主の言った「真夜中」とはどういう意味か

あなたが信仰上で困惑や困難にぶつかることがございましたら、いつでも私たちにご連絡ください。あなたの助けになることを望んでいます。私たちがキリストの中に互いに愛し合うように。

主を信じたばかりの時、わたしはマタイによる福音書第25章6節に「真夜中に『花婿だ。迎えに出なさい』と叫ぶ声がした」と書いてあるのを見ました。そのため、わたしは、主は人が眠っている真夜中に来られる、と思っていました。再来した主に引き上げられる機会を逸しないように、わたしは毎夜、時間どおりに起きて祈りました。何回も起きて祈る夜はたくさんあります。しかも、わたしはいつも教会の兄弟姉妹たちにそのようにすることを要求しました。「だれでも真夜中に主が来られたという知らせを聞いたなら、他人に知らせなければならない。そうすれば、わたしたちはみな再来する主を迎えて、天の国の中に携え上げられることができる」と、わたしはいつも兄弟姉妹たちにそう言いました。

今年の夏休み、大学生の孫は帰りました。孫は小さいころからわたしと一緒に主を信じます。彼もいつも聖書を読みます。孫がこんなに大きくなったのを見て、わたしは「彼と一緒に聖書のこの節を読んで、彼も真夜中に目を覚まして祈るようにすべきだ。そうすれば、彼は再来する主に引き上げられる機会を逸することがなくなる」と思いました。だが、わたしが彼に自分の考えを話した後、彼はこう言いました。「おじいさんは『真夜中に「花婿だ。迎えに出なさい」と叫ぶ声がした』(マタ25:6)という主イエスの言葉を読んだ後、『真夜中』はわたしたちが眠っている真夜中だと思うんだね。だが、わたしはそう思わない。幼い時、おじいさんはいつもわたしに次のように言っていた。神が天地万物を創造された時、わたしたち人類のために綿密に考えてくださった。当時、彼は人類の生活規律を定められた。すなわち、人類が昼間に働き、夜に休むということだ。人は1日働いた後、夜によく休むべきだ。そうしてこそ、体の疲れをいやして健康に生きることができる。もしわたしたちが神の定められたこの規律に背いて、夜に休まないなら、わたしたちは病気にかかるはずだ。このままでいけば死んでしまう。もしわたしたちが毎晩起きて主の到来を迎えるなら、わたしたちは休めなくなる。これは、神が人のために定められた生活規律に背いたのではないか。明らかに、それは主の心にかなわない。主は人が眠っている真夜中に来るはずがないとわたしは思う。さらに、主のこの言葉は預言だ。わたしたちは預言には一層慎重であるべきで、自分勝手に預言を解釈してはならない。聖書に書いてあるように、『何よりもまず心得てほしいのは、聖書の預言は何一つ、自分勝手に解釈すべきではないということです。なぜなら、預言は、決して人間の意志に基づいて語られたのではなく、人々が聖霊に導かれて神からの言葉を語ったものだからです』(ペテ二1:20-21)。だから、わたしたちは主の再来に関する預言を自分勝手に解釈してはならず、また文字どおりに主の再来に関する預言を理解してはならない。それは聖書に『……文字は殺しますが、霊は生かします』(二コリ3:6)と書かれているとおりだ。預言の中の『真夜中』が、おじいさんの考える、人が眠っている真夜中であれば、それはありえないことだ。だって、世界各国の間に時差があるからだ。例えば、アメリカの真夜中はちょうど中国の正午で、中国の真夜中はアメリカの正午だ。では、主はどの国の真夜中に来られるのか。明らかに、『真夜中』に対するおじいさんの理解はただ想像で、預言の真意ではない。おじいさんはそう思わないか」。

わたしの孫、陽ちゃんの言葉は道理に合って根拠があるし、また聖書に合致するから、わたしは返す言葉がありませんでした。聖書の中の「真夜中」に対するわたしの理解は本当に間違ったでしょうか。だが今、一部の信徒たちはわたしと同じ理解を持っています。ある教会は、信徒たちが夜に代わる代わる見張り、いつも目を覚まして祈ることさえ要求します。そのため、わたしはわたしの理解が正しいかどうか分からなくなり、主の言った「真夜中」をどのように理解すべきかを知らなくなり、またどのように目を覚まして主を待ち、迎えるべきかを知らなくなりました。

ある日、わたしは教会の一人の、真理を熱心に追い求める兄弟に出会いました。わたしが彼にわたしの疑問を話した後、彼はわたしにこう言いました。「この問題については、以前わたしもよく分らなかった。一部の兄弟姉妹たちに尋ね、多くの人と交流することによって、わたしは初めて少し分かった。『真夜中』は、わたしたちの物質世界の真夜中を指すのではなく、サタンが暴れ回り、世界が最も暗く邪悪である時を指すのだ。今の世界から見れば、今はまさに真っ暗な夜ではないか。この世界では、人の人が互いに殺し、争い、国と国が互いに戦争をし、争闘する。ノアの時代の人は淫乱で邪悪で、互いに殺し合い、極みまで堕落し、そのため神の怒りに触れた。だが、今日の人はノアの時代の人よりもっと堕落する。また今の宗教界を見よう。主イエスを信じる人たちは同じ聖書を読み、同じ神を信じていて、互いに愛し合うとか、すべての人が一つとなるとか、互いに忍耐するなどと言っているけれど、今の宗教はもう二千余りの宗派に分かれた。しかも、どの宗派も『あらゆる宗派の中で、わたしたちの宗派だけが最も正統だ』という信条を守り、ほかの宗派が異端、邪教だと罪定めする。その上、どの宗派の内部にも争いがあり、どの宗派の人も自分の宗派の中で他人をねたみ、他人と論争し、他人を攻撃し、裁き、排斥している。そのため、どの宗派も絶えず分裂している。こういうわけで、小教会の中で数人が一緒にいても心を合わせることができない、というような現象ももう珍しくない。その結果、多くの信徒はこの俗世間に引きつけられ、主の委託と言葉、自分の霊的生活に興味を持たなくなり、もとの信仰と愛を失い、彼らの以前の熱心さもすっかりなくなった。しかも、教会の人数は日一日と少なくなってきた。少数の人が教会に来て集会に参加するけれど、彼らはただ何かの手順を踏み、形式的に集会に参加するのだ。集会の中で、彼らは居眠りしたり、雑談したりして、全然享受を得られない。今、多くの人は、神を信じるのに以前のような喜び、享受がないが、かえってとても疲れ、つらい思いをする。ある人たちはいつも泣きながら主に祈る、『主よ、わたしたちの歩むべき道はどこにありますか。わたしたちはどのように将来の道を歩むべきですか。……』と。このような状態は、次のような聖書の言葉を成就した。『しかし、終わりの時には困難の時期が来ることを悟りなさい。そのとき、人々は自分自身を愛し、金銭を愛し、ほらを吹き、高慢になり、神をあざけり、両親に従わず、恩を知らず、神を畏れなくなります。また、情けを知らず、和解せず、中傷し、節度がなく、残忍になり、善を好まず、人を裏切り、軽率になり、思い上がり、神よりも快楽を愛し』(二テモ3:1-4)。これらの言葉から分かるように、今は、世界と宗教界が最も暗い時、すなわち聖書に書かれている『真夜中』だ。……」。この兄弟の言葉を聞いた後、わたしの気持ちが明るくなり、「真夜中」とはどういう意味か分かりました。以前、わたしはあまりにも愚かで、ただ文字どおりに解釈していました。これは明らかに、主の心にかないません。

今はもう世の終わりであり、聖書の中の預言はほとんど実現しました。では、主はすでに来られたのでしょうか。主が来られたら、人はどのように主を迎えるべきですか。一生主を信じた自分は再来する主を見る機会を逸するのではないかと心配して、わたしは一回また一回と主に祈り、主を呼び求めました。聖書を調べる時、わたしは主イエスの次のような言葉を見ました。「わたしの羊はわたしの声を聞き分ける。わたしは彼らを知っており、彼らはわたしに従う」(ヨハ10:27)。「見よ、わたしは戸口に立って、たたいている。だれかわたしの声を聞いて戸を開ける者があれば、わたしは中に入ってその者と共に食事をし、彼もまた、わたしと共に食事をするであろう」(黙3:20)。わたしはまた、ヨハネの黙示録の多くの箇所で「耳ある者は、“霊”が諸教会に告げることを聞くがよい」と書かれているのを見ました。これらの預言によって、わたしは主イエスが戻られる時、諸教会に向かって言葉を発表されると分かりました。だから、わたしたちは主の御声を注意深く聞く賢い乙女になるべきです。もしだれかが主が戻られたと証しするなら、わたしたちは真理を求め、調べるべきです。そうしてこそ、主の御声を聞くことができます。そうなったら、わたしたちは本当に目を覚まして主の到来を待つ人、小羊の宴会に出て、神の御座の前に携え上げられる人になります。これらの認識を得た後、わたしはどのように主の到来を迎えるか分かり、主の御声を注意深く聞き、主の足跡を求めると決めました。主がこう言われたのを覚えています。「だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる」(マタ7:8)。だから、主がきっとわたしを導いて彼を見つけさせるとわたしは信じています。主に感謝します。アーメン。

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