イエスと統治体の権威に関する聖書的な考察(18-1)性的な不道徳がなくて証人から排斥され得た理由

正しいか間違っているかは別として、私は最善を尽くしましたが、これらは私の意見を表明しているだけです。

 この「イエスと統治体の権威に関する聖書的な考察(17)地元の会衆での雑魚寝事件」で排斥された長老姉妹は後で証人に復帰されました。でも、後になって、わたしはその姉妹から、意外なことを聞かされます。 

  後で排斥から復帰された姉妹が淫行はなかったとおっしゃいました。その姉妹は、調査をする監督に対してわたしが排斥になればいいんでしょというような言い方をしたら、排斥になったとおっしゃっていました。でも、今回の記事では、性的な不道徳がなくても、エホバの証人の会衆から排斥され得たこと、また、性的不道徳や汚れの聖書的な意味について説明したいと思います。 

(1)淫行はなくても成員がエホバの証人から排斥され得ることがものみの塔に書かれている 

 その復帰された姉妹が性の不道徳はなかったと言われたので、私はいったいどうなっているのだろうかと考えました。性的な不道徳がなかったのであれば、その離婚された元主宰監督の兄弟は再婚ができなかったはずです。 性的な不道徳や汚れなどの神の律法違反が一切行われておらず、その交わりが単にクリスチャンにはふさわしくなく行われたというだけの問題であれば、当事者がクリスチャンにふさわしくない行動であったと反省しているのであれば、排斥の処置は必要がなく、聖書に基づく助言を与えて、今後そういうことがないようにするという約束をするだけでも良かったかもしれないと思います。 

 もし、身体的な接触が一切なく、男女離れて寝ていた、あるいは横になって話していただけであれば、不快とは感じられたとしても、その姉妹が排斥になったのは、お気の毒のように思います。 

 しかしながら、聖書が非としているのは、単に下半身の性的な結合すなわち、淫行あるいは性的な不道徳だけではありません。「みだらな行ない」も非としています。エホバの証人の出版物の中では、淫行が犯されていなくても、汚れやみだらな行ないを習わしにしている場合、排斥の根拠になることを明言しています。 

 2006年の読者からの質問には、「汚れを行なった人は,淫行やみだらな行ないをした人の場合と同じように,クリスチャン会衆から排斥されることがありますか。」という質問に対して、「はい,あります。淫行,またはある種の汚れ,あるいはみだらな行ないを習わしにして悔い改めないなら,その人はクリスチャン会衆から追放されることになります。」と答えています。

   さらに、 以前の聖書では、「恥知らずな行い」が「不品行」と訳されていました。この不品行の具体的な例として、ものみの塔の記事の中では、次のような記述があります。 

 「清い事がらを意に介さない態度,つまりアセルゲイアの示す恥知らずで不敬な態度」と述べられています。そして、「ある若者が結婚するという健全な意図を持っていないにもかかわらず,利己的にも女性に言い寄り,その少女と―あるいは次々と相手を変えて―『ヘビー・ペッティング』をすることは,聖書が「不品行」と定義している放縦な貪欲の表われであると言えます。」(ものみの塔1973年12/15読者からの質問)

 このヘビーペッティングとは何を意味するのでしょうか。ペッティングとは、愛撫または抱擁を意味しています。あるサイトで、ヘビーペッティングの語の意味として、「抱きしめるだけではヘビーには入らないでしょう。ディープキスと共に指又は舌を使い、陰部などを愛撫すること。」と説明されています。 ものみの塔ライブラリーでは、明確な説明はありませんでしたが、やはり、キスと抱擁またそれ以上のことを意味するとされているようです。

 

以前のものみの塔誌ではキスと抱擁がとりわけ複数の人に及ぶ場合は排斥にされる可能性があることが示唆されていた

 

 ですから、エホバの証人の間では、このものみの塔の指示に従うならば、単に性的な不道徳である下半身の身体的な結合だけでなく、それに至るあるいは類する愛撫などの行為や態度も、排斥の根拠とされています。しかし、この基準は、ふだんは家族以外では、身体的な接触をほとんどしないことが習慣の日本社会では、受け入れられるかもしれませんが、異性間のあいさつでさえハグをしたり、キスをしたりすることが普通になっている世界の大多数の区域では見極めが難しくなるかもしれません。

 

 いずれにしても、エホバの証人は、排斥の根拠として、セックス以上のことを挙げています。そこはグレーゾーンになるので、調査に当たった兄弟の裁量になったと思います。わたしは、この統治体の指示は聖書に調和している指示だったと思います。この統治体の指示に調査に当たった長老たちは従ったのかもしれません。 

 身体的な接触が一切なかったのでしょうか。わたしはその点は、知らないので、判断できませんが、グレーゾーンになる部分もあります。しかし、わたしは聖書中の「みだらな行ない」について調べた時に、聖書は厳密には、身体的なセッスクや愛撫を避ける以上のこと、もっと高い基準を求めているようにも思いました。 

 でも、そのことは次回の記事で扱いたいと思います。まず、「性的な不道徳」と「汚れ」について説明したいと思います。 

(2)聖書の中で性的な不道徳や汚れやみだらな行ないは神の王国を受け継げない業 

 まず、聖書では、神の王国を受け継げない業の一つとして、淫行だけでなく、以前の新世界訳では、「汚れ,みだらな行ない」を挙げています。新世界訳改訂版では、「性的不道徳、汚れ,恥知らずな行い 」と訳されています。(ガラテア5:19) 

 以前の新世界訳の英語版では、ガラテア5章で、このようになっています。'Now the works of the flesh are manifest, and they are fornication, uncleanness, loose conduct,・・・ and things like these. ・・・ those who practice such things will not inherit God's kingdom.'(ガラテア5:19,21)改訂版では、ガラテア5章19節はこのようになっています。'Now the works of the flesh are plainly seen, and they are sexual immorality,uncleanness, brazen conduct' 

 それで、以前は、uncleannessは「汚れ」、loose conductは、「みだらな行ない」という日本語に訳されていました。改訂版では、brazen conductは「恥知らずな行い」と訳されています。 

 それらの慣行は、肉の業とされていて、神の王国を受け継ぐことができない業であると聖書は述べています。ですから、聖書が非としている淫行や同性愛などを非として、そのようなことを悔い改めないで行う人を排斥する証人の習慣は聖書的で正しいと思います。 

聖書は結婚していない男女の間の性的不道徳は神の不興を買うことを示している 

性的不道徳行為を悔い改めないで行う者を組織から排斥する統治体の方針は聖書的で正しい 

 

 姉妹は、もしかしたら、「みだらな行ない」という理由で排斥されたのかもしれません。でも、まず、聖書の「淫行」あるいは「性的不道徳」、また、「汚れ」が聖書的に何を意味するかを説明したいと思います。 

(3)淫行とは何を意味するか 

 淫行とはそもそも何を意味するのでしょうか。 fornication(淫行) あるいは、sexual immority(性的不道徳)はギリシャ語でpornaiaポルネイアです。pornaiaはストロングの聖書用語索引では、Fornication, whoredom(売春)などとなっています。 

 エホバの証人が発行している洞察の本の中には、「ポルネイアは,少なくともひとりの人間の性器が甚だしくみだらに用いられることが関係するものと理解されています。また,そこには同性または異性の二者以上(それに同意した別の人間や,獣も含む)がかかわっているはずです。(ユダ 7)」と説明されています。 

 このエホバの証人の理解は、聖書的です。コリント第一の手紙の中で、性的な不道徳について「娼婦と結ばれ」「娼婦と一体になる」ことだと述べられています。性的な不道徳を行う「2人は一体と」なります。さらに、「性的に不道徳な行為をする人は自分の体に対して罪を犯している」と述べられています。 (コリント第一6:16-18新世界訳改訂版) 

 ですから、性的な不道徳とは、体で行われる罪です。そして、他の人と結ばれ「一体になる」ことです。ですから、性的な不道徳とは、結婚関係のない人の間で行われる生殖器官を用いて一体になること、すなわち、身体的な結合であるセックスを意味しています。 

 さらに、聖書によると、下半身の生殖器官の使用が関係しなくても、性的な不道徳、あるいは売春である述べられています。エゼキエル23章には、オホラとオホリバという「2人の女性」が「乳房をつかまれ」「胸をなで回され」ることも、「娼婦」になって「売春」を行った、また「不道徳」を行ったとみなされています。(エゼキエル23:1-4,10,29)

 

聖書ではオホラとオホリバが裸の胸をなで回されたことも性的な不道徳と言われている

 

 ですから、聖書は、「裸」で、すなわち、胸をはだけて、胸をなで回したり、乳房をつかむという行為も性的な不道徳な行為に含めています。(エゼキエル23:5,10新世界訳改訂版)でも、多くの場合、そうした行為は、下半身の性的なセックスにつながるでしょう。 

 聖書もオホラが「寝た」という語があります。(エゼキエル23:8)さらに、オホリバに関して「生殖器」が使用されたという記述があります。(エゼキエル23:20)こうした記述は、彼女たちが身体的な性的結合にもふけっていたことを意味しているでしょう。 

 また、聖書はソドムとゴモラの人々が行った同性愛も「甚だしい性的な不道徳」に含めています。(ユダ7新世界訳改訂版)ですから、性的な不道徳とは、少なくとも一人の人の生殖器官の誤った使用を意味しているというものみの塔の解釈は正しいです。 

ソドムを訪ねた男性旅行者をレイプしようとした男たちは性的不道徳にふけっていたとされている

 

 今回の記事では、エホバの証人の統治体が、単に下半身の性的な結合である性的不道徳だけではなく、それ以上の振る舞いを避けることを求めていることを説明しました。性的不道徳が結婚関係外の不道徳な行為と、同性愛者同士の性行為を含むことを説明しました。

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