聖書は神の言葉 ”
ラスベガス日本人教会 砂漠の地ラスベガスから乾いた心に命の水を
今日は、
”聖書は神のことば”ということを考えてみました。聖書巻はすべて神の霊感によって書かれた「神のことば」であることを自ら主張していますが、その主張を裏付ける根拠は、枚挙にいとまがありません。100年の間に約40人の記者たちが互いに連絡を取り合うこともなく記したものが、完全な調和と一貫した主題を持ち、少しも矛盾するところがないという事実、また聖書預言がすべてその通りに成就してきたという事実なども、聖書が「神のことば」であることを裏付けるものです。また、聖書が「神のことば」であるとすれば、それは最近出版された本ではあり得ません。むしろ、時代を超えて、古くから生き続けて来た本こそが、そのような主張にふさわしいと言えます。 この点で、聖書は、他の書物を大きく引き離して、その資格を有する書物です。 ・ イスラム教のコーランが書き始められたのは、今から1300年ほど前のことでした。 ・ 私たちに身近な仏教教典が書き始められたのは、今から2400年ほど前のことでした。 ・ これに対して、聖書が書き始められたのは、これらよりもずっと古くて、今から3500年ほど前のことでした。さらに、もしそれが「神のことば」であるならば、ただ古いだけでなく、今もなお人を導き続ける本でなければなりません。実は聖書よりも古い書物がないわけではありません。たとえば、今のシリア地方で出土したマリ文書という文書は、約3800年前に書かれたものです。しかし、そのような文書は博物館にでも行かなければ見ることもできません。しかもそれは、ただ「古い」という理由で重んじられているだけで、私たちに何ら影響を与えるものではありません。そのような文書(石の板)は、それを刻んだ人間と同様、死んだものであって、何の力もないのです。これに対して、聖書は「博物館の書物」でなく、今この場で生きている書物です。日曜日には、世界中の教会や集会に何億もの人々が集まり、聖書から、励ましや教えを受けています。もちろん日曜日だけでなく、常に多くの場所で聖書が語られ、何億もの人々が毎日家庭でこの本を読んでいます。そういうわけで聖書の需要は途切れることがありません。普通ある本が百万部売れると”ベストセラー”と言われますが、1935年の統計で、聖書は実に1年間で2億5千万冊も発行されていたのです。しかも、ベストセラーと呼ばれるものが、1年以上その地位を保ち続けることは大変まれですが、聖書は、それから約60年後の199年の統計で、年間5億3千万冊が発行されました。実は、聖書は、印刷術が発明されて以来、何百年もの間、圧倒的な大ベストセラーであり、またこれからも、その地位を保ち続けていくことでしょう。新約聖書のローマ人への手紙10:18には以下のような言葉があります。
「その声は全地に響き渡り、そのことばは地の果てまで届いた。」聖書が、自ら主張するように「神のことば」であるとすれば、それはごく一部の国の人しか読めないようなものではないでしょう。人種を越え、民族を超え、時代を越え、場所を越えて、広く読むことのできる本こそが、そのような主張にふさわしいと言えます。私たち日本人に身近なお経について言えば、「仏教伝道協会」という団体が、いろいろなお経をまとめた書物を翻訳して、世界中に普及させようと熱心に努力しておられます。今のところ40くらいの言語に翻訳されているようです。しかし、世界中には、およそ200ばかりの国々があって、国の数だけカバーするには、まだまだ先があります。これに対して、聖書はいくつくらいのことばに翻訳されていると思われるでしょうか? 分冊を含めると、なんと2798言語に翻訳されています。さらに、他の2075言語において翻訳プロジェクトが始まっており、聖書が語るメッセージはまさに「全地に響き渡り、地の果てまで」行きとどこうとしているのです。
今日の一言: 聖書は神のことば平安鶴田健次
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