コリント第一11章・キリストの死を思い起こす助けとなる食事

正しいか間違っているかは別として、私は最善を尽くしましたが、これらは私の意見を表明しているだけです。

「この杯はわたしの血による新しい契約を表しています。それは、罪の許しのため、多くの人のために注ぎ出されることになっているのです。・・・わたしの記念としてこれを行なってゆきなさい。」(コリント第一11:25)

エホバはわたしたちにたいへんすばらしい贈り物を与えてくださいました。わたしたちのために死ぬよう、ご自分のみ子を地上に遣わされたのです。そのおかげで、私たちは将来病気と死から自由になって永遠の命を享受できます。(ヨハネ3:16)私たちは神とみ子が私たちのためにしてくださったことを忘れたいとは思いません。

神のみ子は、ご自分のなさったことを私たちに思い起こさせるための特別な方法をお与えになりました。それは、主の晩さん、もしくはキリストの死の記念式と言います。

イエスはそれをどのように制定されたでしょうか。西暦33年のユダヤの暦でニサンの14日、エルサレムのある家の二階にイエスと使徒たちが集まっています。彼らは、テーブルのまわりの長いすに寄りかかっています。テーブルの上には、天火で焼いた子羊の肉と、ひらべったいパンと赤いぶどう酒があります。

彼らは、普通の食事ではなく、特別な食事をしています。これは、何百年も前にエホバがご自分の民であるイスラエル人をエジプトでの奴隷状態から解放なさったことを思い起こさせるための食事です。

 

 西暦前1513年、エホバはエジプトにいるイスラエル人に、「家ごとに一頭の羊を取る。・・・その血を幾らかとり、・・・家の二本の戸柱とその戸口の上部にそれを掛けねばならない」と命じた後、「その夜にその肉を食べなければならない。」と言われました。(出エジプト12:3,7,8)

 人々はそうしました。そして、その日の夜、神のみ使いはエジプトの地を通り、すべての初子を殺しました。しかし、戸口と戸柱に塗られた血を見ると、その家を過ぎ越してゆきました。それらの家の子供は死にませんでした。

 エジプトのファラオは、エホバのみ使いのしたことに恐れをなして、エジプトからイスラエル人が出て行くのを許しました。エホバは、エホバに対する祭りとして、年に一度、イスラエル人が、その時食べたような食事をしなければならないと言われました。(出エジプト12:14,17,21)イスラエル人は、この特別な食事を過ぎ越しと呼びました。(出エジプト12:23)

 イエスと使徒たちが、この過ぎ越しの食事をした後、イエスはたいへん重要なことを始められました。イエスは残ったパンの一つを取り上げ、そのための祈りをささげてから、そのパンを割きます。それを弟子たちに回して、「取って食べなさい。これは、あなた方のためのわたしの体を表しています。」と言います。

次にイエスは赤いぶどう酒の入ったコップを取り上げて、もう一度感謝の祈りをささげてから、それをみんなに回します。そして、「あなた方はみな、それから飲みなさい。」と言います。それから、「この杯はわたしの血による新しい契約を表しています。それは、罪の許しのため、多くの人のために注ぎ出されることになっているのです。」さらに、「わたしの記念としてこれを行なってゆきなさい。」と言います。(マタイ26:26~28。コリント第一11:23~26)

  弟子たちは、もう過ぎ越しの食事はしません。その代わり、毎年一回、イエスの死を思い起こすために、この特別な食事をするのです。今日、それは記念式と呼ばれます。なぜなら、それはイエスとそのみ父が私たちのためにしてくださったことを記念する、つまり思い起こさせるものだからです。

 

 今年2011年の記念式は、4月17日(日)の日没後にエホバの証人の王国会館で行なわれます。イエスが制定されたニサンの14日に、毎年一回忠実にキリストの死の記念式を執り行っているのは、エホバの証人だけです。ですから、私は皆さんがエホバの証人の記念式に出席されるようにお勧めします。

 

 記念式に行くと、ひらべったいパンと赤いぶどう酒が回されるのを見ます。パンとぶどう酒のどちらも、イエスの贖いの犠牲を表わしています。イエスの贖いの犠牲は二つの種類の将来の希望を差し伸べます。

 

 イエスの流された血のおかげで新しい契約が発効します。新しい契約のおかげで、14万4千人の小さな群れは、罪を許され、神の王国に入るという希望が差し伸べられます。(ルカ12:32)そして、それらの人々は、将来、天の神の王国に霊者として復活させられ、不滅の命を享受できます。(啓示5:9,10。コリント第一15:50,53)

昔、羊の血によってイスラエル人の初子の命が守られたように、神の子羊イエス・キリストの血のおかげで霊的イスラエル人は、罪から救い出され、天での永遠の命を享受します。(ヨハネ1:29;3:36。ペテロ第一1:18,19)

記念式で、パンとぶどう酒にあずかるのは、天に行って、イエスと一緒に王になるという希望を差し伸べられている人々だけです。なぜなら、イエスは、パンとぶどう酒にあずかる弟子たちに、「わたしは、・・・あなた方と王国のための契約を結び(ます)。」と言われたからです。(ルカ22:29,30)

また、イエスの贖いの犠牲の益は、地的な希望の大群衆にも差し伸べられます。大群衆はイエスの贖いの犠牲のおかげで、大患難を生き残り、さらに神の王国の支配の下で地上の楽園に入ることができます。(啓示7:9,14)地上の楽園で人類は、年をとったり病気になったりすることはなくなり、地上で人間としての永遠の命を享受できます。記念式では将来のそうした希望を思い起こすことができます。

 

 しかし、たとえパンを食べたり、ぶどう酒を飲んだりしなくても、記念式に出席してイエスが行なってくださったことに感謝を表すことができます。なぜならイエスは二つの種類の希望を持つすべての人のために、ご自分の命をお与えになったからです。

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