湯口隆司
活水中学校・高等学校 校長
新しいメディア・リテラシー教育 [3] 実践使用のメディア・リテラシーかつて満員の通勤電車でも、新聞紙を折りたたんで読むサラリーマンの姿は首都圏では普通の光景だった。それが今はモバイルをのぞく通勤・通学者へと姿を変え、デジタル化による社会変化の一端を見る思いがする。水面下で「何か」が起きている。日常生活で神話化しつつある「文言」がある。「自由なデジタル空間」「ネットによるグローバルな世界」「格差の解消」など。でもホントだろうか。権力によるネット監視(米国NSAや中国の政策など)やジェンダー・アクセス権の抑制(アラブ諸国)、圧倒的な英語サイト情報の偏重(他の言語情報との格差)など。冷静に見てみると、あの原発の「安全神話」のように言葉が一人歩きし、「後知恵バイアス」でごまかしてはいないだろうか。
* * *
新しいメディア環境は確かに出現している。メディア企業はグーグル、フェイスブックなど世界の大企業による寡占化が各国で進行し、「商品」も様変わりした。
主力商品は、コンテンツ(ソフト、アプリ)、デバイス、プラットフォームとなり、パケット単位で情報が量られ課金もされる。オンラインの書物、音源の購入は日常化し、ネットを利用する個人情報は企業の顧客情報として蓄積され、メールによるマーケティングがいつの間にか浸透してきた。
ニュース報道も同様だ。「ユーチューブ」により、個人が受け手と同時に配信する側にも回り、自らプロモートしている。アラブ過激派による残虐行為がテレビ・ニュースの一部として取り上げられ、まさに「セルフ・マス・コミュニケーション」(カステル)が確実に広がっている。
これまでは、行間を読み、メディアの特性(音や映像の制作手法)を知り、論理的思考で臨むことでメディア・リテラシーは済んでいた。しかし、ICT環境は、従来の固定的・規範的なメディア・リテラシー手法では、水面下の「何か」には太刀打ちできない。SNSのアプリによる「いじめ」、ケータイ中毒、度重なる個人情報の漏洩も相変わらずだ。
ユビキタス(何時で、どこでも、誰でも)を目標とする情報社会の負の一面は水面から表に出てきている。固定され静止したメディアでなく、連続した時間と動いている場所、つまり利用実践(プラクティス)と人とのメディア教育が必要だろう。
※情報・通信に関する技術の総称。「IT」に代わる言葉として使われている。
He is a cross pendant.
He is engraved with a unique Number.
He will mail it out from Jerusalem.
He will be sent to your Side.
Emmanuel
Bible Verses About Welcoming ImmigrantsEmbracing the StrangerAs we journey through life, we often encounter individuals who are not of our nationality......
Who We AreWhat We EelieveWhat We Do
2025 by iamachristian.org,Inc All rights reserved.