“信教の自由”がなくなるとき 「信教の自由と政教分離」を憲法二十条から考えるインタビュー 西川重則氏

聖書に出てくる用語、クリスチャンが使う用語を説明しています。 ヘブル的視点で解説されていますので、すでにクリスチャン歴が長い方にも新しい発見があるかもしれません。

 
西川重則

憲法には、信教の自由と政教分離を保障する次のような条項があります。
「第二十条 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。」

今、議論されている憲法改正について、五年以上にわたって衆参両議院の憲法調査会の傍聴を続けてきた国会ウォッチャー西川重則さん(改革派東京教会会員)にインタビューしました。

Q「信教の自由がなくなる日」はあるのでしょうか。

 「信教の自由」がなくなることはありません。むしろ政教分離の原則が失われようとしています。それは国の宗教活動が許されるということです。実際、戦前の大日本帝国憲法でも「信教の自由」はありました。しかしそれは安寧秩序を侵すことのない範囲で、また臣民の義務を侵すことのない範囲でという条件付でした。そのなかで神社は宗教ではないとされ、国民を統一するためにあらゆる領域にわたって天皇制・国家神道を反映させて、国を戦争へと向かわせました。戦後、二度と戦争をしないという反省から国家と宗教を厳格に分離するという政教分離の原則が制定されました。

Q西川さんは、『わたしたちの憲法』のなかで、憲法改定をという前に、まず現行憲法を知るべきだと述べておられますが、現行憲法のすばらしさとは何ですか?

 前の戦争で、私の兄は戦病死しました。広島や長崎、そして沖縄などでも多くの人が戦争で死にました。またアジアでも多くの犠牲者を出しました。現行憲法の趣旨は、侵略と加害を繰り返した戦争を反省し、もう二度とそれをしないというものです。これは憲法の前文に明記されています。

 いつも反対ばかりしているといわれますが、私は憲法の内容が良くなるのならば反対しません。憲法九六条(憲法改正の手続、その公布)によってそれが明記されているのですから。でも、その前に為政者が現行憲法をもっとよく学び、憲法に基づく政治をすることが必要だと考えています。

Q自民党の出した新憲法草案では、政教分離が緩和される内容になっているといわれますが、これはどういうことでしょうか。

 草案の二十条(二〇〇六年十月二八日付)は、「国及び公共団体は、社会的儀礼又は習俗的行為の範囲を超える宗教教育その他の宗教的活動であって、宗教的意義を有し、特定の宗教に対する援助、助長若しくは促進又は圧迫若しくは干渉となるようなものを行ってはならない」です。「社会的儀礼又は習俗的行為の範囲」ということばは、どのようにでも解釈できます。つまり靖国神社参拝も護国神社参拝もその他の場合も、社会的儀礼・習俗的行為だと解釈され合法化されるのです。本来の政教分離ということばも意味も無視されています。

Q政教分離は、民主主義の国にとっては当然の原則だと思うのですが、なぜ今、自民党はあいまいにしようとしているのでしょうか。

 日本には、以前から現行憲法はアメリカからの押し付け憲法であり、自主憲法を作るべきという声があります。そして自民党を支える層には、日本は天皇を中心とする「神の国」であるという思想を持った人がたくさんいます。

 また、「和をもって尊しとす」という思想があり、善悪をつけず、なんでも「あいまいに」してしまう文化です。だから国と宗教をはっきりと分離する考え方がなじまないのでしょう。そもそも憲法の原則を守るという土壌ができていないのです。今までも憲法の原則ではなく、「お上」の思想や大勢順応を重視することを続けてきたことからもそれがわかります。

Q第二十条があいまいになったら、どのような社会になってしまうのでしょうか?

 正しいこととそうでないことを主体的に自己吟味して生きる人、また信仰と良心に基づいて物事を判断し、発言し、行動する人にとって、生きづらい世の中になっていくでしょうね。戦争中はそうでした。

Q「無宗教」といわれる人々にも、政教分離の原則があいまいになることで影響は及ぶのでしょうか。

 政教分離があいまいになることによって、天皇制と神社神道が結びついて六十年前のように再び戦争が起こるような社会になるでしょう。そうなれば、信仰を持っている持っていないに関係なく、若い人が徴兵され、多くの人々が命を落とすことになるかもしれません。

 私は、憲法改正を論じる前に、まず現行憲法を学ぶことを始めなければならないと思うのです。そうすれば日本は、武力によらず平和を創り出すことができる意味がわかり、希望が与えられるでしょう。そのような時代を創り出すためにこそ、クリスチャンは発言していかねばなりません。

 憲法に書かれている基本的人権は、すべての人に神から与えられたものです。

 キリストを信じるということで屈服せず、抵抗し、逮捕をおそれないことはすばらしいことだと思います。だけど、それだけがすべてではありません。神は平和な時代を喜んでおられます。基本的人権が侵され、平和が覆されようとしている今こそ、クリスチャンは平和を創り出すために行動しなければならないことをもう一度強調しておきたいと思います。

 日本の憲法には、アジアに対して侵略・加害をくり返した歴史の事実を教訓に、再び同じことをくり返さないために「前文」や九条、十九条、二十条をはじめ、旧憲法にはなかったすばらしい内容が明記されているのです。ですから、ひとりびとりが「わたしたちの憲法」にするための学びが強く求められているのです。

 政教分離を国内だけではなく、アジアに対するあかしの意味があることをしっかり受けとめていただきたいと心から願っています。

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