ビデオ 試写室◆ ビデオ評 46 信仰偉人伝シリーズ5『ジョン・ウィクリフ』

聖書に出てくる用語、クリスチャンが使う用語を説明しています。 ヘブル的視点で解説されていますので、すでにクリスチャン歴が長い方にも新しい発見があるかもしれません。


古川 第一郎
日本キリスト改革派 南越谷コイノニア教会 牧師

「宗教改革の明星」と呼ばれた男のドラマ

 ある人がこう言いました。「死んでいなくなる人と、死んでも語り続ける人がいる。」

 このドラマは、ちょっとおかしなシーンから始まります。墓を掘り返している男たちがいて、そのそばに修道士たちが立っています。何をしているのでしょうか?

 これはジョン・ウィクリフのお墓でした。彼は14世紀半ば、オックスフォード大学の教授でした。聖書の研究を続けるうちに、ローマカトリック教会の教理に、聖書とは矛盾するものが多くあることを確信します。そして次々に本を書き、学生には自分の確信するところを講義し、多くの人々の共感を呼びました。同時に、イギリスがローマ教会の支配から独立することを主張、農民の窮乏を訴え、堕落した司祭の財産を没収して貧しい人々に与えることを主張しました。

 これに怒った教皇グレゴリウス11世の命令によって、彼は3度にわたって異端審問を受けることになります。しかし3回目のとき、病気で倒れ、出廷できませんでした。そのまま彼は死にましたが、その教えは広まり、多くの共感者が起こり、「ロラード運動」に発展、そしてボヘミヤのヤン・フスによって引き継がれます。それが、あのルターの宗教改革につながるのです。

 彼の教えは、コンスタンツ会議で「異端」と宣言され、「火刑」(火あぶり)の判決が下ります。しかし、それは彼の死から30年も後のことでした。それで、その墓を掘り、その遺骨を火あぶりにしようとしているのが、冒頭のシーンなのです。彼の骨を焼くことによって、そのあまりに強い影響力を弱めようという意図があったといいます。それほど、死んだ後も、生きていたとき以上に人々に語り続けた人だったのです。

 彼の生涯の最高の日は、常識で考えれば「最低の日」でした。自分が愛したオックスフォード大学から、追放された日です。失意の中で祈っていた彼は、突然天からの火に焼かれたかのように、心が燃え始めます。「大学から追放されたのは、この使命を果たすためだ!」そこから彼のライフワークが始まります。それは聖書を、英語に翻訳すること。みんなが自分の聖書を持って、読めるようにすること。今日では当然のことですが、当時は「聖書の翻訳は、神の言葉の権威を落とすこと」とされ、みことばは教職者の占有物でした。庶民は、聖書を知らないうえ、教皇が付け加えた迷信的な教えのため、悲惨な人生を送る人があとを断ちませんでした。残酷です。しかし、彼とその協力者は、迫害の中で、ついに英語聖書を完成させます。

 今、この奉仕を受け継いでいる人たちがいます。聖書のない国へ行き、その国の言語に翻訳し、福音を伝えます。その働きをしている団体に「ウィクリフ」という名称がついています。

 夫婦で見終わった時、妻が何度も言いました。「ウィクリフがいてくれて、ほんとによかった!だから私も聖書が読めるんだ」と。

The Cross Pendant

He is a cross pendant.
He is engraved with a unique Number.
He will mail it out from Jerusalem.
He will be sent to your Side.
Emmanuel

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