動揺しない

ここで引用される聖書の著作権は日本聖書協会に属します

「動揺しない

 パウロがテサロニケの町に行ったのは、紀元49年頃のことである。彼はそこに4週間ほど滞在して伝道し、入信する人も出たが、それを妬んだユダヤ人が騒動を起こしたために、やむを得ず難を避けて夜中にベレアという町へ逃げた。そこでも伝道し、ある程度の成功を収めたが、意地の悪いテサロニケのユダヤ人たちがわざわざそこにも押しかけて来て群衆を煽動し、パウロを困らせたので、今度はアテネに逃げた。

このように、彼は行く先々で苦しい目に遭う。それも、多くは「同胞(ユダヤ教徒)からの難・・・偽の兄弟たち(使徒を自称する人たち)からの難」(コリント第二 11章26節)であった。腹に据えかねた彼は、ある時、本音を洩らしたことがある。

「彼らは・・・キリストに仕える者なのか。気が変になったように言いますが、わたしは彼ら以上にそうなのです。苦労したことは[彼らより]ずっと多く、投獄されたこともずっと多く、鞭打たれたことは[彼らとは]比較できないほど多く、死ぬような目に遭ったことも度々でした。ユダヤ人から四十に一つ足りない鞭を受けたことが五度。鞭で打たれたことが三度、石を投げつけられたことが一度・・・」(コリント第二 11章23節)。

これほど苦難に満ちた旅を、途中で投げ出したりせず、殉教の死に至るまで続けることができたのは一体何故であろうか?

彼を支えたものの第一は、無論、主イエスを死人の中から復活させた神の力への信仰であった。彼が自分で、「自分を頼りとすることなく、死者を復活させてくださる神を頼りに」(コリント第二 1章9節)した、と言っている通りである。

だが、ここで私たちはもう少し身近な、人間的な根拠に眼を向けてみたい。つまり、パウロの伝道旅行には何人かの弟子が同行して師を助けていた、ということである。その中で最もよく知られているのは、医者で福音書の著者でもあったルカだろう。彼は、いくつかの持病を抱える師パウロを案じて、ある時期一緒に旅をした。その時の経験も組み入れて、ルカは後に『使徒言行録』を書いたと言われている。

しかし、同行者はルカだけではなかった。パウロの殆どの手紙は、冒頭の挨拶の中で自分の名前と並べて一緒にいる弟子の名を挙げている。『コリント第一』には「パウロと兄弟ソステネから」とある。『コリント第二』は「パウロと兄弟テモテから」と書く。『ガラテヤ』には「パウロ、ならびに、わたしと一緒にいる兄弟一同」、『フィリピ』には「パウロとテモテ」、『コロサイ』には「パウロと兄弟テモテ」とある。中でも一番多いのがテモテの名前で、これは『テサロニケ第一』にも『テサロニケ第二』にも出てくる。この意味では、パウロは「孤独だったとは言えない。

もちろん、事柄によっては誰にも話せないことがある。心のケアに携わる人は、多くの場合、自分一人で重荷を背負い込む羽目になる。カトリック教会には「告解」という秘蹟があって、信者は聴聞司祭の前で自らの罪を隠さずに告白し、彼を介して神の赦しの約束を聞く。その際、司祭は自分が聞いた告白の内容を決して口外しない。たとえ殺人犯が来て犯行を告白したような場合でも、自首を勧めることはあっても、司祭が警察に通報するようなことはあり得ない。告白は、聞いた司祭の他には誰一人知る者はなく、ただ神にのみ委ねられる。その意味では、司祭は「孤独である。彼はただ独り、その重荷に耐える。パウロにも同じような経験はあったであろう。

しかし、その他のことでは、重荷を一緒に背負ってくれる兄弟たちがいた。スイスの神学者ルードルフ・ボーレンはこの点に注目して、「パウロには苦楽を共にする同伴者がいたということを強調した。ドイツ語で一人ぼっちのことを「アインザムというが、パウロは「アインザムではなかった。何度も繰り返して「兄弟テモテ」の名を挙げていることが物語っているように、テモテと二人で(ツヴァイザム)重荷を担って生きたのである。そのことを思うと、心が熱くなる。

さて、そのテモテだが、パウロは今日の所で「わたしたちの兄弟で、キリストの福音のために働く神の協力者テモテ(2節)と紹介している。彼がこの人物に全面的な信頼を寄せていたことが分かるであろう。しかし、パウロがテモテと知り合ったのはそう遠い昔のことではなかった。『使徒言行録』には、パウロがテサロニケに来る直前、キリキア地方(現在のトルコ中部)のデルベという町に行ったとき、「そこに、信者のユダヤ婦人の子で、ギリシャ人を父親に持つ、テモテという弟子がいた(16章1節)とある。若いが、人々の間で「評判の良い青年であった。パウロは初対面ですっかり気に入り、「一緒に連れて行こうとして、そのために配慮した。こうして、テモテはパウロの同伴者になったのである。そして、パウロはテモテを息子のように愛した。

そのテモテを、テサロニケに派遣した。何のためか? 「それは、あなたがた(=テサロニケの信徒)を励まして、信仰を強め、このような苦難に遭っていても、だれ一人動揺することのないようにするためでした(2~3節)。5節では少し表現を変えてこう書いている。「わたしも、もはやじっとしていられなくなって、誘惑する者があなたがたを惑わし、私たちの労苦が無駄になってしまうのではないかという心配から、あなたがたの信仰の様子を知るために、テモテを派遣したのです。

パウロの同伴者となったテモテは、ただ受身的に苦しみを共にしただけではなかった。最近入信したばかりの人々の信仰を強め、「だれ一人動揺することのないように励ますという大切な仕事のためにパウロと共に心を砕いたのである。そして、恐らく深い喜びをも共にした。

私たちはしばしば動揺する。しかし、このような祈りに支えられているならば、根元から動揺することはない。


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