「分かち合うことから始めよう」ルカ16:19-31 中村吉基

アモス書6:1a,4-7;ルカによる福音書16:19-31

アモス書6:1a,4-7;ルカによる福音書16:19-31

19世紀のフランスの画家・ミレーの作品に『落穂拾い』というものがあります。落穂拾いというのは、穀物を収穫したあとに、または収穫に加えるために、田畑に散らばる穂を拾い集めること。実はこの作品は、貧しい農民を描いたというだけのだけの作品ではありません。旧約聖書「レビ記」の19章や23章には、「穀物を収穫するときは、畑の隅まで刈り尽くしてはならない。収穫後の落ち穂を拾い集めてはならない。…これらは貧しい者や寄留者のために残しておかねばならない。」という律法があります。また「申命記」24章には「畑で穀物を刈り入れるとき、一束畑に忘れても、取りに戻ってはならない。それは寄留者、孤児、寡婦のものとしなさい。」とあります。この慣習がキリスト教国でも受け継がれ19世紀のフランスの農村にも、貧しい人たちの権利として一部に残っていたようです。

毎週続けてルカによる福音書から神の御言葉に聴き続けています。今日の箇所も他の福音書にはない主イエスの多くの言葉を伝えています。先週の礼拝でも、いかに私たちに与えられている富を管理すべきか、ということについてお話ししましたが、今日も同じテーマでお話しをします。

今日の主イエスのたとえ話の中にも、金持ちと貧しい人が登場します。私たちがこのたとえ話を読むと一見、この世で贅沢三昧した者が、死んだあとに地獄の苦しみを受けて、貧しくて苦しい思いをした人が、死後天国に行くというような話に終わってしまいます。また、この話は今の私たちに贅沢に暮らすことを戒めて「貧しくつつましく暮らしていればいつか天国に行けますよと教えているのでもありません。そして神はいつも貧しい者の味方であるというようにも考えてはいけないでしょう。今日の箇所はそういうことを私たちに教えているのではないのです。

今日のたとえ話のテーマは、「なぜ、金持ちは陰府(よみ)に落ちたか」ということにあります。この金持ちは有り余る富を持っていました。高級な紫の衣、麻布の服をまとい、毎日何不自由なく暮らしていました。このたとえ話を読む限りでは、彼が何か悪いことをしたとは一言も書いてありません。さて、そこにラザロ(エルアザル=ギリシア語で「神はわたしの助け」)という人が金持ちの人の家の門の前に横たわっていました。「その食卓から落ちる物で腹を満たしたいものだと思っていた」とは金持ちの家から出た残飯のことですね。しかしそれすらも叶わなかったのです。ラザロは体中できものができ、犬というのは今の私たちはかわいいと思うかもしれませんが、当時は嫌われていた動物でした。そしてここに書かれてはありませんが、おそらく金持ちはラザロのことなど眼中になかったでしょう。もしかしたらそんな人がいるなどとまったく知らなかったかもしれません。不思議なのは、2人の生前つまり金持ちとラザロの接点はまったくたとえ話で語られていません。きっと無関心だったのでしょう。見て見ぬふりをしていたかもしれません。

ここを読んで、私は自分の大学時代のことを思い出しました。教団の部落解放センターでボランティアをしていた学生がチャペルの時間に、証しをしていたときに、まったく無知な一言を言った教員の発言から差別事件に発展したことがありました。それがきっかけで私たちは集中して被差別部落のことについて、また私たちの持つ差別体質について学ぶことになったのですが、最初のうちは、なぜその発言の主ではない私たちまでが授業を中止してセンターでフィールドワークをしなければならないのだろうとか、しばらくの間は学んでも、経験を積んでも自分の中から出てくる「無関心」との闘いでした。当時の私はこの金持ちと同じ体質を持っていたのではないか、と今日の箇所を読みながら思い起こしました。自分の側から扉を閉めてしまう。自分さえ楽しければいいのではないか。そういった無関心がラザロにたった一切れのパンも与えなかったのです。マザー・テレサは言いました。「愛の反対は無関心である」と。

そして22節以下のところです。この金持ちもラザロも地上の生涯を終えたあと、ラザロの魂はアブラハムのもとに連れて行かれ、金持ちは陰府で苛まれます。金持ちが生前取りつづけていた態度が死後の世界で彼自身に向けられています。彼は無関心や楽しみに甘んじて他の人と関わることから孤立していましたが、今陰府にいる彼には誰も関心を寄せませんし、孤立しています。

実は今日の箇所の前にある14節には「金に執着するファリサイ派の人々」という言葉出てきました。主イエスはこのたとえ話を通してファリサイ派を批判していると思われます。ファリサイ派は当時のユダヤ教の一つのグループで、律法を厳格に守ろうとした、いわば熱心なグループでした。自分たちは他の連中とは違うと差別し、ファリシー(分離するもの)と呼ばれるようになったのです。でもどうしてファリサイ派の人たちが主イエスに、「金に執着する」と言われなければならないのでしょうか。それは先週の礼拝で聴いたたとえ話(16章1~、不正な管理人のたとえ)にもありましたが、そもそも神の律法とは神を愛し、隣人を愛し、貧しい人や困っている人のために自分の持っているものを分かち合うという精神があるのです。しかし自分の生活の生活が豊かにされることばかり気に留め、細かい規定ばかりを熱心に守ろうとしていた彼らだったのです。

そして「金に執着する」という言葉は、私たちに向けても指摘されている言葉なのです。私たちの心の中には「豊かになりたい」「人から偉い人間だと思われたい」「出世したい」「功績をあげたい」などなど多くのことで心をいっぱいにし、それがもとで他者には無関心になり、人との絆を遮断してしまっているところがあります。

24節以下のたとえ話の後半で、金持ちはラザロを自分と兄弟たちのところに遣わしてほしいと願い出ます。陰府の燃えるような苦しみの中で金持ちは自分のこれまでの在り方にやっと気付いたのでしょうか。しかしアブラハムは容赦なく言います。
「お前の兄弟たちにはモーセと預言者がいる。彼らに耳を傾けるがよい」(29節)。しかしあわててさらにすがりついてくる金持ちに「モーセと預言者に耳を傾けないのなら、たとえ死者の中から生き返る者があっても、その言うことを聞き入れはしないだろう」(31節)と言うのです。

これを私たちに向けて言い換えるならば、「今主イエスのみ言葉に従うことがないならば、私たちはいつになってもそれに従うことはない」ということです。今、私たちが方向転換するチャンスがあるのに、「今本当の教えを聞いているのにそれに心の扉を閉めてしまう」態度を取り続けるならば、私たちも陰府に転がり落ちていくのです。

「今も私たちの周りには多くの「ラザロ」がいます。もしかしたら声にならない声で叫んでいるかもしれません。苦しさに苦しみ、悲しさに包まれ、病に打ちひしがれている人がいます。今日のたとえ話はそういう人のもとへ今すぐに赴くように私たちの背中を押している神の促しなのです。

ローマ教皇フランシスコが今日の箇所からメッセージを語っています。ここに引用します。

フランシスコ教皇は、「貧しい人を無視することは、神をさげすむこと」だと話されました。この金持ちには名前が無いが、一方貧しい人は「ラザロ」という名を持ち、このたとえ話では5回もその名が繰り返されている。フランシスコ教皇は「ラザロ」という名は「神は助ける」という意味を持つと紹介して、門前にいるラザロは金持ちに神を思い出させる生きた存在であったが、彼は神の呼びかけを受け入れなかったと説かれた。
そして、金持ちが罪に定められたのはその豊かさのためではなく、ラザロに対して同情し、手を差し伸べることができなかったためであると説かれました。

また教皇はこのたとえ話を通して、「神のわたしたちに対するいつくしみは、わたしたちの隣人に対するいつくしみと結びついている。心の扉を貧しい人に開かないならば、その扉は神にも閉じられたままとなる」と言われました。
「回心のためには特別な出来事は必要なく、神と隣人を愛するように招く神のみことばに心を開くことが大切であり、金持ちは神のみことばを知っていたが、それに耳を傾けなかったために、貧しい人に対して目を開き、憐れみを感じることができなかったと言われました。そして私たちが日常生活で出会う貧しい人々の中にイエスとの出会いがある。

イエス・キリストは「わたしの兄弟であるこの最も小さな者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである」(マタイ25章40節)と言われました。私たちのすぐ近くにいる小さくされた兄弟とは誰のことでしょうか。それぞれの「兄弟」に対して、心の扉をひらく一週間にしましょう。

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