明後6日は広島の原爆記念日、9日は長崎の原爆記念日である。同じ9日にはソ連軍が参戦して旧満州で進撃を始めた。これが原爆に次ぐ決定的な打撃となって、15日に日本は遂に無条件降伏に追い込まれる。しかし、それに先立って敗戦は既に現実となっていた。日本のほとんどすべての都市は焦土と化し、6月25日には、沖縄で日本軍の組織的な抵抗が止み、多くの住民を巻き込んだ惨澹たる地上戦は終った。私自身の経験で言えば、生徒として在籍していた東京陸軍幼年学校が8月1日深夜に八王子の町と共に空襲で焼け落ちた。明け方、まだ余燼の燻る廃墟に立った時の無力感を、忘れることは出来ない。
これらは、若い人々には縁遠い話かもしれない。しかし、これをある世代の経験と限定すべきではない。すべての日本人にとって「忘れてはならない記憶」なのである。それゆえ、8月第1日曜日が「平和聖日」と定められていることには大きな意味がある。
さて、「記憶する」ということは、「心に刻みつける」ことである。十戒は二枚の石の板に「刻まれた」が、第二次大戦後、イザヤ書から選ばれた聖句がニューヨーク国連本部ビル前の大通りにある石の壁に「刻まれた」ことも知っておいていい。
「主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。彼らは剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず、もはや戦うことを学ばない」(イザヤ書 2,4-5)である。二度の悲惨な世界戦争で、我々の世界はどれほど深く苦しみ、また、悲しんだか。だから、二度と戦争をしてはならない。これを悲願とし、また理想として、国連は出発したのであった。我々も、戦争体験から学んだ最も大切なこととして、この聖句を我々の心に「刻みつけ」なければならない。
だが、この言葉が珠玉のような輝きを放っていることは確かだとしても、旧約聖書には戦争を肯定し・賛美するような箇所も沢山あるではないか、と抵抗を感じる人も多いだろう。私もそのことは重々承知している。それでも尚、我々がイザヤ書の言葉にこだわるのは、イエスの旧約の読み方に心を打たれるからである。
彼は旧約聖書を、ある一点から、いわば選択的に読んだ。すなわち、掟は多くあるが、最も重要な掟は「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい」(申命記 6,4)と、「自分自身を愛するように隣人を愛しなさい」(レビ記 19,18)の二つである、「律法全体と預言者は、この二つの掟に基づいている」(マタイ 22,40) と言ったのである。
つまり、旧約聖書にどんなことが書いてあるとしても、彼にとってその中心は愛なのである。彼はこの愛を旧約聖書という山から「美しい結晶」として取り出し、それを印象的な言葉で人々に教えたが、それだけではなかった。彼の生き方、いや、存在そのものが愛であった。
でパウロが述べているのは、要するにこのことである。「キリストはわたしたちの平和であります。二つのものを一つにし、御自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し…双方を御自分において一人の新しい人に造り上げて平和を実現し、十字架を通して、両者を一つの体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされました」(14)。
事実彼は、民族・宗教・文化の違いから来る敵意を廃絶するような仕方でどんな人とも共に生きた。だからこそ、単なる口先の言葉としてではなく、「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい」(マタイ 5,44)と命じることが出来たのである。
このような愛は、戦争と両立しない。絶対的に矛盾する。イエスにとって、戦争は罪であった。「剣を取る者は皆、剣で滅びる」(マタイ 26,52)。だから、もし我々がこのイエスに従って旧約聖書を読むなら、戦争を肯定するような他のあらゆる箇所には目もくれず、イザヤ書11,9のような言葉を選択的に受け止めるべきである。
7月31日の「朝日新聞」は、アメリカにおける「宗教右派」についての興味ある報告を載せている。これは60年代の「公民権運動」や「ベトナム反戦運動」への反動として南部で盛んになった動きで、聖書を「一字一句神の言葉」として捉える原理主義的な信念と結びついている。政治に積極的に関わる組織的運動を展開し、今や全有権者の六分の一を占め、50州の内18州で共和党を支配する大勢力となった。ブッシュ大統領の支持基盤はこの「宗教右派」だという。
私がこの記事を取り上げたのは、聖書を「一字一句神の言葉である」と信じ、日曜日毎に熱心に教会に通うこの人々が、「戦争は罪である」とは考えていないと知ったからだ。彼らにとって中絶や同性愛はゆるしがたい罪だが、戦争は罪ではない。例えば、世界に蔓延するイスラームの脅威に対抗するためには、また「悪の枢軸」を打ち破るためには戦争は正当化され、むしろ神の正義を実現するための機会と見なされる。
似たようなことは、ナチス支配下のドイツでも起こった。宮田光雄著『ナチ・ドイツと言語』(岩波新書)には、聖書の表現を用いることによって多くの人々と教会を戦争に駆り立てた実例が多く挙げられている。外見に騙されてはならない。
今、政府は、「米軍と一緒に戦争が出来る」ように有事法制の整備に躍起になっているが、この時にあたり、私は改めて強調しておきたい。戦争は罪である。ABC兵器が人類の手に握られた今、「正義の戦争」は不可能だ。それは地球全体の滅亡にもつながる危険を持っているのだから。
He is a cross pendant.
He is engraved with a unique Number.
He will mail it out from Jerusalem.
He will be sent to your Side.
Emmanuel
Bible Verses About Welcoming ImmigrantsEmbracing the StrangerAs we journey through life, we often encounter individuals who are not of our nationality......
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