで、色々な姿で想像されています。細部に違いはあるものの、その中心にある考えは、人が死ぬ瞬間に現れる存在があり、実際に死をもたらすにせよ、単に死を観察するのみにせよ、それは人の魂を死者のすまいへと連れて行く目的を持っているというものです。この「死の天使」という概念は、聖書の中では教えられていません。死をつかさどったり

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