-
- 肉とはなんの事?
スコットランドの牧師であったジョン・ノックス(1510-1572)はスコットランドの宗教改革の指導者でもありスコットランドの長老教会の創始者であるとされています。ノックスは現代の神学者から神への情熱と聖書の真実を聖い生活とを熱心に求めた人物として尊敬されています。しかし彼は人生の終わりの方に自らの、アダムから受け継いだ罪の性質(ローマ5:12)との戦いを認め、「私は苦しみの中での肉と霊との戦いが、特にこの世での死が近づく際にどれほど激しい物であるか、そして肉が発し続ける不満についてを知っています。」と言いました。ノックスの言葉は個人的に自らの罪との戦いについて書き記した使徒パウロの物と非常に似ています:「私たちは、律法が霊的なものであることを知っています。しかし、私は罪ある人間であり、売られ
-
- 心とは何?
最初に言っておきますが、この記事は人間の内臓である心臓についてではありませんし、哲学的文学的、またはロマンチックな定義をつける物でもありません。この記事が重点を置くのは聖書に心についてなんと書いてあるかです。聖書には心について大体300回書かれていて、聖書で心は人間の霊的な、感情や願望がある部分として書かれています。人間の心について書く前に、神も感情や願望はあるので、神にも心があると言っておきましょう。私たちに心があるのは神に心があるからです。ダビデは神の「心にかなった者」(使徒13:22)でした。神は御自身の心にかなった指導者を持つ民を祝福されます(Iサムエル2:35; エレミヤ3:15)。人間の心はエレミヤ17:9に「人の心は何よりも陰険で、それは直らない。だれが、それを知ることができよ
-
- 霊的に死ぬとはどういう事?
霊的な死とは神から離れるという事です。アダムが創世記3章で罪を犯した際、人類に死が入り込みました。神がアダムとイブに与えた命令は善悪の知識の木の実を食べてはいけないという命令でした。その命令に背くと死が結果としてついてくるという警告もありました:「神である主は人に命じて仰せられた。『あなたは、園のどの木からでも思いのまま食べてよい。しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるとき、あなたは必ず死ぬ』」(創世記2:16-17)。この「あなたは必ず死ぬ」という警告は「あなたは死んで死ぬ」と直訳する事ができます。この文法は死という状態が霊的な死に始まり、生涯を通し、徐々に肉体的に死ぬという事を指しています。その場ですぐに起こった霊的死はアダムが神から離れた事で起こっていま
-
- 神がカインに与えたしるし(創世記4:15)とは何?
カインが弟のアベルを殺害したあと、神はカインに「今や、あなたはその土地にのろわれている。その土地は口を開いてあなたの手から、あなたの弟の血を受けた。それで、あなたがその土地を耕しても、土地はもはや、あなたのためにその力を生じない。あなたは地上をさまよい歩くさすらい人となるのだ」(創世記4:11-12)。と言われました。その言葉を受けてカインは「私の咎は、大きすぎて、にないきれません。ああ、あなたはきょう私をこの土地から追い出されたので、私はあなたの御顔から隠れ、地上をさまよい歩くさすらい人とならなければなりません。それで、私に出会う者はだれでも、私を殺すでしょう」(4:13-14)。と申しあげたのです。それを受けた神は「それだから、だれでもカインを殺す者は、七倍の復讐を受ける。」と言い、そこ
-
- 神の民とは誰の事と指しているの?
「神の民」という言葉はある関係を明確に表す物です。神は創世記12章でアブラム(後のアブラハム)に住んでいた地を去り、神が導く地へと向かうようにと命じました。神はその地で、創世記12:2に書いてあるように、アブラハムに「わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。あなたの名は祝福となる。」と約束したのです。この国民が後のイスラエルとなり、最初に神の民と呼ばれた人々です。神は預言者イザヤを通して「わたしは、あなたのことばをあなたの口に置き、わたしの手の陰にあなたをかばい、天を引き延べ、地の基を定め、『あなたはわたしの民だ』とシオンに言う」(イザヤ51:16)と言われました。神はエゼキエル38:14でもイスラエルをご自分の民であると隣国のゴグに対する預言の中
-
- 人間のたましいとは何?
人間のたましいについて聖書にはあまりはっきり書かれていません。しかし「たましい」と訳されている単語を勉強してみるとその性質が少し分かってきます。簡単に言うとたましいとは実体のない人間の一部です。これは人間の肉体が腐敗した後も永遠に存在し続ける部分です。創世記35:18にラケルの死が記録されていますが、「彼女が死に臨み、そのたましいが離れ去ろうとするとき、彼女はその子の名をベン・オニと呼んだ。しかし、その子の父はベニヤミンと名づけた。」と書いてあります。この箇所からたましいは肉体とは異なった、肉体の死後にも存在し続けるという事がわかります。人間のたましいは人の人格の中心になってくる物です。CSルイスは「あなたはたましいを持っているのではなく、あなたは身体を持っているたましいなのです」と言ってい
-
- 人間の霊とはなんの事?
人間の霊とは実体はなくとも人間の存在の一部です。聖書には人間の霊は、神が天地を創造された際にアダムに吹き込まれた全能の神の息吹です。「神である主は土地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。そこで人は生きものとなった。」(創世記2:7)。この霊が人間に意識を与え、また、完全ではなくとも、神に似た存在としているのです。人間の霊は私たちに意識、感情、情熱、そして創造性を与えています。この霊こそが私たちに理解力を与えているのです(ヨブ32:8, 18)。「霊」と「息吹」は同じヘブル単語ルアクとギリシャ単語のプニューマの訳です。これらの単語には「強風や霊感」などという意味があります。またネシャマという単語には人類に力を与える命の源です(ヨブ33:4)。目には見えない、実体がない霊が人間
-
- キリスト者は遺伝子工学についてどう考えるべき?
遺伝子工学は聖書の書かれた時代にはありませんでしたから、遺伝子工学について決定的な結論を出す事は容易ではありません。遺伝子工学についての聖書的な見解を見極めるには聖書的に遺伝子工学について考えるために必要な教えをいくつか考えて置く必要があります。クローン学についての聖書的見解は「キリスト教的な見解はなに?」という記事を見て下さい。遺伝子工学についての最大の懸念材料は、遺伝子工学が、人間の身体や他の被造物を治める責任を与えられた人類に与える自由の程度の大きさです。聖書に明確に書かれているのは、私たちはそれぞれ自らの体の健康の世話をする責任が与えられているという事です。箴言には人の健康をいやす事について書かれています(箴言12:18)。使徒パウロも人が身体を養う事について書いています(エペソ5:
-
- 人間の本性とは何?聖書には人間の本性についてなんと書いてあるの?
人間の本性とは人間を人間とする物であり、それは獣や他の被造物と異なり、私たち人間は理性や感性をもっています。人間以外にこれらの能力を持っている存在はありませんし、これらの能力が神からの賜物である事は明確です。私たちの理性は私たちが自らの本性や神のご性質について考え、神の被造物に対する御心を知る事を可能にしています。他の被造物に理性はありません。聖書には神が人を神のかたちに創造されたと書いてあります。それは神が私たちに御自身についての理解といくらかご自分と同じ性質を与えて下さったという事です。私たち人間の本性は神のご性質を少しながら表しています。私たちはが愛するのは神が愛だからです(Iヨハネ4:16)。私たちは神のかたちに創造されているから私たちはあわれみを持ち、誠実で、正直で、親切で、寛容で
-
- 良心とは?
良心とは人間の精神に存在する、善行をなし悪行を避ける心のことです。これを無視するならば人は良心の咎め、または罪悪感を感じます。ギリシャ語で良心と訳されている言葉はスネイデイシスという単語であり、これは「道徳意識」という意味があります。ですから、人の行動、言動、または考えが善、または悪の基準に照らし合わせられるという形で良心は働くのです。旧約聖書にはスネイデイシスに相当するヘブル語の単語は載っていません。これはユダヤ人の、個人的ではなく、社会的な世界観に関係すると考えられていています。ヘブル人は自分を一個人として見るよりは、神との契約を受けた、神と神の律法に対する責任を持ったを社会の一員として見ていました。簡単に言うと、ヘブル人はイスラエルの民全体が神との良い関係を持っているならば自分の神の前
-
- 堕落はどのように人類に影響を及ぼしたの?
「そういうわけで、ちょうどひとりの人によって罪が世界に入り、罪によって死が入り、こうして死が全人類に広がったのと同様に、―それというのも全人類が罪を犯したからです。」(ローマ5:12)。堕落の影響は多大な物で、罪は私たちの存在の全てに、地上での生活にも、永遠を過ごす場所にも影響を与えました。堕落が及ぼした最初の影響は人類が神から切り離されるという物でした。エデンの園でアダムとエバは神との完全な交わりを持っていました。しかし彼らが神に背いた時にその交わりは壊れてしまいました。彼らは自分達の罪を知り、神の前に恥を覚え、神から隠れ(創世記3:8-10)、それから人類は神から隠れ続けてきました。キリストを通してのみこの壊れた関係は修復される事が出来ます。それはキリストを通して私たちは罪を犯す前のアダ
-
- いのちの息とは何?
神の天地創造のわざのクライマックスは人類の創造です「神である主は土地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。そこで人は生きものとなった」(創世記2:7)。天地創造の神は人類を創造した際に二つの行動をなされました。まず、人を地のちりから創り出し、次にその鼻にいのちの息を吹き込まれました。これが人類を他の被造物とは異なった存在としたのです。上の箇所には人の創造について重要な事実が三つ書かれています。一つ目は神が人を創造したという事で、人が他の生物から進化したとか、宇宙の神秘的力が人を創ったとかは書かれていないという事です。人のDNAの全ての細胞も原子の一つ一つも、人の体を形作っている全ての部分が人を創ったのではなく、それらも含め、神が人を創ったのです。「形造る」と訳されているヘブル
-
- 人の魂はどのようにして創造されたのですか?
人の魂の創造について、聖書的にもそれらしい論が二つあります。霊魂伝遣説というのは、魂は肉の両親から肉体と共に造られるという説です。この説を支えるのは、以下にあります。A) 創世記2章7節に、神がアダムにいのちの息を吹き込み、それで、人は「生きもの」となったとあります。聖書のどこにも神が同じことをされたという記事は出てきません。B)アダムは彼に似た、彼のかたちどおりの子を生んだとあります。(創世記5章3節). アダムの子孫は、神が息を吹き込まなくとも「生きもの」でした。 (C) 創世記2章2-3節は、神が創造のわざを停止されたと示しているようです。 (D)アダムの罪は、肉体的にも霊的にもすべての人間に影響を及ぼしました。もし、肉体も魂も両親から受け継ぐのならこれは当然です。 霊魂伝遣説の弱点は
-
- なぜ世界中に反ユダヤ主義が広まっているの?
なぜユダヤ人達は世界中で憎まれ、差別を受けているのでしょうか?なぜ反ユダヤ主義は諸国に広まっているのでしょうか?ユダヤ人達の何がその理由となっているのでしょう?世界史を見てみると、過去1700年の間、ユダヤ人達は80もの国から追放を度々受けてきました。これらの追放について、歴史学者達は下の、最低六つの理由があるとしています。●人種説-ユダヤ人が憎まれているのは彼らが劣った人種だからである。●経済説-ユダヤ人が憎まれているのは彼らが経済的に豊かで力を持っているからである。●排他説-ユダヤ人が憎まれているのは彼らが他の人々とは違うからである。●身代わり説-ユダヤ人が憎まれているのは彼らが世界中の問題の種だからである。●神殺しの説-ユダヤ人が憎まれているのは彼らがイエスキリストを殺したからである。
-
- 人は神なしで生きることが出来ますか?
数世紀に渡って無神論者や不可知論者が主張してきたのとは反対に、人間は神なしに生きることは出来ません。神を認めなくてもこの世の人生を送ることはできますが、神に関する事実なしには生きられません。 創造者として、神は人間の命を始めさせました。人は神なしに存在できると言うことは、腕時計が時計を作る人なしに存在できる、または、物語が語る人なしに存在できると言うようなものです。私たちが、神の形に造られて存在するのは、創造してくださった神のおかげなのです。(創世記1章27節)私たちが神の存在を認めようが認めまいが、私たちの存在は神にかかっているのです。維持するお方として、神はいのちを授け続けておられます。(詩篇104編10-32節) 神はいのちであり(ヨハネ14章6節)、キリストの力によって万物は成立って
-
- 神はなぜ私たちを造られたのですか?
「神はなぜ私たちを造られたか」という質問に対して、短い答えは、神のみこころのゆえにということになります。黙示録4章11節は、「主よ。われらの神よ。あなたは、栄光と誉れと力とを受けるにふさわしい方です。あなたは万物を創造し、あなたのみこころのゆえに、万物は存在し、また創造されたのですから。」コロサイ1章16節はこのことを言い換えて、「万物は御子によって造られ、御子のために造られた」と言っています。神の楽しみのために人間が造られたからと言って、 人間が神を楽しませたり、娯楽を与えたりするという意味ではありません。神は創造的なお方です。創造することが神には楽しいのです。 神は人格を持った方ですから、本当に親しい関係を持つことのできる人格を持ったものと一緒にいるのを喜びとされるのです。 人間は神の形
-
- 私たちが恐ろしいほど、奇しく造られたとはどういう意味ですか?(詩篇‘139編14節)
詩篇139篇14篇は、「私は感謝します。あなたは私に奇しいことをなさって、恐ろしいほどです。私の魂はそれをよく知っています。」と宣言しています。この節の前後関係は、私たちの肉体が信じがたいほどすばらしくできているということを語っています。人体は、世界中で最も複雑で特別な生物です。その複雑性と特殊さは創造主の頭脳がいかに大きいものか語っています。 人体のそれぞれすべての面が、顕微鏡的に最小の細胞に至るまで、体がいかに恐ろしいほど、奇しくできているか現しています。技師は、頑丈でかつ軽量な梁をデザインするためには、外側に硬い素材を使って、内側をより軽く弱い素材で満たすことだとよく理解しています。こうするのは、曲がったり、圧力がかかったりするとき、建物の外面に最も大きな圧力がかかるからです。人間の骨
-
- すべての人には神のかたちをした空洞があるのですか?
「神のかたちをした空洞」という考えは、すべての人が魂/霊的いのちの中に神だけが埋めることのできる空洞があるということです。「神のかたちの空洞」とは、生来人の心が何か自分以外の、自分を超越したものを慕っていることを言います。伝道者の書3章11節で、神は「人の心に永遠」を与えられたと言っています。神は人間をご自分の永遠の目的を持って造られました。神だけが私たちの永遠への願いを満たすことができるのです。すべての宗教は、神と結びつきを持ちたいという 生来の願いを基盤にして成立っています。この願いは神によってのみ満足されます。それで、その願いは「神のかたちの空洞」のようなものと言えます。 しかしながら、問題は、人間がこの空洞を無視するか、または、神以外のもので埋めようとすることです。 エレミヤ17章
-
- 人間の魂は不滅なもの、それとも滅亡するものなのでしょうか?
人の魂は確かに不滅です。このことは、旧約でも新約でも。多くの聖書箇所で明らかに見ることができます。詩篇22章26節;23章6節;49章7-9節;伝道者12章7節;ダニエル12章2-3節;マタイ25章46節;第1コリント15章12-19節などです。ダニエル12章2節は、「地のちりの中に眠っている者のうち、多くの者が目を覚ます。ある者は永遠のいのちに、ある者はそしりと永遠の忌みに。」と言っています。同じようにイエスご自身も、悪い人たちについて、「こうしてこの人たちは永遠の刑罰に入り、正しい人たちは永遠のいのちに入るのです。」(マタイ25章46節)と言われました。“刑罰”と“いのち”を言及することばは、ギリシャ語では同じことばが使用されていて、悪者にも正しい者にも永遠/不滅の魂があるということを明
-
- 私たちはみな神の子供?それともクリスチャンだけが神の子供なのでしょうか?
すべての人が神に創造されたものだと聖書では明確に言っています。(コロサイ1章16節)そして、神は全世界を愛しておられると言っています。(ヨハネ3章16)けれども、新しく生まれたものだけが神の子供だとも言っています(ヨハネ1章12節;11章52節;ローマ8章16節;第1ヨハネ3章1-10節)聖書では、失われた者(未信者)のことを神の子どもとは一度も呼んでいません。エペソ2章3節は、私たちが救われる前には、「生まれながら、御怒りを受けるべき子らでした。」と言っています。 ローマ9章8節によると、「すなわち、肉の子どもがそのまま神の子どもではなく、約束の子どもが子孫とみなされるのです」とあります。 神の子どもとして生まれてくる代わりに、私たちは罪のうちに生まれ、それで、神から離れ、サタンに加担する
- The Cross Pendant
He is a cross pendant.
He is engraved with a unique Number.
He will mail it out from Jerusalem.
He will be sent to your Side.
Emmanuel
Bible Verses About Welcoming ImmigrantsEmbracing the StrangerAs we journey through life, we often encounter individuals who are not of our nationality......