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- 裏切り
⇒「裏切り」廣石 望イザヤ書24,17-23; I キリスト教会の暦で、今週は受難週に当たります。今日の日曜日は、イエスのエルサレム入城にちなんで「棕櫚の主日」と呼ばれます。そして金曜日がキリストが十字架にかけられた受苦日。来週日曜日は復活祭主日です。 受難節ら復活節への転換は、春の訪れを告げるこの季節にあって、悲しみから喜びへの転換です。いつものような喜ばしい春であるなら、どんなによかったことでしょう。しかし今年は、大震災に伴うあまりに大きな悲嘆のために、喜びを探すのが容易でありません。それでも桜の花は咲いています。テレビで、大津波で廃墟と化した陸前高田の町を見下ろす高台にある、神社の境内のようすが放映されていました。桜の花の下で、生き残った方たちが太鼓を打ち鳴らし、町の復興を誓って酒を酌
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- ひとりではない
⇒「ひとりではない」村椿 嘉信ゼカリヤ書10,8-12; テキスト(旧約):ゼカリヤ書10章8-12節わたしは彼らを贖い、口笛を吹いて集める。彼らはかつてのように再び多くなる。わたしは彼らを諸国の間にまき散らしたが、遠い国にあっても彼らはわたしに心を留め、その子らと共に生き続け、帰って来る。わたしは彼らをエジプトの地から帰らせ、アッシリアから呼び集め、ギレアドとレバノンの地に来させる。それらも彼らには十分ではないだろう。彼らは苦しみの海を通って進み、波立つ海を打つ。ナイルの深みはすべて干上がり、アッシリアの高ぶりは引き降ろされ、エジプトの王笏は失われる。わたしは主にあって彼らに力を与える。彼らは御名において歩み続けると主は言われる。テキスト(新約):ヨハネによる福音16章31-33節イエスは
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- 先立ち行く主
⇒「先立ち行く主」 わたしが苦難の中を歩いているときにも/敵の怒りに遭っているときにも/わたしに命を得させてください。御手を遣わし、右の御手でお救いください。 主はわたしのために/すべてを成し遂げてくださいます。主よ、あなたの慈しみが/とこしえにありますように。御手の業をどうか放さないでください。テキスト(新約):ヨハネによる福音書20,24-29十二人の一人でディディモと呼ばれるトマスは、イエスが来られたとき、彼らと一緒にいなかった。そこで、ほかの弟子たちが、「わたしたちは主を見た」と言うと、トマスは言った。「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をそのわき腹に入れてみなければ、わたしは決して信じない。」さて八日の後、弟子たちはまた家の中におり、トマスも一緒に
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- よい実を結ぶ
⇒「よい実を結ぶ」村椿 嘉信エレミヤ書17,5-8; テキスト(旧約):エレミヤ書17,5-8主はこう言われる。呪われよ、人間に信頼し、肉なる者を頼みとしその心が主を離れ去っている人は。彼は荒れ地の裸の木。恵みの雨を見ることなく人の住めない不毛の地炎暑の荒れ野を住まいとする。祝福されよ、主に信頼する人は。主がその人のよりどころとなられる。テキスト(新約):マタイによる福音書 7,15-20「偽預言者を警戒しなさい。彼らは羊の皮を身にまとってあなたがたのところに来るが、その内側は貪欲な狼である。 あなたがたは、その実で彼らを見分ける。茨からぶどうが、あざみからいちじくが採れるだろうか。 すべて良い木は良い実を結び、悪い木は悪い実を結ぶ。 良い木が悪い実を結ぶことはなく、また、悪い木が良い実を結
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- 他者への愛
⇒「他者への愛」あなたを愛することと、隣人を愛することは、異なるふたつのことではなく、ひとつのことです。隣人を愛することと、私たちがあなたの与えられたものを生かして歩むことは、異なるふたつのことではなく、ひとつのことです。しかし私たちは、別々のことと捕らえ、どちらを優先するべきかを自分の考えで決めようとします。そしてどちらもほどほどにすればいいと考えることがあります。どうか私たちがあなたに仕えていく道を歩むことができますように。そのあなたが、私たちとともにいてくださり、私たち一人ひとりを生かし、また私たちに交わりを得させてくださる方であることを覚えることができますように。あなたに従うためにこそ、自分を生かし、隣人とともに愛をもって歩むことができるよう導いてください。主イエス・キリストのみ名に
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- 神の国の祝宴
⇒「神の国の祝宴」村椿 嘉信エレミヤ書31,10-14; テキスト(旧約):エレミヤ書31,10-14諸国の民よ、主の言葉を聞け。遠くの島々に告げ知らせて言え。「イスラエルを散らした方は彼を集め羊飼いが群れを守るように彼を守られる。」主はヤコブを解き放ち彼にまさって強い者の手から贖われる。彼らは喜び歌いながらシオンの丘に来て主の恵みに向かって流れをなして来る。彼らは穀物、酒、オリーブ油羊、牛を受けその魂は潤う園のようになり再び衰えることはないそのとき、おとめは喜び祝って踊り若者も老人も共に踊る。わたしは彼らの嘆きを喜びに変え彼らを慰め、悲しみに代えて喜び祝わせる。祭司の命を髄をもって潤しわたしの民を良い物で飽かせると主は言われる。テキスト(新約):ルカによる福音書14,15-24食事を共にし
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- 逃れる道
⇒「逃れる道」廣石 望出エジプト記32,1-6; I 「神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます」(13節)――この聖句は、さまざまな試練の中にある人々を励ましてきました。 東日本大震災の後、すぐにこの箇所を思い出しました。前後とあわせて読んだとき、それが偶像礼拝を避けよという勧告の文脈に現れるので、不思議に思いました。地震や津波は自然災害です。それが偶像礼拝という人の過ちと、どう関係するのでしょうか。またそのことが、なぜ遠い昔のイスラエル民族の記憶、彼らがエジプトを脱出したときの記憶に結びつけて言われるのでしょう。さらにこの聖句の翻訳が、必ずしも原文に忠実なものとは言えないことにも気づ
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- キリストのもとへ
⇒「キリストのもとへ」神さま、この世は苦難で満ちています。私たちは人々が苦しむ世界の中で生きています。あなたの計画はこの世の多くの人たちにはまだ秘められたままです。しかしあなたは救いの業を完成させ、あらゆるものをキリストのもとに置かれようとしています。あなたの救いのわざにふれることができますように。苦難に満ちたこの世のただ中であなたを見いだすことができますように。聖霊の力に導かれ、あなたが苦難の中にあっても働かれ、あなたがこの世の現実を変革し、あなたが人々の平安を与える方であることを確信することができますように。主イエス・キリストのみ名によって祈り願います。アーメン
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- 主の食卓を囲んで
⇒「主の食卓を囲んで」村椿 嘉信創世記45,4-8; テキスト(旧約):創世記45,4-8ヨセフは兄弟たちに言った。「どうか、もっと近寄ってください。」兄弟たちがそばへ近づくと、ヨセフはまた言った。「わたしはあなたたちがエジプトへ売った弟のヨセフです。 しかし、今は、わたしをここへ売ったことを悔やんだり、責め合ったりする必要はありません。命を救うために、神がわたしをあなたたちより先にお遣わしになったのです。 この二年の間、世界中に飢饉が襲っていますが、まだこれから五年間は、耕すこともなく、収穫もないでしょう。 神がわたしをあなたたちより先にお遣わしになったのは、この国にあなたたちの残りの者を与え、あなたたちを生き永らえさせて、大いなる救いに至らせるためです。 わたしをここへ遣わしたのは、あな
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- いのちの水
⇒「いのちの水」すると、サマリアの女は、「ユダヤ人のあなたがサマリアの女のわたしに、どうして水を飲ませてほしいと頼むのですか」と言った。ユダヤ人はサマリア人とは交際しないからである。イエスは答えて言われた。「もしあなたが、神の賜物を知っており、また、『水を飲ませてください』と言ったのがだれであるか知っていたならば、あなたの方からその人に頼み、その人はあなたに生きた水を与えたことであろう」。女は言った。「主よ、あなたはくむ物をお持ちでないし、井戸は深いのです。どこからその生きた水を手にお入れになるのですか。あなたは、わたしたちの父ヤコブよりも偉いのですか。ヤコブがこの井戸をわたしたちに与え、彼自身も、その子供や家畜も、この井戸から水を飲んだのです」。イエスは答えて言われた。「この水を飲む者はだ
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- 新しい命に生きる
⇒「新しい命に生きる」廣石 望エレミヤ書31,31-34; I 震災から100日以上がたちました。この間、政府による復興は遅れがちですが、国の内外から、たくさんの暖かい支援の手が差し伸べられました。そんな中、テレビCMで「日本は強い国」というメッセージが繰り返し流されました。この国の「強さ」とは、いったい何なのでしょうか。 震災の被害に「へこたれない」精神的な強さというなら分かります。でも「経済」大国、「技術」立国あるいは「消費」大国という意味の強さであるなら、そしてそのような社会システムを再建することが「復旧」の中身であるなら、それは私たちの歩むべき道ではもはやないと感じます。むしろ「新しい国」になるのがよいと思います。地方を犠牲にして都市が繁栄するのではなく、どの地域に住む人も幸せを感じ
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- 人間の知恵と責任
⇒「人間の知恵と責任」村椿 嘉信; テキスト(旧約):創世記3章22-24節主なる神は言われた。「人は我々の一人のように、善悪を知る者となった。今は、手を伸ばして命の木からも取って食べ、永遠に生きる者となるおそれがある」。主なる神は、彼をエデンの園から追い出し、彼に、自分がそこから取られた土を耕させることにされた。こうしてアダムを追放し、命の木に至る道を守るために、エデンの園の東にケルビムと、きらめく剣の炎を置かれた。テキスト(新約):マルコによる福音書4章35-41節その日の夕方になって、イエスは、「向こう岸に渡ろう」と弟子たちに言われた。そこで、弟子たちは群衆を後に残し、イエスを舟に乗せたまま漕ぎ出した。ほかの舟も一緒であった。激しい突風が起こり、舟は波をかぶって、水浸しになるほどであっ
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- 赦されて生きる
⇒「赦されて生きる」初めからのことを思い起こす者はない。それはだれの心にも上ることはない。 代々とこしえに喜び楽しみ、喜び躍れ。わたしは創造する。見よ、わたしはエルサレムを喜び躍るものとしてその民を喜び楽しむものとして、創造する。 わたしはエルサレムを喜びとしわたしの民を楽しみとする。泣く声、叫ぶ声は、再びその中に響くことがない。テキスト(新約):マルコによる福音書2,23-28 ある安息日に、イエスが麦畑を通って行かれると、弟子たちは歩きながら麦の穂を摘み始めた。ファリサイ派の人々がイエスに、「御覧なさい。なぜ、彼らは安息日にしてはならないことをするのか」と言った。イエスは言われた。「ダビデが、自分も供の者たちも、食べ物がなくて空腹だったときに何をしたか、一度も読んだことがないのか。アビア
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- 赦しと愛
⇒「赦しと愛」焼き尽くす献げ物が御旨にかなうのなら、わたしはそれをささげます。 しかし、神の求めるいけにえは打ち砕かれた霊。打ち砕かれ悔いる心を、神よ、あなたは侮られません。 神様は人間に、宗教的な儀礼を求めているのではなく、打ち砕かれた霊、悔いる心をもって、神の前に歩むこと、そして傲慢にならずに、与えたれた人生を歩み、また隣人とともに力を合わせ、愛を持って生きることを求めています。 旧約聖書にも、今、働いておられる神さまの前で、悔いる心をもって、神さまとともに歩むことが大切であるという生き方が示されています。でも旧約聖書の時代のとらえ方には、いろいろな限界がありました。神さまのわざは、過去との関連において捕らえられました。現在における神さまの働きは、どちらかというと過去のできごとの再現にす
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- 信仰
⇒「信仰」村椿 嘉信創世記12,1-4a; テキスト(旧約):創世記12章1-4a節1:主はアブラムに言われた。「あなたは生まれ故郷父の家を離れてわたしが示す地に行きなさい。2:わたしはあなたを大いなる国民にしあなたを祝福し、あなたの名を高める祝福の源となるように。3:あなたを祝福する人をわたしは祝福しあなたを呪う者をわたしは呪う。地上の氏族はすべてあなたによって祝福に入る」4:アブラムは、主の言葉に従って旅立った。ロトも共に行った。アブラムは、ハランを出発したとき七十五歳であった。テキスト(新約):マタイによる福音書7,21-23節21:「わたしに向かって、『主よ、主よ』と言う者が皆、天の国に入るわけではない。わたしの天の父の御心を行う者だけが入るのである。 22:かの日には、大勢の者がわ
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- 大いなる他者
⇒「大いなる他者」<平和の福音>、<和解の福音> 14節に、「キリストはわたしたちの平和であります」と書かれています。15節に「キリストは‥‥平和を実現した」と、16節に「キリストは十字架を通して両者をひとつの体として神と和解させた」とあります。そして17節に、「キリストが平和の福音を告げ知らせた」とあります。 「和解」の福音、「平和」の福音こそ、イエスが宣教し、聖書が証言している福音の内容です。 私がキリスト教に関心を持ち、神学の勉強を始めたのは、ベトナム戦争が終わった頃でした。ベトナム戦争こそ終わったものの、教会が戦争にどうかかわるのか、教会が国家や地域の問題にどうかかわるのかが問われ出したときでした。高校生の頃、私が強い確信をいだくようになったのは、聖書の福音は「平和」をもたらすものだ
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- 神との出会い
⇒「神との出会い」村椿嘉信; 旧約聖書:サムエル記上3,1-10少年サムエルはエリのもとで主に仕えていた。そのころ、主の言葉が臨むことは少なく、幻が示されることもまれであった。 ある日、エリは自分の部屋で床に就いていた。彼は目がかすんできて、見えなくなっていた。 まだ神のともし火は消えておらず、サムエルは神の箱が安置された主の神殿に寝ていた。 主はサムエルを呼ばれた。サムエルは、「ここにいます」と答えて、 エリのもとに走って行き、「お呼びになったので参りました」と言った。しかし、エリが、「わたしは呼んでいない。戻っておやすみ」と言ったので、サムエルは戻って寝た。 主は再びサムエルを呼ばれた。サムエルは起きてエリのもとに行き、「お呼びになったので参りました」と言った。エリは、「わたしは呼んでい
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- 神との対話
⇒「神との対話」<知る、理解する>相手が人間の場合: エフェソの信徒への手紙3章18、19節に、「知る」とか「理解する」という言葉がでてきます。神さまやキリストを知る、あるいは、神さまやキリストの愛を知るということがどういうことなのかを今朝は聖書から学びたいと思います。 相手を「知る」、あるいは「理解する」ということは私たち人間どうしの場合でもむずかしいことです。まして、神様を知ることは、それ以上に難しいことです。 今朝は、人間どうしが理解し合うことの難しさがどこにあるのかをまず考えたいと思います。その上で、人間が神さまを理解する難しさを学びたいと思います。 牧師をしていますとたくさんの人たちからいろいろな相談を受けることがあります。中には結婚の相談を受けたり、また離婚の相談を受けることもあ
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- 神にはなれない
⇒「神にはなれない」村椿嘉信; 旧約聖書:出エジプト記32章1-10節32:01モーセが山からなかなか下りて来ないのを見て、民がアロンのもとに集まって来て、「さあ、我々に先立って進む神々を造ってください。エジプトの国から我々を導き上った人、あのモーセがどうなってしまったのか分からないからです」と言うと、 32:02アロンは彼らに言った。「あなたたちの妻、息子、娘らが着けている金の耳輪をはずし、わたしのところに持って来なさい。」 32:03民は全員、着けていた金の耳輪をはずし、アロンのところに持って来た。 32:04彼はそれを受け取ると、のみで型を作り、若い雄牛の鋳像を造った。すると彼らは、「イスラエルよ、これこそあなたをエジプトの国から導き上ったあなたの神々だ」と言った。 32:05アロンは
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- 怠慢にならず
⇒「怠慢にならず」村椿嘉信; 旧約聖書:出エジプト記4,10-1710:それでもなお、モーセは主に言った。「ああ、主よ。わたしはもともと弁が立つ方ではありません。あなたが僕にお言葉をかけてくださった今でもやはりそうです。全くわたしは口が重く、舌の重い者なのです」。 11:主は彼に言われた。「一体、誰が人間に口を与えたのか。一体、誰が口を利けないようにし、耳を聞こえないようにし、目を見えるようにし、また見えなくするのか。主なるわたしではないか。 12:さあ、行くがよい。このわたしがあなたの口と共にあって、あなたが語るべきことを教えよう」。 13:モーセは、なおも言った。「ああ主よ。どうぞ、だれかほかの人を見つけてお遣わしください」。 14:主はついに、モーセに向かって怒りを発して言われた。「あ
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- The Cross Pendant
He is a cross pendant.
He is engraved with a unique Number.
He will mail it out from Jerusalem.
He will be sent to your Side.
Emmanuel
Bible Verses About Welcoming ImmigrantsEmbracing the StrangerAs we journey through life, we often encounter individuals who are not of our nationality......
