Followers of Jesus Christ-Iamachristian.org
死の恐怖について

Q. 質問 123 死の恐怖について A. 回答 Q:私は、約20年前に洗礼を受けましたが、未だに死ぬことが恐いです。イエス様の十字架の死、死からの復活を信じたのですが、死への恐怖は変わりません。私は、実際は救われていないのでしょうか。パウロのように死を喜びとするにはどうすればよいですか。 A:霊的に成長したクリスチャンであっても、時には、死の恐怖を覚えることがあります。従って、死ぬことが恐いかどうかは、救いとは無関係です。「福音の三要素」を信じているなら、その人は救われています。ただし、日常的に死の恐怖を覚えいるなら、不信仰とは言えます。では、どうすれば死の恐怖を乗り越えることができるのでしょうか。ヒントを3つ申し上げます。 (1)死とは、なん

堕落した天使は赦されますか。

Q. 質問 Q:人間は罪を犯しても、罪の告白により赦されますが、天使が罪を犯した場合、同様に赦されるのでしょうか。 A. 回答 A:質問の内容が必ずしも鮮明ではありませんので、情報を整理する形で、ご質問にお答えします。いつものように3つ申し上げます。 (1)「人間は罪を犯しても、罪の告白により赦されますが」  ①人間は、「福音の三要素」を信じ、イエス・キリストに信頼を置くことによって   救われます。  ②クリスチャンになってからも、罪を犯すことがあります。  ③その場合は、罪の告白によって赦されます(1ヨハ1:9)。 (2)「天使が罪を犯した場合」  ①悪魔とは、天使長として造られた霊的存在が、神に反抗して堕落し

輪廻は、聖書的な教えですか。

Q. 質問 Q:最近ある本で、死ぬ前に起こった出来事を記憶しているという人の話を読みました。その人の魂は、別の人物として生まれ変わってきたのでしょうか。輪廻は、聖書的な教えでしょうか。 A. 回答 A:輪廻とは、「死んだ魂が、三界・六道(さんがい・ろくどう)を、次の世に向けて生と死とを繰り返すこと」です。インド思想に見られる考え方で、仏教の基本的な概念でもあります。 いつものように3つ申し上げます。 (1)聖書のどこにも、輪廻を教えている箇所はありません。  ①ヘブ9:27   「人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている」  ②人間は一度だけ生き、一度だけ死に、一度だけさばきを受けます。  ③キリスト教とユダヤ教が輪

ソロモンは、救われていますか。

Q. 質問 Q:クリスチャンの方からの質問です。伝道者の書を書いたソロモン王は、神様から知恵をいただいて、最後に救われたのですか。この書を読むと、嘆きが多く見られますが、彼には救われたという確信があったのでしょうか。 A. 回答 A:これは、ソロモンは今天国にいるのかという質問です。ソロモンが神に対して大きな罪を犯したことは確かです。彼は、異教の妻たちをめとり、彼女たちが持ち込んで来た偶像礼拝を容認しました。また、彼自身も偶像礼拝を行いました。そのため、ソロモンは救われていないと主張する人もいます。私は、ソロモンは救われていると思います。その理由を3つ申し上げます。 (1)ソロモンは、3つの書の著者です。  ①箴言のある部分、雅歌、伝道者の書  ②

誓いについて

Q. 質問 Q:私と夫は、ともに病の癒しを祈っています。もしその祈りが聞かれたら、弱っている母親と病気の妹の世話を必ずすると誓願したいのですが、どう思われますか。軽はずみに誓願する前に、新約聖書はどう教えているかを知りたいです。 A. 回答 A:この方にとっては、切実な問題ですね。旧約聖書には、誓願に関する箇所が30箇所ほどあります。イスラエル人にとっては、神に向かって誓願し、それを実行しないことは、重大な結果を招く罪でした。新約聖書では、イエス・キリストは、「決して誓ってはいけません」という新しい教えを与えておられます(マタ5:33~37)。 誓いについて、いつものように3つのことを申し上げます。 1番目に、すべての誓いが禁じられているわけではありませ

救いの兜とは何ですか。

Q. 質問 Q:霊の戦いの武具で、5つは納得できます。でも、「救いのかぶと」がどうしてもイメージできません。なぜ、「救いのかぶと」があるのでしょう。救いが、頭を守るように思えず、どうしても体得できません。 追伸:洗礼を受けていないだけで、自分はクリスチャンだと思っていますが・・・。 A. 回答 A:この質問は、エペソ人への手紙6章10節以降の内容に関するものです。パウロは、霊的戦いに必要な「神の武具」について語っています。合計6つの武具が列挙されています。①腰には真理の帯、②胸には正義の胸当て、③足には平和の福音の備え、④信仰の大盾、⑤救いのかぶと、⑥御霊の与える剣である神のことば。 質問された方は、5番目の「救いのかぶと」が理解できないと言われます。では、いつ

両親を敬うべきですか(2)

Q. 質問 Q:児童虐待を経験した子どもでも、両親を敬わなければなりませんか。 A. 回答 A:聖書は、「あなたの父と母を敬え」(出20:12)と命じていますが、この命令は、親から虐待を受けた人には重荷です。もし聖書に、「善良な父と母だけを敬え」とあるなら、どれほど楽になることでしょう。しかし聖書には、「善良な」という形容詞は付いていません。  このテーマについて、2回に分けてお答えしています。前回は、霊的な側面についてのヒントでした。今回は、具体的な側面についてのヒントです。 1番目に、両親との間に具体的な境界線を引きましょう。 「両親を敬う」とは、いつまでも両親の権威に服従することではありません。悪習慣が日常化している家庭では、それが次の世代に

両親を敬うべきですか(1)

Q. 質問 A:聖書は、「あなたの父と母を敬え」(出20:12)と命じていますが、この命令は、虐待を受けて育った人には重荷なのです。もし聖書に、「善良な父と母だけを敬え」とあるなら、どれほど楽になることでしょう。しかし聖書には、「善良な」という形容詞は付いていません。A. 回答  大変難しいテーマですが、2回に分けてお答えしたいと思います。初回は、霊的な側面についてのヒント、次回は、具体的な側面についてのヒントです。ぜひ、2回連続でお聴きください。 1番目に、自分が傷ついていることを恥ずかしく思わず、正直に認めましょう。 親から受ける虐待には、さまざまな形態があります。代表的なものを列挙してみます。 (1)暴力による肉体的虐待。この中には、性的虐待も含まれます。

占いについて

Q. 質問 Q:聖書では、「占い」は禁止されていますか。なぜ禁止されているのでしょうか。理由を知りたいです。現代人はどうしたらいいのですか。たまに、テレビで星占いを見ています。「見ること」もいけないのでしょうか。 A. 回答 A:聖書は、あらゆる形態の「占い」を明確に禁止しています。  申命記18:10~11には、こうあります。「あなたのうちに自分の息子、娘に火の中を通らせる者があってはならない。占いをする者、卜者、まじない師、呪術者、呪文を唱える者、霊媒をする者、口寄せ、死人に伺いを立てる者があってはならない」  占いについて、3つのことを申しあげます。 1番目に、占いは、超自然的存在がいることを前提に行なわれるものです。  もちろん、超自

教会に行くべき理由は何ですか。

Q. 質問 Q:私はイエス・キリストを信じていますが、教会に行くのは苦手です。ひとりで聖書を読んでいるだけではだめですか。 A. 回答 A:聖書では、教会というのは建物のことではなく、イエス・キリストを信じた人々の集まりです。そして聖書は、すべての信者が教会に属するように命じています。聖書には、一匹狼のクリスチャンは出て来ません。教会に行くべき理由を、3つ申し上げます。 1番目に、初代教会の手本があるからです。  使徒の働きを読むと、初期の信者たちは、定期的に集って、次のような活動をしていました。①使徒たちの教えに耳を傾けていた。②信者同士の交流によって、互いに励まし合っていた。③ともに、神に祈りを捧げていた。④パン裂き(聖餐式)を行なっていた。彼らの活

福音的」という言葉の意味について

Q. 質問 Q:中川先生は、「福音主義的な教会」とか、「聖書を福音主義的に捉えるなら…」という言葉を、時々メッセージの中で使われますが、「福音主義的」とはどういう意味ですか。 A. 回答 A:よい質問をありがとうございます。明確な説明なしに専門用語を使うのは、確かに問題ですね。コミュニケーションが成立していないわけですから、大いに反省の余地があります。  「福音主義的な教会」は、「福音派」とも呼ばれます。福音派は、プロテスタント教会の中のひとつの群れです。その特徴は、次の3点に要約することができます。 1番目に、福音派は、聖書を重視しています。 具体的には、聖書は誤りなき神の啓示の書だと信じています。それゆえ、教会の伝統や口伝の教えなどを排除し、聖

保険に加入することは罪ですか。

Q. 質問 Q:生命保険などの保険に加入することや、将来に備えて貯金するということは、神の教えに反することでしょうか。 A. 回答 A:これは、自らの信仰の在り方を問う真剣な質問だと思います。この問いにどのように答えるにしても、そこには聖書的根拠がなければなりません。いつものように3つ申し上げます。 1番目に、解釈学の原則について確認しましょう。  聖書には、保険に加入すべきか否かに関する具体的な教えはありません。そういう場合は、聖書全体の教えから判断する必要があります。ある人は、保険に入るのは信仰が足りないからだとか、貪欲の表れだとか、言います。それは、その人の判断です。別の人は、保険は将来への備えだとか、家族への愛だとか主張します。両者の判断は異なり

どのようにして教会を選べばよいですか。

Q. 質問 Q:教会に行きたいと思いますが、不安があります。よい教会の選び方を教えてください。 A. 回答 A:先ず申し上げたいのは、地上には理想的な教会は存在しないということです。教会は、成長途上にある信者の集まりだからです。その上で、私が考える教会の選び方を、①否定的な要素、②肯定的な要素、③その他の要素に分けて申し上げます。  1番目に、否定的な要素です。  つまり、こういう教会は避けた方がいいという意味です。①「神は、私たちが成功し、豊かになることを願っておられる」と教える教会は避けるべきです。このような教えを「繁栄の神学」と言います。②この教会が一番だと教える教会も、避けた方がいいと思います。カルト化した教会の可能性があるからです。③恐怖心に訴

なぜ、モーセは 創造物語を書けたのですか。

Q. 質問 Q:素朴な疑問です。天地創造は、モーセもアダムも見ていないのに、なぜモーセは書けたのですか。何が資料なのですか。 A. 回答 A:旧約聖書の最初の五書を、通常は「モーセの五書」と呼びます。「五書」とは言え、元は一つの書です。これは、伝統的にはモーセの著作だと言われており、イエス・キリストもそれを認めておられます(マタイ19:7)。従って、天地創造物語をモーセが書いたというのは、正しい理解です。それを前提に、いつものように3つ申し上げます。モーセには、3つの情報源がありました。 1番目に、彼自身の体験がありました。  モーセの生涯は120年ですが、それを40年ごとに3区分することができます。①最初の40年で、彼は当時最高峰の文明国であったエジプ

婚前交渉はなぜいけないのですか。

Q. 質問 Q:まだ結婚をしていない男女は、なぜ性的関係を持っていけないのですか。クリスチャンでない友人に何度も聞かれるのですが、いつも納得してもらえる説明ができません。 A. 回答 A:私たち人間は、日々なんらかの選びをしながら生きています。神を信じていない方にとっては、選びの基準は「私がどう感じるか」です。つまり、自分が自分にとっての神になっているのです。それに対して、クリスチャンは、「神がどうお感じになるか」を基準に選びを行ないます。クリスチャンにとって最も大切なことは、神は婚前交渉に不快感を覚えておられるという事実です。このテーマについて、いつものように3つ申しあげます。 1番目に、結婚に関する神の意図について考えてみましょう。  結婚という制度

人間の内面は霊とたましいに分割可能ですか。

Q. 質問 Q: 聖書には、「あなたがたの霊、たましい、からだが完全に守られますように」(第一テサロニケ5:23)」とありますが、霊とからだは分かるとして、たましいとは一体なんなのでしょうか。聖書ではなんと説明されているのでしょうか。 A. 回答 A:この質問は、人間の内面が霊とたましいに分割可能なのか、もし可能だとしたら、霊やたましいとは、どういうものなのか、というものです。このテーマに関しては、断定的な発言は控えるべきだと思いますが、私なりに3つ申し上げたいと思います。 1番目に、人間は、体、霊、たましいという3つの部分から成っていると主張する人がいます。 つまり、人間の内面は、霊とたましいに分割可能だということです。しかし、聖書に「霊」という

日曜日に働くことは罪でしょうか。

Q. 質問 Q:先日上司から、私がとても興味のある、やってみたいお仕事の部署への異動を勧められました。チャレンジだし、とてもチャンスだと思うのですが、週末は必ず仕事で、日曜日に教会に行けなくなります。日曜日に働くことは罪でしょうか。せっかくのチャンスを断るべきでしょうか。神様はどういう決断を望まれるのでしょうか。 A. 回答 A:この方は、重大な人生の岐路に立っておられるように感じます。具体的にどうすべきかは、ご自分で決断されることだと思います。私は、「日曜日に働くことは罪でしょうか」という部分に関して、お答えします。このテーマに関して、聖書が教えていることを、いつものように3つ申し上げます。 1番目に、旧約聖書の時代、安息日は土曜日でした。 今でも、土

宝クジを買うのは罪ですか。

Q. 質問 Q:クリスチャンの姉妹が宝クジを買ってもいいと言っています。そして、もし当たったら、困っている人に施しができると。私はこの行為には賛成できません。神様が喜ばれる事ではないことを確信しているからです。しかし姉妹を納得させることばが見当たりません。聖書には宝クジも飲酒もしてはいけないとは書かれていないと姉妹は言いますが。 A. 回答 A:宝クジに関しては、いろいろな考え方があると思います。私の考え方を分かち合いますので、参考になさってください。いつものように、3つ申し上げます。 1番目に、聖書には宝クジに関する明確な教えはありません。 十字架刑の場面では、兵士たちがクジを引いてイエスの着物を分けています。これが、今回の質問に最も近い事例だと思いま

誰に対して罪の告白をすべきでしょうか。

Q. 質問 Q:仮にもし相手に対して過ちをした場合、神様にそれを悔い改めるだけでは良くないのでしょうか。 A. 回答 A:この質問は、誰かに対して罪を犯した場合、神様だけでなく、その人にも告白する、あるいは、謝る必要があるかというものです。いつものように、3つ申し上げます。 1番目に、聖書では、あらゆる罪は、第一義的には神に対するものです。 詩篇51篇は有名な悔い改めの詩篇ですが、4節でダビデはこう告白しています。「私はあなたに、ただあなたに、罪を犯し、あなたの御目に悪であることを行いました」。もちろん彼は、自分が人に対しても罪を犯したことを否定しているわけではありません。彼は、神に対する告白を最優先させているのです。過ちを犯した場合、神に告白することは

洗礼は救いの条件ですか。

Q. 質問Q:ある教会では、洗礼を受けなければ救われないと教えています。それは聖書的な教えでしょうか。A. 回答 A:これは「洗礼は救いの条件か」という質問です。結論から申し上げますと、洗礼を受けなければ救われないという教えは、聖書的ではありません。洗礼について、いつものように3つ申し上げます。 1番目に、救いは、100%恵みにより、信仰によって与えられます。 つまり、キリストが私の罪のために死なれたこと、墓に葬られたこと、三日目に甦られたことを信じ、キリストに信頼を置くなら、その人は救われているということです。私たちの側で何かを付け加える必要はありませんし、また、付け加えることもできません。もし洗礼が救いの条件だというなら、その人は、キリストの贖罪の死が不十分だと

The Cross Pendant

He is a cross pendant.
He is engraved with a unique Number.
He will mail it out from Jerusalem.
He will be sent to your Side.
Emmanuel

Buy Now

bible verses about welcoming immigrants

Bible Verses About Welcoming ImmigrantsEmbracing the StrangerAs we journey through life, we often encounter individuals who are not of our nationality......

Blog
About Us
Message
Site Map

Who We AreWhat We EelieveWhat We Do

Terms of UsePrivacy Notice

2025 by iamachristian.org,Inc All rights reserved.

Home
Gospel
Question
Blog
Help