ふり返る祈り 第12回 何に耳を澄ませるか

聖書に出てくる用語、クリスチャンが使う用語を説明しています。 ヘブル的視点で解説されていますので、すでにクリスチャン歴が長い方にも新しい発見があるかもしれません。

火のあとに、かすかな細い声があった。列王記第一19章12節

斉藤 善樹(さいとう・よしき)
自分は本物のクリスチャンではないのではないかといつも悩んできた三代目の牧師。
最近ようやく祈りの大切さが分かってきた未熟者。なのに東京聖書学院教授、同学院教会、下山口キリスト教会牧師。

神様、私たちはいかに多くの騒音の中で生活していることでしょう。片時も音がない時はありません。 私たちの頭の中にもさまざまな雑念が渦巻いています。それらは私たちの心を落ち着かなくさせる雑音となっています。 主よ、心の雑音を取り除き、あなたのみことばを聞かせてください。 どうぞ今日一日のどこかで深呼吸をし、みことばを思い出し、あなたの言葉で私の魂を満たす時間を持つことができますように。 電車の中で、学校で、会社で、家の中で、今日もあなたの言葉によって生かされますように。

私たちはさまざまな声に耳を傾けなければなりません。うっかり聞き逃すと社会の動きに取り残されてしまうかもしれません。でも世の中にあまりに多くの音声があふれているので、本当に耳を澄まさなければならないことを聞き落としているような気がします。
人の声が耳に入ってきます。あなたを批判する声かもしれません。心は落ち込みます。何とかその声に従って自分を変えようとします。中身を変えるというよりも、その声に自分を合わせようとします。もう批判の声は聞きたくないからです。
別の声がしてきます。別の批判の声です。それを聞くのはつらいですから、それにも何とか合わせようとしていると、さらに別の声が聞こえてきます。
褒める言葉もあるでしょう。うれしいですが、何とかその褒め言葉に添うように無理をします。そのうち、本当の自分は何だか分からなくなります。ただ、さまざまな声に反応するだけの自分しかありません。
人間の声だけではありません。私たちの内から湧いてくるさまざまな事ごとが、音声のようになって自分の心に響きます。他者への批判の言葉、不平不満の言葉、それらが騒がしく反響しています。心配事も反響しています。このこと、あのこと、気になることが起こってきます。もちろん、現実逃避はすべきではありません。やるべきことはやらなければなりません。けれども、やるべきことをした後でも、なおも音声が響くのです。
預言者エリヤが聞いた細い神の御声を、私たちも聞きたいと思います。あるとき、私は車を運転をしていて踏み切りで停車しました。あまりに踏切が長いのでエンジンを止めました。すると途端に車内が静かになりました。そして今まで聞こえてこなかった車外の音が聞こえてきたのです。これは私にとって小さな驚きでした。鳥のさえずり、風の音さえ聞こえてくるのです。エンジンの音はそれまで意識していませんでしたが、大きな騒音だったのです。他の小さな音をすべてかき消していました。神の細い声も、騒音を消さなければ聞こえてこないのです。

私は自分でもあきれるくらいに集中力がありません。すぐに雑念が入ってきます。目を閉じて心を静め、黙想しようとすると一分も経たないうちに雑音が入ってきます。これからの予定、夕飯のおかず、それらの連想が連想を生んでいきます。私はそれで幾度も失敗しました。一度ならず二度までも、牧師として最も集中しなくてはならない礼拝の最中に、心の雑音のせいでミスをしたことがあります。礼拝の最後の祝祷を忘れてしまったのです。その日、礼拝の後にさまざまな予定がありました。礼拝の最後の賛美を歌いながら、それらのことを考えていたのです。二度目は、忘れていたことさえしばらく気づきませんでした。
さまざまな音声、心の内外の雑音を聞く前に、神の言葉に耳を傾けたいと思います。私たちの行動は、何かに応答して生まれてきます。雑音に反応するのではなく、神の言葉に応答することによって、私たちは自分の思いや願いではなく、神のみこころに従う生活に導かれるのです。

預言者エリヤは自分を脅迫する支配者から逃れましたが、心身ともに疲弊し、神様が示す山にひとり登りました。自分の命を脅かす権力者の声、また、おまえは生きる価値もないとささやく自分自身の内なる声に悩まされていたエリヤは、ひとりで神の前に立ちました。そこですさまじい大風が吹き、地震と山崩れがあり、落雷がありましたが、そのような大音響の中には神はおられませんでした。その後に神の細い声がエリヤにささやかれたのです。耳を澄まさないと聞こえない声でした。けれどもその声は、エリヤに新たな使命を与えました。神の言葉は彼に生きるすべを教え、活力を与えたのです(Ⅰ列王19・11 | 18)。神は今もなお、細い御声で私たちに語りかけておられます。

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Emmanuel

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