ヤベツの祈り ヤベツの祈り(後半)

聖書に出てくる用語、クリスチャンが使う用語を説明しています。 ヘブル的視点で解説されていますので、すでにクリスチャン歴が長い方にも新しい発見があるかもしれません。

編集部編

祝福を押しとどめている私たちの現実

 私たちは、衣食住のことや自分の楽しみを熱心に求め、そのために喜んで犠牲を払います。しかし一方で、神さまからの恵みに、そして祝福に期待し、それを積極的に求めているでしょうか。現状に満足し、目に見えるこの世のことに終始しているのが、実際のところ、私たちの現実といえるかもしれません。ですから「神の豊かさを制限するのは、もっぱら私たちであり、神の手許にある手段、力、喜んで与えようという御心のせいではありません」(同三八頁)というように、神さまの与えようとしておられる恵みとそのご計画を、結局は私たちの限られた思考の中で制限してしまうことになっているのではないでしょうか。「神の恩恵に限界はありません。しかし、もしあなたが求めなかったのなら、昨日受けるはずだった祝福で受け損なったものがあるのです。

 条件はこれです。もし神の祝福を求めないなら、求めて初めて与えられる祝福を放棄したことになるのです。子供が自分のところに祝福を求めてやってくると父親は光栄に思うように、あなたが御父の祝福を何よりも欲するなら、御父もまた喜んで豊かに応えてくださるのです。」(同三五―三六頁)

「ヤベツの祈り」を体験する

 ところで『ヤベツの祈り』のウェブサイト(www.prayerofjabez.com 英文)には、「ヤベツの祈り」を実践したことによって得たすばらしい祝福の体験が寄せられています。また日本語版の出版以来、同様の証しが本誌にも寄せられています。そのなかから二つの「ヤベツ体験」をご紹介しましょう。

 ●教会学校のときの女の子が

『ヤベツの祈り』を読んでから、毎日大きな声で「地境を広げてください」と祈っています。そして私だけでなく教会員全員で祈るようにしています。長い間広げられるどころか、それはだんだんと小さく狭まっていたように思えていたからです。

 それからしばらくしたあるクリスマス・コンサートのときのことです。かつて教会学校に来ていた女の子が、大人になり、結婚をして、ちょうど自分の幼い頃と同じような顔をした女の子をつれて、前の方の席にすわっているではありませんか。彼女とはっきりとわかるまでに少し時間がかかりましたが。

 そして「少し離れたところに住んでいますが、もしよかったら、うちの家で集会をしてください」と言うのです。さっそく年が明けてからキーボード、紙芝居などをもって集会を始めました。

 涙を流して、小さい頃に歌った賛美を、自分の子どもの肩に手を置きながら歌っている姿を見て、何と思いもかけないところで主が祈りに答え、地境を広げてくださったのを見たのでした。
(徳田 恵美子 日本福音教会 川西福音教会 牧師夫人)

 ●四肢麻痺の体でオリンピックの聖火を

 私が『ヤベツの祈り』について初めて聞いたのは友人からでした。本を買おうと思っていましたが、十ドルは高すぎると感じていました。しかし『ヤベツの祈り』は、皮肉にも私の目にする新聞に何度も登場するのです。神さまはすべてをよくご存じでした。その後、著者のブルース・ウィルキンソン博士のインタビューを聴いてから、本を使わずに、自分で「ヤベツの祈り」を祈り始めました。

 私は脊椎の損傷により、三十八歳の若さで四肢麻痺となった障害者です。マウスペインター(口を使って描く)の画家でもあり、また講演もしています。神さまが、私の理解を超えていかに地境を広げてくださったかを証しさせてください。

 昨年九月十一日のテロ事件以後、そのための救済基金に寄付し、平和を訴えようと私が描いた作品が、ロサンゼルスでラジオのインタビューで、そして新聞記事でとりあげられたのです(私の住む地元の新聞ではすでに何度かとりあげられていましたが)。この記事によって様々なところから講演依頼が殺到しました。そしてその講演の概要が毎晩のようにニュースで流れるのです。あまりの恵みに圧倒され、自分の手に負えず、祈るのをやめたくなってしまったほどです。

 そしてクリスマスには、何と母が『ヤベツの祈り』を買ってきてくれました。この本は、祈りのためのよりよい理解の助けとなりました。

 最もエキサイティングだったのは、今年の一月十六日、雨の中、車椅子で、オリンピックの聖火を運んだことでしょう。「ヤベツの祈り」は、とてもエキサイティングな方法で私の人生を変えてくれました。私は、喜んで神に忠実な者となりたいと思います。神にただ祈り求め、そして神の守りに信頼していくならば。
   (『ヤベツの祈り』ウェブサイトより)

「ヤベツの祈り」と祝福の秘訣

 結局私たちにとって大切なことは、私たちが日常生活で何かと理由をつけてないがしろにしている「祈り」、この「単純で信仰に満ちた祈り」(同三九頁)にこそ、私たちの人生を変え、神さまの大いなる祝福とご計画を体験する鍵があるということではないでしょうか。それは、まるで苦労してさがし求めていたものが、実は自分のすぐ身近なところにあった、そんなふうにたとえることができるかもしれません。

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