どのようにしたら幸福な結婚をして離婚を避けられますか(4)-間違いを認める人か確認する
日本人の結婚は、三組に一組は離婚に終わると言われています。その原因で多いのは、性格の不一致であると言われています。このシリーズの(3)で、性格の不一致の原因となる"小さなことで怒る”という点を取り上げました。他に、離婚につながりかねない特質として、間違いを絶対に認めないという点が挙げられます。
(1)間違いを認める謙遜さを持っているか確認する
その人は、間違いを認める謙遜さや円熟性を持っているでしょうか。その人は、自分の間違いを認めて謝ったことがありますか。また、自分は間違いをすることもある人間であることを認めていますか。多くの場合、若ければ、自分に落ち度があることを認識しない場合が多いです。
(2)人はなぜ自分の間違いを認めるべきなのか
ある男性は、「自分は全く正しい。間違いはしない。」と言いました。聖書は「『自分には罪がない』と述べるなら,わたしたちは自分を惑わしているのであり,真理はわたしたちのうちにありません。」と述べています。(ヨハネ第一1:8)自分の罪や失敗、間違いを認めない人は、真理に調和していない人なのです。
聖書は、「一人の人を通して罪が世に入り,罪を通して死が入り,こうして死が,すべての人が罪をおかしたがゆえにすべての人に広がった」と述べています。(ローマ5:12)人類は「一人の人」アダムの子孫であり、皆アダムから罪や不完全な傾向を受け継いでいるために、倫理的な間違いをしない人はいないのです。
私たちは、皆自分を正直に振り返れば、法律に反していたり、神の律法や自分の良心に反する行いや間違った判断をしたことが何かしら必ずあるものです。自分は、間違いをしない人間だとは決して言えません。
反対に、何人もの人を殺害するという犯罪を犯した同性愛者は、「自分は正しい。完全だ。」と言ったそうです。ですから、聖書が非としている殺人や同性愛をしている同性愛者が、そのように言います。 聖書は、「人の前には廉直な道であっても,後にその終わりが死の道となるものがある。」と述べています。(箴言14:12)
その同性愛者は、聖書から全く離反しているために、自分が正しいかどうかを判断する基準が自分であったので、そもそも殺人や同性愛やその他の悪行を悪い事だと考えていなかったでしょう。自分の行動を邪魔する人を殺害するのは正しい事だと考えたのでしょう。自分を判断する基準が自分にある人は、何をしても、「自分は正しい。完全だ。」と言う事ができるでしょう。
聖書が述べることは、そもそも人間が正しいか正しくないか判断する基準は、神にあるということです。人間は、自分が正しいか間違っているかを正しく判断できません。神は「善悪の知識の木」の実はご自分のものだと言われました。(創世記2:17)サタンが言ったのは、人間は神のように「善悪を知る」ことができるということです。(創世記3:5)つまり、人間は神のように善悪を判断できるとサタンは言いました。サタンが言ったことは間違っていました。
結局、創造者で永遠に生きておられるのはエホバ神なので、物事の全体、被造物に関する知識に基づいて、人間にとって最善のこと、善悪を判断できるのはエホバ神だけなのです。ソロモン王は神に忠実だった時、神に従順な心を持っていて初めて善悪をわきまえ知ることができると言いました。(列王第一3:9)
人間には、神により良心が与えられているので、ある程度は、その判断ができますが、良心だけをその判断の導きにすると間違った決定や判断や行いをすることになります。限られた人間の知識で判断すると、間違った判断をしてしまいます。(箴言14:12)その正しい判断基準は、創造者なる神エホバとそのみ言葉聖書にあるというのが聖書の主張です。
聖書は、神に対して毎日、罪を許してくださいと頼むことが勧められています。(ルカ11:4)私たちは、神に罪を犯すことを避けられませんが、神との関係で求められることは、ある面、対人関係とも共通点があり、対人関係でも求められることです。私たちは、自分の失敗を配偶者や家族に謝る必要が生じることを避けられません。それは頻繁に生じます。
(3)自分を正直に客観的に見る理性的な目がないと改善がない
家族生活をなごやかなものとしていくためには、自分を客観的に見ることのできる理性的な目を持つ大人であることが必要です。自分が決して間違いをしない人間だと考えている人は一緒に生活するのが難しくなります。しかし、決して間違いをしない人はこの世に存在しないのです。
何をしても自分は正しいと考えていると、自分を改善していくことがありません。他の人は、その人のわがままな態度を恒久的に我慢していかなければなりません。日常生活では、間違いを認めて謝罪する謙遜さがなければ一緒に暮らすのが難しくなります。
(4)日常生活で謝罪がなぜ必要なのか
日常生活の中では、「ごめんなさい」や「すみません」の一言がないとストレスが高まるという場面が何度もあります。しかし、人は、日常生活の小さなことだけでなく、非常に大きな間違いをすることもあります。
ある父親は、娘に、「自分の人生は後悔だらけだ。」と語りました。その男性は、社会的には、医師として成功し誉れも与えられていましたが、自分の私生活を客観的に見る眼を持っていたのです。その男性は、若い時には、家族にお酒を飲んで暴力を振るうこともありましたが、年をとって、丸くなりました。そのような間違いを認める謙遜さがあったので、その男性には失敗が多々ありましたが、彼の娘は父親に敬意を払えると感じていました。
また、ある母親は、自分の子供が大人になってから、その子が幼い時から、自分が与えていた冷たい仕打ちの理由を話して謝りました。その子は、母親の冷たい仕打ちによって作られていた心の中の氷が溶けていくのを感じました。ですから、人は、対人関係でも、大きなことでも、自分が悪かったことをはっきり認めると、悪い仕打ちをされた人は、その人を許す気になります。
しかし、その謝罪がなかったら、一緒に生活するのが難しいと感じるでしょう。ですから、当然、夫婦の間でも、自分の間違いを認めて謝罪をするという謙遜さがあると、難しい問題があっても、共に何とか生活していくことができます。
(5)自分より弱い人に思いやりを示すか
また、女性は、身体的に感情的に「弱い器」であると聖書は述べています。(ペテロ第一3:7)その人は自分より弱い者に対して、思いやりを示す人ですか。それとも、有能であることだけを評価する人ですか。妻の立場になると、夫が自分より弱い妻や子供に思いやりを示すかどうかは家族生活を送る上で大切な点となります。
もし、父親が妻や子供に有能であることや完ぺきであることを求めてその弱さに思いやりを示さないなら、妻は夫と大変暮らしにくいと感じるでしょう。昔、十二人もの子供がいたイスラエル人のヤコブは、旅をしていた時に、子供が「かよわい」と言って、子供の歩みに合わせてゆっくり歩くと言いました。(創世記33:13,14)
聖書は、強い者がその強さのゆえに誇るのではなく、弱い者をフォローするようにと述べています。「わたしたち強い者は,強くない者の弱いところを担うべきであって,自分を喜ばせていてはなりません。」(ローマ15:1)さらに、「あなた方は・・・思いやりを示し合い・・・謙遜な思いを抱きなさい」と勧めています。(ペテロ第一3:8)ですから、聖書は謙遜であることや思いやりを示すことを勧めています。
仏教徒や、神道信者、無神論者の場合、そもそも罪の概念がないかもしれません。すると、自分が間違っていたことを反省するという考え方をしないかもしれません。
以上のように、自分の間違いを認めて謝罪をする人であるかどうか、思いやりを示す人であるかどうかは、結婚生活を続けていく上でも、大切なポイントです。そういう特質があるかどうかで、結婚生活を続けていくかどうかの気持ちが影響を受けます。
家族生活で何らかの難しい問題があることは避けられませんが、そうした特質があると乗り越えていけます。何とか、忍耐していけます。それは、結婚している夫婦の双方に求められる特質です。結婚する前に、そうした特質があるかどうかをよく確認しておくことが必要です。
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