私たちには守護天使がいるのですか?

マタイ18:10にはこう書いてあります。「あなたがたは、この小さい者たちを、ひとりでも見下げたりしないように気をつけなさい。まことにあなたがたに告げます。彼らの天の御使いたちは、天におられるわたしの父の御顔をいつも見ているからです。」この文脈の中では、「この小さい者たち」というのは、キリストを信じる人々(6節)にも、小さな子どもたち(3-5節)にも当てはまる、ととることができます。守護天使に関する箇所としては、これがカギとなる箇所です。良い天使が信者を守るのを助けること(ダニエル6:20-23、II列王記6:13-17)、情報を明らかにすること(使徒行伝7:52-53、ルカ1:11-20)、導くこと(マタイ1:20-21、使徒行伝8:26)、必要を備えること(創世記21:17-20、I列王記

どのようにして、なぜ、そしていつサタンは天から落ちたのですか?

サタンが天から落ちたことは、イザヤ14:12-14とエゼキエル8:12-18に象徴的に説明されています。これらのふたつの箇所は、特にバビロンとツロの王たちを指していますが、これらの王たちの背後にある霊的な力、言い換えれば、サタンをも指しています。Tこれらの箇所にはなぜサタンが落ちたのかが説明されていますが、その堕落がいつ起きたかについては特にかかれていません。私たちに分かっていることは、次のことです。天使たちは、地球の前に創造されたこと(ヨブ38:4-7)。サタンは、アダムとエバを園で誘惑する前に堕落したこと(創世記3:1-14)。ですから、サタンの堕落は、天使たちが創造されてからサタンがアダムとエバをエデンの園で誘惑する前までの間に起こったはずです。サタンの堕落が、サタンがアダムとエバを園

今日のクリスチャンは、悪魔祓いをすることができますか?

悪魔祓い(悪霊が人から出て行くように命令すること)は、福音書と使徒行伝の中でいろいろな人によって行われました。弟子たちはキリストの指導によって(マタイ)、ほかの人々はキリストの名前を使って(マルコ9:38)、パリサイ人の子どもたちが(ルカ11:18-19)、パウロが(使徒行伝16章)そして特定の悪魔祓いの専門家たちが(使徒行伝19:11-16)悪魔祓いを行っています。イエスの弟子たちが悪魔祓いをしたのは、キリストが悪霊の上に支配権を持っておられることを示し(ルカ10:17)、また、弟子たちがキリストの御名のもとに、キリストの権威によって行動していることを明確にするためだったようです。同時にこのことが、彼らの信仰、または不信仰を示しました(マタイ17:14-21)。明らかに、悪霊を追い出すとい

悪霊は、堕天使ですか?

神がいつ天使を創造されたかについては、議論の余地がありますが、確かに分かっていることは、神はすべてのものを良いものとして造られたということです。なぜなら、聖なる方である神は、何か罪深いものを創造することはできないからです。ですから、一度は天使ルシファーであったサタンが神に反逆して天から落ちたとき(イザヤ14章、エゼキエル28章)天の軍勢の三分の一がサタンに従いました(黙示録12:3-4、9)。これらの堕天使が現在悪霊として知られていることに疑いの余地はありません。マタイ25:41によって、地獄が悪魔とその使いのために準備された場所であることは分かっています。「それから、王はまた、その左にいる者たちに言います。『のろわれた者ども。わたしから離れて、悪魔とその使いたちのために用意された永遠の火に

ケルビムって、何ですか?ケルブは天使ですか?

ケルビム、またはケルブは神を礼拝すること、神をたたえることに携わる天使のような存在です。ケルビムが聖書で最初に出てくるのは、創世記3:24です。「こうして、神は人を追放して、いのちの木への道を守るために、エデンの園の東に、ケルビムと輪を描いて回る炎の剣を置かれた。」反逆する前、サタンはケルブでした(エゼキエル28:12-15)。天幕と神殿とその中に置かれている物には、たくさんのケルビムの姿が含まれています(出エジプト記25:17-22、26:1、31、36:8、I列王記6:23-35、7:29-36、8:6-7、I歴代誌28:18、II歴代誌3:7-14、5:7-8、へブル9:5)。エゼキエル書の1章と10章では、「四つの生きもの」(エゼキエル1:5)はケルビムと同じだと説明しています(エゼ

セラフィムとは何ですか?セラフは天使ですか?

セラフィム(炎のような、燃えているもの)は、天使のような存在で、神がイザヤを預言のミニストリーに召されたときに預言者イザヤの見た神殿にいる神の幻と関わっています(イザヤ6:1-7)。イザヤ6:2-4には、次のように記録されています。「セラフィムがその上に立っていた。彼らはそれぞれ六つの翼があり、おのおのその二つで顔をおおい、二つで両足をおおい、二つで飛んでおり、互いに呼びかわして言っていた。『聖なる、聖なる、聖なる、万軍の主。その栄光は全地に満つ。』その叫ぶ者の声のために、敷居の基はゆるぎ、宮は煙で満たされた。」セラフィムは、絶え間なく神を礼拝する天使たちです。聖書の中で特にセラフィムのことが言われている箇所は、イザヤ6章だけです。それぞれのセラフには六つの翼がありました。その二つで飛び、二

大天使とは何ですか?

「大天使」ということばは、聖書の中で2箇所だけにしか出てきません。Iテサロニケ4:16は「主は、号令と、御使いのかしら(訳注:英語ではarchangel、つまり大天使)の声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。それから、キリストにある死者が、まず初めによみがえり、・・・」と声を大にして語ります。ユダ9節は「御使いのかしらミカエルは、モーセのからだについて、悪魔と論じ、言い争ったとき、あえて相手をののしり、さばくようなことはせず、『主があなたを戒めてくださるように』と言いました」と宣言しています。「アークエンジェル(大天使)」ということばは、ギリシャ語の「天使のかしら」という意味のことばから来ています。ほかの天使たちの指導者と見える天使を指しています。ユダ9節では、定冠詞

私たちは死んだあと天使になるのですか?

天使は神に造られた被造物で(コロサイ1:15-17)人間とはまったく違うものです。彼らは神のご計画を実行し、キリストに従う者に仕えるための、神の特別代理人です(へブル1:13-14)。天使が以前は人間やそのほかのものだったという記述はありません。彼らは天使として造られたのです。キリストが来られて人類のために提供された贖いを、天使たちは必要としないし、体験することもできません。Iペテロには、天使たちが福音をはっきり見たいと願っていると書かれていますが、彼らはそれを体験することはないのです。もしも彼らが以前は人間だったのなら、自分たちもそれを体験しているので、救いの概念は彼らにとって神秘ではないはずです。確かに、罪人がキリストに立ち返るとき彼らには喜びがわき起こります(ルカ15:10)。しかし、

主の御使いとは誰ですか?

聖書の中には、「主の御使い」の厳密な正体は書かれていません。しかしながら、たくさんの重要な「手がかり」はあります。旧約聖書と新約聖書に「主の御使いたち」「(多くの中の)ひとりの主の御使い」そして「(定冠詞のついた)主の御使い」が出てきます。定冠詞の「the」が使われる場合、それはほかの天使たちとは違う、固有の存在を意味しているようです。主の御使いは、神のように語り、自分を神と同一視し、神の責任を果たします(創世記16:7-12、21:17-18.22:11-18、出エジプト記3:2、士師記2:1-4、5:23、6:11-24、13:3-22、IIサムエル24:16、ザカリヤ1:12、3:1、12:8)。これらの主の御使いの現われのうちのいくつかでは、現われを見た者たちが「主を見た」ので、自分

天使は男性ですか?女性ですか?

T聖書は必ずしも天使が男性か女性かという考えを支持してはいません。聖書の中で天使に性別が「割り当てられる」ときにはいつでも、男性です(創世記19:10-12、黙示録7:2、8:3、10:7)。しかしながら、必ずしもこれは天使が男性であるということを示してはいません。マタイ22:30では、天使たちには「性生活がない」、性別がないことを示しているようです。「復活の時には、人はめとることも、とつぐこともなく、天の御使いたちのようです。」もし天使が子孫を作らないなら、性別は必要がありません。少なくとも人間の性別のような意味での性別は必要ないのです。同様に、神はご自身を示すときにいつでも男性的な言語を使われますが、神は男性でもなく、女性でもありません。神がご自身について語られるときに、男性的な言語を使

創世記6章1-4節に出てくる神の子らと人の娘たちとは誰のことですか?

創世記6章1-4節には、こう書いてあります。「さて、人が地上に増え始め、彼らに娘たちが生まれたとき、神の子らは人の娘たちがいかにも美しいのを見て、その中から好きな者を選んで、自分達の妻とした。そこで主は、『わたしの霊は、永久には人のうちにとどまらないであろう。それは人が肉に過ぎないからだ。それで、人の齢は、百二十年にしよう。』と仰せられた。神の子らが人の娘たちのところに入り、彼らに子供ができた頃、またその後にも、ネフィリムが地上にいた。これらは昔の勇士であり、名のある者たちであった。」これまでに、この神の子らとは誰だったのか、人の娘達との間にできた子供たちがなぜ巨人の人種(ネフィリムということばは巨人を指しているようですから)に育ったのかということについて、いくつか提案がされてきました。神の

なぜ神はサタンと悪霊たちが罪を犯す余地を与えられたのですか?

天使にも、人類にも、神は選択を与えられました。聖書にはサタンと堕天使たちの反逆について多くの詳細が書かれてはいませんが、天使の中でおそらく一番偉大であった(エゼキエル28:12-18)サタンが、高ぶって自分自身の神となろうとして神に反逆することを選んだようです。サタン(ルシファー:日本語訳では暁の子)は神を礼拝し神に従うことを嫌いました。自分自身が神になりたかったのです(イザヤ14:12-14)。黙示録12:4は、天使の三分の一がサタンの反逆にくみし、堕天使、つまり悪霊になったという比喩的な説明であると理解されます。人類と違って、天使がサタンに従うか神に忠実でい続けるかの選択は永遠の選択でした。聖書には、堕落した天使たちが悔い改めて赦されるというチャンスは提供されていません。また、もっと多く

聖書は悪霊つき/悪霊に取り付かれることについて何と言っていますか?今日でもそれは起こりますか?もしそうなら、その症状はどのようなものですか?

聖書はいくつか悪霊に取り付かれた、または悪霊に影響を受けた人々の例をあげています。これらの例から、悪霊に尽かれた人の症状や悪霊の影響を受けた人の症状、それと悪霊がどのように人に取り付くかについて洞察することができます。以下は、そのいくつかの聖書の箇所です。マタイ9章32-33節 ;12章22節;17章18節;マルコ5章1-20節;7章26-30節;ルカ4章33-36節;ルカ22章3節;使徒伝16章16-18節 これらの箇所のいくつかでは、悪霊につかれた人に肉体的な障害を及ぼします。つまり、口が利けない、ひきつけ、眼が見えないなどの症状です。他の例では、ユダがその例のように、人に悪いことを行わせます。使徒伝16章16-18節では、明らかに、奴隷の少女に彼女が自分で学んで得たのではない能力を与え

クリスチャンが悪霊に憑かれることがありますか?

聖書は特に、クリスチャンが悪霊に憑かれることがあるかないか言ってはいません。しかし、クリスチャンには聖霊にが宿っているので、(ローマ8章9-11節;第1コリント3章16節;6章19節)聖霊が内在している人のうちに悪霊が宿るのを聖霊が許されるとは思えません。 もちろんこのことが議論の多い問題だとは認識します。 しかしながら、私達は、クリスチャンが悪霊に憑かれることはありえないと強く信じます。悪霊に憑かれることと、悪霊に圧迫感を与えられる/影響を受けるということにははっきりした違いがあると信じます。悪霊憑きはその人の考え、行動を悪霊が直接支配しているのですが、(ルカ4章33-35節;8章27-33節;マタイ17章14-18節)悪霊の圧迫/影響 を受けている人は、霊的攻撃を悪霊から受ける/罪になる

聖書は御使いについて何と言っていますか?

御使いとは、人格を持った霊的存在です。彼らは知性、感情、意志を持っています。良いエンジェル(御使い)にも悪いエンジェル(悪霊)についても同じことが言えます。御使いは知性を持っており、(マタイ8章29節;第2コリント11章3節;第1ペテロ1章12節)感情を表し、(ルカ2章13節;ヤコブ2章19節;黙示録12章19節)そして、意志を持っていることを現しています。(ルカ8章28-31節;第2テモテ2章26節;ユダ6節) 御使いは霊的な存在、(へブル1章14節)本当の肉体を持たない霊的存在です。 彼らがからだを持たないという事実があるからと言って、彼らが人格を持つ者であることに何の問題もありません。(神がからだがなくても人格のあるお方であるのと同じように) エンジェルは創造されたものであるので、彼ら

聖書は悪霊について何と言っていますか?

黙示録12章9節は、悪霊が何者か最もはっきり教える聖書箇所です。「こうして、この巨大な竜、すなわち、悪魔とか、サタンとか呼ばれて、全世界を惑わす、あの古い蛇は投げ落とされた。彼は地上に投げ落とされ、彼の使いどもも彼と共に投げ落とされた。」 聖書は悪霊は堕落した使い(エンジェル)だと示しています。サタンと共に神に反逆した使いたちのことです。サタンが天から落とされるところがイザヤ14章12-15節;エゼキエル28章12-15節に描いてあります。 黙示録12章4節を見ると、サタンは罪を犯したとき、三分の一のみ使いを一緒に連れて行ったようです。ユダ6節では、罪を犯した使いたちのことを言っています。 だから、悪霊たちとは、サタンに従って、神に対して罪を犯した 使いだと言えるでしょう。今では、サタンとそ

サタンとは誰ですか?

サタンについての人々の考えは、馬鹿らしいものから抽象的なものと非常に広い領域に渡っています。つまり、あなたの肩にとまって、罪をするようにささやく赤い服を着た、つのを持った小さな人物から、人格化した悪の表現というわけです。しかし、聖書は、サタンが誰で、どのように私たちの生活に影響を及ぼすか、明確に描いています。 簡単に言うと、聖書は、サタンは御使いとして造られたものなのに、罪のせいで、天の座から堕落し、今ではまったく神に反対し、全力を尽くして、人類のための神のご計画をじゃましようとしている者と定義しています。サタンは聖なるみ使いとして創造されました。イザヤ書14章12節は、サタンが堕落する前の名前として、ルシファー(暁の子、明けの明星)を挙げています。エゼキエル28章12-14節では、サタンは

バビロンの大淫婦/神秘のバビロンとは誰、または何ですか?

黙示録に出てくるヨハネのまぼろしの一部には、"神秘のバビロン、またはバビロンの大淫婦″という象徴的な存在の描写が含まれています。黙示録17:1-2はまぼろしを述べています。「また、七つの鉢を持つ七人のみ使いのひとりが来て、私に話してこう言った。『ここに来なさい。大水の上に座っている大淫婦への裁きを見せましょう。地の王たちは、この女と不品行を行い、地に住む人々も、この女の不品行のぶどう酒に酔ったのです。』」Revelation 黙示録17:5は、この女の名前を教えます。「その額には、意味の秘められた名が書かれていた。すなわち、『すべての淫婦と地の憎むべきものとの母、大バビロン』という名であった。」黙示録17:3によると、幻の中の娼婦は七つの頭と十本の角を持った緋色の獣にすわっています。「その獣

聖書の預言は、終わりの時が来る前に、第三世界戦争があると予言していますか?

将来、世界戦争があることには疑いありません。エゼキエルはゴグとマゴグの戦いについて予言しています。それは艱難時代の直前か、または艱難時代の真ん中あたりに起こります。。(エゼキエル38-39章)キリストは再臨の前に戦争が起こると教えられました。(マタイ24:4-31)ある人たちは、4-14節でキリストは一般的に教会時代のこと、それから15-31節で艱難時代(その時代の中間あたりから始まる)のことを言われたのだと信じます。他の人たちは、この箇所で7年間の艱難時代のことだけを言われているのだと言います。 4-14節は、まさに一般的なことを言われているように思えますが、 その叙述は艱難時代の始まりを詳しく述べている黙示録6:1-8と平行しています。マタイ24:6-7は、「戦争や戦争のうわさを聞く、、

終わりの時の神聖でない三位一体とは何ですか?

サタンのふつうの策略は、自分を神のように見せるために、神のものを真似したり, 偽物を作ることです。一般に〝神聖でない三位一体"と呼ばれるのは黙示録12,13章に叙述されていますが、その第一の例です。 聖なる三位一体は、父、御子(イエスキリスト)聖霊で成り立っています。神聖でない三位一体は、サタン、反キリスト、偽預言者で成り立っています。聖なる三位一体が、無限の真理と愛と良さという特徴がある一方、神聖でない三位一体はそれと全く反対の特徴、惑わし、憎しみ、本当の悪を表現しています。黙示録12と13章には、7年間の艱難時代の後半に関係した主な出来事や人物を述べた預言的箇所が含まれています。サタンは黙示録12:3で、「大きな赤い竜である。七つの頭と十本の角とを持ち、その頭には七つの冠をかぶっていた。

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