イエスが十字架の上で『すべてが終った』と言ったのは、人類を救う神の働きが完了したという意味であったと多くの兄弟姉妹は信じています。しかし、本当にそうだったのでしょうか。イエスが『すべてが終った』と言った本当の意味は何だったのでしょうか。この記事は主イエスの十字架上の『すべてが終った』という言葉の本当の意味を明らかにします。どうぞお読みください。
午前七時、ワン・シュゥは娘フイ・ミンの家へと急いでいました。つい三十分前に牧師のツァンが家に来て、彼女の娘と義理の息子が東方閃電を受け入れたと伝えたのです。これはワン・シュゥにとって大きな驚きでした。彼女はこう思いました。「東方閃電のメンバーは、主イエスが戻られ、御言葉を表し、人を裁き清める御働きをされているという証しをしている。でも主イエスは十字架に掛けられたときに『すべてが終った』とはっきり言われた。これは神様の人類を救う御働きがすでに終わったことを示している。新しい段階の働きをされるために主が戻られるなどということがあるだろうか。娘と婿は聖書にかなり精通していて、真剣に真理を追求している。思慮深く識見があるから、盲目的に決定を下したはずがない。なぜ東方閃電を受け入れたの。一体どうなっているの」ワン・シュゥは非常に困惑し、できるだけ早くその理由を知りたかったので、急いでそのフイ・ミンの家に向かいました。
三十分後、ワン・シュゥは娘の家に到着しました。中に入るとすぐにワン・シュゥは単刀直入に娘に聞きました。「ツァン先生が明け方にやって来て、あなた達が二人とも東方閃電を受け入れたと言ったけど、本当なの?」
書斎で読書をしていたリ・ジュンは義母の声を耳にし、部屋から出てきました。フイ・ミンは母親の表情がやや険しいことに気付き、その手を取って座りました。そして微笑みながら言ったのです。「そうよ、お母さん。私達は東方閃電を受け入れたの。最近、リ・ジュンも私も全能神の御言葉を読んでいて、全能神の御言葉は神様の六千年の経営計画(救い)の奥義、神様の受肉の奥義、神様の三段階の御働きの奥義、終わりの日に神様は人を清め救うためにどのように裁きの御働きをされるのか、人類の最後の終着点などの神様による人類の救いの全ての真理と奥義を明かしているということがわかったの。全能神の御言葉を読めば読むほど、それが真理で力と権威があり、神様の声であると感じるの。お母さん、私たちが本当に長い間待ち望んでいた主イエスは受肉した全能神として戻って来られたのよ。お母さんも勉強してみたら」
ワン・シュゥは娘の話を聞くと、少し表情を柔らげて言いました。「フイ・ミン、私たちの教会は今では荒れ果てる。だからもし聖霊の働きがある教会を探しに行っても、引き止めないわ。でも東方閃電は主が戻られて、人を裁き清める段階の御働きをされていると説いている。どうしてそんなことがあり得るの?主イエスが十字架に掛けられた時、『すべてが終った』とはっきりおっしゃったでしょう。これは人類を救う神様の御働きが終わったことを意味してるのよ。私たちが主に罪を告白して悔い改める限り、私たちの罪は赦されるのよ。主が戻ってこられたら、すぐさまに私たちを天国へ引き上げてくださるわ。主が新しい御働きをされることはないのよ。これは牧師の先生や長老方もお説教でよく仰ってることだわ。それなのに、どうして忘れてしまったの?どうして東方閃電の道を受け入れるなんてことができるの?」
リ・ジュンは微笑み、言いました。「お義母さん、私たちは今までずっと宗教界の牧師や長老に従って、十字架に掛けられた主イエスが『すべてが終った』と言われた意味は、人類を救う神の御働きが終わり、主が戻られたときにはすぐに私達を天国に引き上げてくださり、新しい御働きはされないということだと信じてきました。でもこれは主の御言葉の本来の意味に合ってますか?神様の御働きの事実に合ってますか?主イエスが十字架の上にいらっしゃったとき、ただ『すべてが終った』と言われただけです。人類を救う神様の御働きが完全に終わったとはおっしゃっていません。それなのに牧師や長老は主イエスが語られたこの言葉をもとに、神様の御働きはもう終わったので主が戻られても新しい御働きはされないと決めつけています。これは、あまりに主観的な主張ではありませんか?ただ自分たちの希望に合わせて主の御言葉を解釈しているだけじゃありませんか?お義母さん、考えてください。主イエスが『すべてが終った』と言われたのが人類を救う神様の御働きが終わったことを意味するのなら、主が戻ってこられたとき、羊と山羊を、麦と毒麦を、忠実なしもべと悪いしもべを分けるという預言を成就するお働きをどうやって達成なさるのでしょうか?主イエスはこのような預言もされています。『わたしには、あなたがたに言うべきことがまだ多くあるが、あなたがたは今はそれに堪えられない。けれども真理の御霊が来る時には、あなたがたをあらゆる真理に導いてくれるであろう。それは自分から語るのではなく、その聞くところを語り、きたるべき事をあなたがたに知らせるであろう』書16:12-13)『わたしを捨てて、わたしの言葉を受けいれない人には、その人をさばくものがある。わたしの語ったその言葉が、終りの日にその人をさばくであろう』』そして、ペテロの第一の手紙4:17には『さばきが神の家から始められる時がきた』と記されています。これらの御言葉は、主が戻ってこられたときに真理を示し裁きの御働きを行われることを明確に伝えています。もし牧師や長老の理解に従って、主イエスが十字架上で『すべてが終った』と言われたのは主はそのときに人類を救う御働きを終えられ、新たに御働きになる必要はないという意味だとしたら、これらの預言はどうやって成就するんですか?真理を示して裁きの御働きをするために戻るという主の預言は何の意味もないということになりませんか? そう考えると、宗教界の解釈は主の御言葉を否定し、終わりの日の主の救いを否定していることになりませんか?だから、主イエスが十字架の上で『すべてが終った』と言われたからといって人類を救う神様の御働きが終わったとは断言できないと思います。それは私達の想像であって、主の意図に沿いません。私達が自分たちの希望に沿って神様の御働きを制限するのなら、神にいどむことになりますよ!」
ワン・シュゥはリ・ジュンの取り上げた聖句について思いめぐらし、考え込んでしまいました。「そうよね。何年も牧師や長老の言うことだけに耳を傾けて、十字架の上で『すべてが終った』と言われた主イエスが意味されたのは、神の人類を救う御働きが完成し、決して新しい御働きはされないということだと信じてきた。でも、娘と婿がたったいま引用した主の預言は、主が戻られたときに、真理を示し裁きの御働きをされると確かに言ってる。そうだとすると主が『すべてが終った』と言われたとき、正確には何を意味されたの?」そんなことを考えながら、ワン・シュゥは二人に自分の困惑を話しました。
ワン・シュゥが真理を求め始めたのを見て、二人は明るく微笑み、フイ・ミンが根気よく話しました。「お母さん、主イエスが十字架の上で『すべてが終った』と言われたとき、実は恵みの時代の贖いの御働きが終わったと言われたのよ。私達が主イエスの御働きを受け入れ、主に罪を告白し悔い改める限り、私達の罪は赦され、主に祈ることを許され、主がくださる豊かな恵みと真理を謳歌することができるの。これは主イエスが贖いの御働きをされることで成し遂げられ成果です。ただ、主イエスの贖いの御働きが終わったからと言って、人類を救う神の御働きが終わったわけではないわ。一緒に全能神の御言葉を二節ほど読んでみましょう。そうするともっとよく理解できるから」そう言って、フイ・ミンは寝室から『言葉は肉において現れる』という本を持ってきました。彼女はそれを開き、読み始めました。「人にとって、神の磔刑は神の受肉の働きを終結させ、全人類を罪から贖い、神がハデスへの鍵を握るようにした。誰もが神の働きは完全に成し遂げられたと考えている。実際は、神にとっては、働きのほんの一部が成し遂げられたにすぎない。神は人類の罪を贖っただけである。人類を征服しておらず、ましてや人の中のサタンの醜さを変えていない。そのため神は「人となったわたしの肉体は死の苦しみを経験したが、それは受肉の目標のすべてではなかった。イエスはわたしの愛する子で、わたしのために十字架にくぎで打ちつけられたが、イエスはわたしの働きを完全には終了しなかった。その一部を行ったに過ぎない」と言う。」(「働きと入ること(6)」より)「人は贖われ罪を赦されたが、それはただ神が人の過ちを覚えず、過ちに応じて人を取り扱わないこととみなすことが出来る。しかし、肉に生きる人が罪から解放されていないと、人は堕落したサタン的な性質をどこまでも顕し続け、罪を犯し続けることしかできない。これが人の送る人生で、罪と赦しの終わりのないサイクルである。大多数の人は昼間罪を犯し、夜になると告白するだけである。そのように、たとえ罪のためのいけにえが人にとって永久に有効だとしても、人を罪から救うことはできない。救いの働きは半分しか完成していない。人は堕落した性質を持ち続けているからである。」(「受肉の奥義(4)」より)
読み終えると、フイ・ミンは次のように話しました。「全能神の御言葉はとても明確よ。主イエスによって行われた贖いの御働きは、人類を救うという神様の御働きの半分だけを完了させたの。私達の罪は主イエスの贖いを通して赦され、もはや明らかな罪を犯さないし、外見では良い振る舞いをするけれど、罪の束縛を完全に解いたわけではないのよ。私達は傲慢で慢心して、利己的で卑劣で、インチキしてごまかそうとする堕落した性質に支配されている。自分の利害や威信を守るために嘘をつき、人を騙す。自分よりも優れている人を見ると、嫉妬してその人の言うことなんか聞こうともしない。利益を脅かす人がいるとそっくり仕返しをしたいくらいに憎む。それに私達は世の中の邪悪な潮流に従い、富に固執し、虚栄心に満ち、名声と幸運を欲しがる。自然災害や人災が降りかかったり不幸なことが起きると、神様を誤解して非難し、自分の観念や想像をもとに神様の御働きの良し悪しを決めたり非難したりする。こんな振る舞いは、主を信仰して罪は赦されても、サタン的な本性と堕落した性質は私達の中に深く根付いたままだということを証明しているわ。これこそ私達が罪を犯し神様に逆らう根本原因なのよ。罪深い本性をなくさない限り、罪を犯して神様に反抗したり、神様を裏切って対抗しようとする自分自身を抑制することはできない。聖書の神様の御言葉ははっきりしているわ。『わたしは聖なる者であるから、あなたがたは聖なる者とならなければならない。』また、ヘブライ人への手紙第12章14節には、『きよくならなければ、だれも主を見ることはできない』と書かれているじゃない。神様は聖なる方であり、天国に汚れた人間が入ることはできない。こんなにしょっちゅう罪を犯し神様に逆らう私達が神様の顔を見る資格があるのかしら。神様が天国へ導いてくださるほどの価値がどうして私達にありえるの?だから、私達の罪の根本的原因を解決するために、神様が終わりの日に戻られ御働きの新しい段階を遂行なさる必要があるのよ。そこで初めて私達はサタン的な堕落した性質を捨て去り、神様の清めと救いを得ることができるのよ。これは聖書の預言を成就することでもあるの。『あなたがたは、終りの時に啓示さるべき救にあずかるために、信仰により神の御力に守られているのである。』
話が終わるとフイ・ミンは『言葉は肉において現れる』のあるページを開いてワン・シュゥに言いました。「お母さん、全能神の御言葉を二節を読んだらもっとよく理解できると思うわ。神様の御言葉・・・
「あなた方のように贖われたばかりでまだ変化しておらず、神によって完全にもされていない罪人が、神の心に沿うことができるだろうか。未だに古い自分のままのあなたは、確かにイエスによって救われ、神の救い故に罪人とは見なされなくなったことは事実であるにしても、それであなたが罪も汚れもないという証拠にはならない。あなたが変化していないのであれば、どうして聖いものとなれるのか。あなたは心の中の不純さ、自己中心、悪意にまみれながら、イエスと共に降ることを望んでいる――あなたはそこまで幸運ではない。あなたの神への信仰は一段階抜け落ちている。どうにか贖われたというだけで、あなたは変えられてはいないのである。あなたが神の心に沿うためには、神が直接あなたを変え、清める働きをしなければならない。贖われただけでは、聖さを獲得することは不可能である。このように、あなたには神の素晴らしい祝福を共有する資格はない。神による人間経営の働きの一段階、人を変え、完全にするという重要な段階が抜け落ちているからである。それ故、贖われたばかりの罪人であるあなたは、神の財産を直接相続することはできないのである。」(「呼び名と身分について」より)「イエスは人間のあいだでたくさんの働きをしたが、全人類の贖いを完了しただけで、人の贖罪のためのささげものとなり、人から堕落した性質のすべてを取り除くことはなかった。サタンの影響から完全に人を救うためには、イエスが贖罪のささげものとして人の罪を引き受けることが必要だっただけではなく、神にとっても、サタンによって堕落させられた人の性質を完全に取り除くためにもっと大きな働きを行うことが必要だった。そこで、人が罪を赦された後、神は人を新しい時代に導くために人間の姿に戻り、刑罰と裁きの働きを開始し、この働きは人をより高い領域に連れてきた。神の支配の下に従う人々はすべてより高い真理を享受し、より大きな祝福を受けるだろう。彼らは本当に光の中に生き、真理、道、いのちを得るだろう。」(「序文」より)
娘が読むのを聞いて、ワン・シュゥは無意識のうちにうなずき、考えました。「この言葉には権威がある。主イエスは贖いの御働きをされただけで、私達の罪は赦されたにもかかわらず罪深い本性は清められなかったのか。一日中罪の中に生きているのも不思議じゃない。罪の束縛を解きたくて、いくら祈って自分を抑えようとしてもできない。もし罪の束縛から脱したいなら、神様が別の段階の御働きをなさる必要が本当にあるようだ」
リ・ジュンが立ち上がって、ワン・シュゥに水を注ぎながら、言いました。「お義母さん、全能神の御言葉はなぜ神様が終わりの日に裁きの御働きをされるのか、その御働きによって成し遂げられる結果をはっきりと説明しています。主イエスの贖いを受けて私達の罪は赦されましたが、サタン的な本性はまだ内に深く根付いており、神の祝福を受け継ぐ資格などありません。そのような堕落した人類として私達が必要とするので、神様は主イエスの贖いの御働きを土台にして終わりの日にもう一段階の御働きをされるのです。その御働きにおいては神様は人を裁き罰するために御言葉をお使いになり、私達の罪深い本性は消滅し完全に罪から救われるのです。終わりの日の神様の裁きの御働きを受け入れることによってのみ、私達はサタンによる堕落についての真理がわかり、神様に反抗するサタン的な本性を知り、神様の義でありと不可侵の性質を体験し、神を畏れる心をもつようになるんです。そして、私達は神様の御前にひれ伏し、自分を憎み、肉に背いて真理を実践するようになるでしょう。そのようにして、私達は徐々にサタン的な性質の束縛を解き、清め変えられ、救いと完成を得て、真に神様に従い神様を愛する者になることができるんです。その時初めて、人類を救うという神様の経営計画が完成し、すばらしい御働きが成し遂げられます。これはヨハネの黙示録の次の言葉を正確に成就します。『すると、御座にいますかたが言われた、「見よ、わたしはすべてのものを新たにする」。また言われた、「書きしるせ。これらの言葉は、信ずべきであり、まことである」。そして、わたしに仰せられた、「事はすでに成った。わたしは、アルファでありオメガである。初めであり終りである。かわいている者には、いのちの水の泉から価なしに飲ませよう。』(ヨハネの黙示録21:5―6)
リ・ジュンとフイ・ミンの話はワン・シュゥには驚きで、彼女の耳には新鮮でさわやかに響きました。そしてこう考えました。「二人の話は聖書と主の御言葉に一致している。明瞭そのものだわ。主が真理を示し裁きの御働きをされるために戻ってこられることこそ私達に必要なことで、それが私達は完全に罪から救われ、神様の救いを受けて完成され、真に神様を愛し従う者になれるように行われる…」
フイ・ミンは頭を下げて何も言わない母親を見て、母親の腕を優しく揺すぶりながら「何を考えているの、お母さん」と聞きました。
ワン・シュゥは表情を和らげて頭を上げ、リ・ジュンとフイ・ミンを見て笑顔で言いました。「驚いたわ。全能神の終わりの日の御働きを受け入れて間もないのに、そんなに多くの真理を理解しているなんて。今日のあなた達の話を聞いて、私も少しは理解できたようだわ。主イエスは人類を贖う御働きをされただけで、それは人類を救う神様の御働きの一部でしかないのね。主イエスの御働きを受け入れても、私達は罪を赦されるだけで、罪深い本性はまだ消滅していないので自分を抑えきれないで罪を犯したり神様に反抗するのね。神様にお目見えしたり、主に天の国に導いていただく資格などないわね。私達が罪の束縛を解きたいなら、まだ神様に再び来ていただいてもう一段階御働きを、裁きと清めの御働きをしていただかなきゃいけないのね」
フイ・ミンとリ・ジュンはワン・シュゥの言うことを聞いてとても嬉しくなり、神に感謝し続けました。
娘と義理の息子が幸せそうなのを見て、ワン・シュゥは自分をとがめて言いました。「ああ、牧師や長老が言っていたことを聞いていた何年のもあいだ、私は主イエスが十字架の上で『すべてが終った』と言われたのは、人類を救う神の御働きが完了したという意味だと信じてきた。そして主が戻られ私達を天国へと引き上げてくださることを心から願っていた。ついに、全能神教会が主が戻られたことを証していると聞いたけど、それを追究したり調べたりせず、自分の観念と想像に固執して、主の道を守るようにあなた達に助言しようとして、大きな過ちを犯し終わりの日の神様の救いを受けられないところだった。自分の観念や想像だけで神様の御言葉を解釈し、神様の御働きに取り組んでも、いつなんどき神に反抗したり、神様の救いを受ける機会を自ら逃したりするだけね。徹底的に清められて天の国に入りたいのなら、終わりの日に神の裁きの御働きを受け入れなければならいということがわかったわ!でも、終わりの日の神の裁きの御働きがどう人を清め、変えるのかはあまり知らないから、終わりの日の全能神の御働きを探求して勉強を続け、御言葉を読んでいこうと思うわ!」
「神に感謝!全能神教会の兄弟姉妹が明日ちょうど集会を開くから、私達と一緒にお話を聞きに行かない?」とフイ・ミンが言いました。
「そうするわ」
「神に感謝!」
外では太陽が明るく美しく辺りを照らし、時折ワン・シュゥ一家の喜びに満ちた話し声が窓から聞こえてきました…
もっと見るHe is a cross pendant.
He is engraved with a unique Number.
He will mail it out from Jerusalem.
He will be sent to your Side.
Emmanuel
Bible Verses About Welcoming ImmigrantsEmbracing the StrangerAs we journey through life, we often encounter individuals who are not of our nationality......
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