啓示8・9章-七人のみ使いが第一から第六のラッパを吹く(39)解放後の切迫した難しい事態

正しいか間違っているかは別として、私は最善を尽くしましたが、これらは私の意見を表明しているだけです。

 

 第六のラッパが吹かれてから、四人のみ使いが大川ユーフラテスからほどかれます。そして、その後、二億の騎兵隊の発進があります。(啓示9:15,16) 

 エホバ神はクリスチャンに対して大娼婦の「罪にあずかることを望まず」その「災厄を共に受けることを望まないなら彼女から出なさい」と命じておられます。(啓示18:4)では、大娼婦の中にいる神の民は、四人のみ使いが大川ユーフラテスから逃れる時に、一緒に逃れたらいいでしょうか。 

 しかし、その時の状況で逃れるというのは、遅くなってしまうかもしれません。つまり、エホバ神の助言にいつまでも従わないならば、大いなるバビロンが被る災いに巻き込まれて命を落とす可能性はとても高くなります。少なくとも、非常な苦難の中で逃れなければならないことになるでしょう。  

 今回の記事では、四人のみ使いが大川ユーフラテスからほどかれる時の状況を考察してみます。 

(1)四人のみ使いはとても困難な状況下で大いなるバビロンから逃れることになる 

 大いなるバビロンに関しては、聖なる者たちに対する大々的な迫害と流血が預言されています。(啓示17:6)そして、その程度ははなはだしいものとなります。啓示の書には、 大娼婦に関して、「彼女の罪は重なり加わって天に達する」という表現もあります。(啓示18:5) 

 ですから、「四人のみ使い」が大いなるバビロンからほどかれる時に、大娼婦がクリスチャンを攻撃し殺害する程度ははなはだしい程度になるのでしょう。実際、その時大いなるバビロンに捕らわれになっているクリスチャンたちを表わしていたと考えられる使徒ヨハネは、大娼婦が「聖なる者たちの血とイエスの証人たちの血に酔っているのを見た」のです。(啓示17:6) 

 ですから、ぐずぐずしていると、大いなるバビロンによって殉教してしまうか、あるいは、大いなるバビロンに臨む災厄に巻き込まれる可能性が高いでしょう。 

 そのような大々的な迫害と流血が起こる寸前に、「四人のみ使い」また、「二人の証人」は捕らわれから解放されることになるのかもしれません。そして、二人の証人が解放される時に、同時に、大いなるバビロンに残されていたバアル崇拝を拒む忠実な者たち、つまり、「七千人」が殉教するという矛盾した事態もおきるようです。(啓示11:13) 

(2)大いなるバビロンから逃れるようにという呼びかけはあるが時間は大変切迫している 

 ですから、預言は、確かに、四人のみ使いが大川ユーフラテスに捕らわれになり、その後、おそらく「最後の者」が派遣されて彼らが解放されるように助けることが預言されています。(啓示15:1)しかし、それは、非常に短期間の間に起きるようです。四人のみ使いは、ほんの「五か月」の間、大川ユーフラテスに捕らわれになり、解放されることになるようです。(啓示9:5) 

 もちろん、確かに、大娼婦から出るようにという呼びかけはなされます。(啓示18:4)しかし、啓示の書は、「二人の証人」が解放される「その時刻」に、「大きな地震」すなわち、紛争が「起きて」、「七千人の人がその地震によって殺される」ことを預言しています。(啓示11:13) 

 「七千人」がみな殺されてしまいます。「七千人」とは、どんな人たちを意味するでしょうか。エホバはエリヤに対して、「すべてそのひざがバアルにかがまなかった者,皆その口がそれに口づけしなかった者」がイスラエルの中に「七千人」残されていたことを述べておられました。(列王第一19:18) 

  昔、バアル神やモレク神に子供を犠牲として捧げることが行われていました。(エレミヤ32:35)バアルにかがまなかった七千人の者たちとはそのような慣行を拒否した神に対する忠実な信仰を持っていた人々を表わしています。 

七千人とは子どもを犠牲にして捧げるバアル崇拝を拒否した者たちを意味する

 

 さらに、パウロはその「七千人」は、パウロの時代に、「過分のご親切による選びによって出て来た」「残りの者」と呼ばれるクリスチャンを表わしていたと述べています。(ローマ11:5) 

 ですから、啓示の書にある七千人が殺されたとは、神の王国の希望を持つ偶像崇拝を退ける忠実な者たちが、「地震」、つまり戦争や紛争によって殉教したり戦闘に巻き込まれたりして命を落としてしまうことを意味しているでしょう。(啓示11:13)大いなるバビロンの中に残っていたエホバ神に忠実な神の民はいなくなってしまいます。 

大いなるバビロンに残っている忠実な神の民は迫害・殉教・内戦のためにいなくなってしまう

 

 ですから、四人のみ使いが大いなるバビロンの捕らわれから逃れる時は、非常に時間が切迫しているのです。その時、共に逃れることができる者たちもいるかもしれませんが、紛争、あるいは迫害によって命を落とすクリスチャンたちも多いと思われます。 

 ですから、その後、「彼女自身が返したとおりに彼女に返し,二倍を,つまり,彼女が行なったことの二倍を彼女に行ないなさい。彼女が混ぜ物を入れた杯に,二倍の混ぜ物を彼女のために入れなさい」という命令が与えられます。(啓示18:6)大いなるバビロンには、神に忠実な民は存在しなくなってしまったのですから、神の裁きは正当なことだと言えます。 

四人のみ使いが逃れた直後に彼女に二倍を返しなさいという呼びかけがなされる事態が切迫している

 

 ですから、啓示の書は、「七千人」、つまり、そこに残されていた忠実な者たちがすべて命を失うことを預言しているので、「四人のみ使い」が大川ユーフラテスから逃れる時に逃れるのでは、遅いかもしれません。少なくとも、その時は、非常な苦難を経験することになるでしょう。そして、その時は事態が非常に切迫しているのです。 

(3)逃れる人々がいるかもしれないが非常に苦境のもとで行われることになる 

 昔は、モーセがエジプトに遣わされて、イスラエル人がエジプトから解放されるように助けた時に、大勢のエジプト人もイスラエル人について行きました。また、ノアは箱舟に自分の息子や娘たちを乗せて救い出すことができました。 

 しかし、聖書には、いつも、そのように信仰の強い人々が他の人々を救い出せる状況ばかりではないことが示されています。エゼキエル書には、「たとえノア,ダニエル,ヨブがその中にいても」『息子も娘も彼らは救い出せない。彼らは,その義のゆえに自分の魂を救い出すであろう』という預言の言葉があります。(エゼキエル14:18,20) 

 ですから、それらの義人でさえやはり、息子や娘たちを救い出せないという状況になる場合があります。(エゼキエル14:21) 

 しかしながら、状況が極端にひどいものになる時、「そこには必ず逃れた一団,連れ出される者たちが残される」と預言されています。(エゼキエル14:22)ですから、この預言はあまりにも悲惨な状況のために逃げだす一団がいることを預言したものかもしれません。 

 「逃れた一団」は、不忠実な「エルサレム」に対するエホバの裁きに同意します。「逃れた一団」は、自分たちやその仲間に起きている流血と迫害から、不忠実な「エルサレム」に対するエホバの裁きが、当然であることに同意することになるようです。 

 なぜなら、エゼキエル書の中には、「あなた方は,わたしが彼女に対して行なわなければならないすべてのことを,わたしが故なくして行なうのではないことを知らなければならなくなる」と預言されています。(エゼキエル14:23)この不忠実なエルサレムに預言されている状況は、大いなるバビロンに裁きが行われる時の状況を予告しているのではないかと思います。 

  それで、エゼキエル書は、エホバが災いをもたらされる土地から連れ出される者たちがいるかもしれませんが、彼らは自国内で非常に厳しい苦難を経験しなければならないことを示しているようです。彼らは、悲惨な経験をして逃げ出さざるを得ない状況を経験することになるのでしょう。 

 それで、聖書は確かに、最後に逃げることができる人々がいるのかもしれませんが、その時の状況が非常に悲惨であることを予告しているようです。中には、逃げる時に命を失う人もいるでしょう。 

(4)大いなるバビロンから逃れるようにという将来の組織的な呼びかけはあるが時間はほとんどないことが予期できる 

 大患難の前に、「私の民よ。彼女の罪にあずかることを望まず,彼女の災厄を共に受けることを望まないなら,彼女から出なさい」という呼びかけがあります。(啓示18:4) 

 しかし、派遣される最後の者たちや四人のみ使いたちは、他の人々を一緒に逃れるよう援助している十分な時間はほとんどないでしょう。彼ら自体命からがら大いなるバビロンから逃れるのです。その時、一緒に大いなるバビロンから逃れることは、非常に困難を極めるでしょう。 

 例えば、昔エジプトで奴隷状態にあったイスラエル人がエジプトから逃れる時も、彼らは非常に急いで逃れなければなりませんでした。出エジプト12章によると、エホバ神がエジプトに十の災いの最後である最も厳しい裁きを執行する時に、イスラエル人は、ゆっくりと楽しんで過ぎ越しの食事をするのではなく、逃げるためにでかける態勢で食事をしなければなりませんでした。 

 このようにイスラエル人に命じられていました。「そしてこのようにしてそれを食べる。あなた方の腰に帯をし,足にサンダルをはき,手に杖を持つ。それを急いで食べなければならない。それはエホバの過ぎ越しである。」(出エジプト12:11)ですから、ゆっくりしている時間は少しもなかったのです。そうしなければ、いつエジプト人は気が変わるか分からなかったかもしれません。 

 結局、ロトも、エホバの裁きが迫っているソドムから逃れるように自分の婿たちを十分説得している時間はなかったのです。さらにみ使いは、ロトの家族に後ろを振り返る時間も惜しんで逃げるように命じました。(創世記19:14-17)その時は、ゆっくり貨材を取り出している時間はなかったのです。 

ロトを助けるためにみ使いが遣わされましたがロトは後ろも振り返らずに逃げなければならなかった 

 

 さらに、今日でも、国内での戦闘状態や治安の悪化のために、難民となって出て行く者たちが多くいます。しかし、逃れる時が遅いならば、十分な備えを持って逃げているために、逃れる旅程で命を落とす難民も少なくありません。ですから、事態が切迫しない間に、十分の装備を持って十分余裕があるうちに逃れるのが勝っています。 

(5)預言が成就しているのを観察するなら早目に行動するのが賢明 

 このことは、大いなるバビロンにいる神の民は、聖書の成就を見て、自ら個人的に行動を起こす理が賢明であることを示しているのではないでしょうか。(啓示18:4)十分な組織的な援助は差し伸べられないかもしれません。各々、聖書の預言を研究するならば、どのような行動を早目にとるのが賢明であるかが分かるのではないかと思います。 

 状況は、「四人のみ使い」が大いなるバビロンに復しゅうを行なうように言わざるを得ない状況になるのでしょう。「四人のみ使い」また「二人の証人」は、「彼女自身が返したとおりに彼女に返し,二倍を,つまり,彼女が行なったことの二倍を彼女に行ないなさい」と言うことになるようです。(啓示18:6) 

 ですから、「四人のみ使い」また、「二人の証人」は、それまでも、モーセやエリヤのようにバアル崇拝と戦ってきたのですが、その憎しみを大いなるバビロンに集中して向けざるを得なくなるようです。(啓示11:7,8;17:16) 

 このことを考えるならば、大いなるバビロンにいる神の民は、十分前もって大いなるバビロンから逃れている方が、命を失わずにすみ、苦しい思いをせずにすみ賢明だと思います。

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