「刻印を押された神の僕たち」

ここで引用される聖書の著作権は日本聖書協会に属します

前回は、6章後半、小羊が第五と第六の封印を開いた時の話をした。天にある祭壇の下に殉教者たちが見えたこと、彼らの魂が、天に昇り、神の直ぐ傍で純白の衣をまとい、神に向かって大声で、「真実で聖なる主よ、いつまで裁きを行われないのですか」 (10)叫んでいたという。これは幻だろうか?

この殉教者たちの祈りに対して、「自分たちと同じように殺されようとしている兄弟であり、仲間の僕である者たちの数が満ちるまで、なお、しばらく静かに待つように」(11) という答えが返ってくる。まだまだ殉教者は出るだろう。だが、やがてその「数が満ちる」。そして、神の裁きが行われる。その時までは、しばらく静かに待つように、というのである。

続いて「天変地異」が見えた。それはいつの時代にもあることだが、ヨハネは来るべき「終末の予兆」と理解して、終わりはただ憐れみ深い神の手の中にあるのだから無闇に恐れたり慌てたりせず、静かに待つようにと勧める。

さて、小羊が第七の封印を開いたとき何が起こったかは、8章に書かれている。その前に、いわば「間奏曲」として、今日の第7章がある。

「この後、わたしは大地の四隅に四人の天使が立っているのを見た。彼らは、大地の四隅から吹く風をしっかり押さえて、大地にも海にも、どんな木にも吹きつけないようにしていた」(1)。

この時代、世界が丸い球形をしていると考えた人は一人もいなかった。世界は、「天」と「地」と「地の下」という三層の構造を持っていて、しかも、大地は四角の平面である。その四隅から吹いてくる風が大地に災害をもたらすと考えられていた。ダニエル書に、「ある夜、わたしは幻を見た。見よ、天の四方から風が起こって、大海を波立たせた。すると、その海から四頭の大きな獣が現われた」(7,2)とあるのはその一例である。

ヨハネは、四人の天使が大地の四隅をしっかり押さえているのを見た。そこへもう一人の天使が「太陽の出る方角から上って来て」(2)、つまり生命と光が現われる方角だが、力強い言葉を語る。「我々が、神の僕たちの額に刻印を押してしまうまでは、大地も海も木も損なってはならない」(3)。我々の住む大地は、滅びと隣り合わせのようではあるが、天使によって守られている! これがヨハネの信仰だったのである。

最近、日本を二つの台風が襲った。つくづく、我々は自然災害の多い所に住んでいると思う。台風だけではない。度々地震があり、津波が襲い、火山が噴火する。こういうことを聞くと、自分たちがいかに脆弱な基盤の上に生活しているかということをあらためて認識する。黙示録の舞台であった小アジア地方も、同様であった。

しかし、この世界は「のべつ幕なしに」災害によって破壊されているというわけではない。「無事な」日々と「災害が襲う」日々とを比べれば、むろん、圧倒的に無事な日々の方が多いのである。この世界は、我々が「生きていけないように」ではなく、いろいろ問題はあるにしても、基本的には「生きていけるように」神によって造られている。そして、今日のところでは天使が、「神の僕たちの額に刻印を押してしまうまでは、大地も海も木も損なってはならない」(3)と言う。「刻印」とは、神の加護の下にあるということの徴である。

ところで、この加護は「神の僕たち」、つまりキリスト教徒だけに限定されているかのような印象を受ける人も多いかもしれない。イスラエルの12部族の名が挙げられているが、ヨハネは、キリスト教徒たちを「新しいイスラエル」と見ていたから、ここでキリスト教会のことを考えていたのは事実であろう。それぞれの部族から1万2千人、合計14万4千人という数字は「完全数」だ。だからヨハネは、ローマ帝国による迫害で苦しんでいるすべてのキリスト教徒たちを慰め・励ます意味で、「神の僕たちの額に刻印が」押される、つまり神の御加護がある、と言ったのであろう。

だが、言うまでもなくこの世界はキリスト教徒だけのものではない。大地も海も木も、すべての民族・すべての人間・すべての生き物が生きていくためにある。「大地も海も木も損なってはならない」という言葉には、このように大きく・広い意味がある。この点に注意しなければならない。

朝日新聞の夕刊に「中佐の腎臓」という報告が5回にわたって連載された。イスラエル陸軍の退役中佐ゼーブ・ビデル(48歳)が家族とホテルで食事中自爆テロに遭い、次女と長女の婚約者、甥の三人が即死、長女と妻は重傷を負う。ビデル中佐自身は頭に爆弾の破片を浴びて病院に収容されるが、6日後、意識不明のまま息を引き取った。呆然としている長男に向かって医師が言う。「父上の損傷は脳だけで、他の臓器(心臓、肝臓、角膜…)は健全です。今それを必要としている人たちがいる。どうしますか」。長男は了承した。その後で医師が言い難そうに、「腎臓は二人に移植しますが、一人はパレスチナ人です。それでもいいですか」と言う。長男はこれも了承した。「父はいつも、命は命だと言っていました。ユダヤ人もパレスチナ人も関係ないと」。

こうして彼の腎臓は、東エルサレムに住むパレスチナ人主婦アイシャ・アブカデル(54)に移植されることになる。人工透析を受けなければ生きていけないこの女性は、病院に向かう救急車の中で嬉しさのあまり泣き続けたという。

命は命である! 民族や宗教や身分に関係なく、すべての人間・すべての生き物が生きていくことを神は望まれる。天使が大地を守るのは、このためではないか。


 
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