イエス・キリストの名言20選

正しいか間違っているかは別として、私は最善を尽くしましたが、これらは私の意見を表明しているだけです。

こんにちは、ノイです。
今回は、聖書に書かれたイエス・キリストの名言20選をご紹介します。
ここでご紹介する言葉以外にも沢山の名言がありますので、ぜひ聖書から探してみてくださいね。

目次

招きの言葉約束の言葉勧めの言葉神の国についての言葉人間関係における言葉神の愛終わりに

 

招きの言葉

丈夫な人には医者はいらない。いるのは病人である。
わたしがきたのは、義人を招くためではなく、罪人を招くためである。
マルコによる福音書2章17節

心が満ち足りているとき、人はイエスを必要としません。
イエスは、自分には助けが必要だと認める人のことを「心の貧しい者」と言われました。
自分の限界と無力さに行き詰まったときが、イエスに会うチャンスです。
神は助けを必要とする人のすぐ隣におられます。
<関連する言葉>

こころの貧しい人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである。
マタイによる福音書5章3節

だれでもかわく者は、わたしのところにきて飲むがよい。
ヨハネによる福音書7章37節

心の渇きは、「誰か」や「何か」で潤すことができません。
一時的に満たされても、また渇いてしまいます。
私たちを造られた神だけが、根本的な渇きを癒し、満たすことができます。
イエスを信じ受け入れた人に、その神の霊が注がれることを約束した言葉です。

<関連する言葉>

わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その腹から生ける水が川となって流れ出るであろう。
 ヨハネによる福音書7章38節

油断することなく、あなたの心を守れ、命の泉は、これから流れ出るからである。
 箴言4章23節

 

約束の言葉

そして真理は、あなたがたに自由を得させるであろう。
ヨハネによる福音書8章32節

「真理」の反対は「偽り」です。
人は、偽りの中で、心からの幸せや平安を保つことができません。
そして、経験したことや他人から言われた言葉、思想、占い、恐れ、依存など、実にさまざまなものが私たちを縛り、制限しています。
イエスは「わたしが真理だ」と言われました。 
イエスを信じ続けるとき、人は、罪から、また、自分の魂や心を縛っていたものから自由になっていくのです。 
<関連する言葉>

わたしは道であり、真理であり、命である。
ヨハネによる福音書14章6節

すべて罪を犯す者は罪の奴隷である。
 ヨハネによる福音書8章34節

わたしは世の光である。
わたしに従って来る者は、やみのうちを歩くことがなく、命の光をもつであろう。
ヨハネによる福音書8章12節

光の前に出るとき、隠されていたものがすべて照らし出されます。
イエスは病を取り除く医者のように、隠された罪や弱さを明らかにし、私たちを清め、癒して新たにしてくださいます。
そこから命ある歩みが始まります。これは、神にしかできないことです。
人が人を照らすことはできません。
<関連する言葉>

光はやみの中に輝いている。そして、やみはこれに勝たなかった。
 ヨハネによる福音書1章5節

求めよ、そうすれば、与えられるであろう。
捜せ、そうすれば見いだすであろう。
門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう。
ルカによる福音書11章9節

求めれば「何でも」与えられる、ということではありません。
子どもに良い物を与えたいと思う父親のように、神は、願い求める私たちに必要な良い物を与えてくださる方です。 

<関連する言葉>

神のなされることは皆その時にかなって美しい。
伝道の書3章11節

わたしは平安をあなたがたに残して行く。
わたしの平安をあなたがたに与える。
わたしが与えるのは、世が与えるようなものとは異なる。
あなたがたは心を騒がせるな、またおじけるな。
ヨハネによる福音書14章27節

イエスの与える平安は、私たちが「こうなれば得られる」と考えるようなものではありません。
解決しない問題の中でも、先の見えない暗闇にあっても、それらを超越して臨む平安です。
神が共におられる平安は、いかなるものにも打ち負かされません。

<関連する言葉>

わが魂はもだして※ただ神をまつ。わが救は神から来る。
神こそわが岩、わが救、わが高きやぐらである。
わたしはいたく動かされることはない。
詩篇62篇1~2節

どうか、平和の主ご自身が、いついかなる場合にも、あなたがたに平和を与えて下さるように。
主があなたがた一同と共におられるように。
 テサロニケ人への第二の手紙3章16節

※「黙って」の意。

 

勧めの言葉

だから、あすのことを思いわずらうな。
あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう。
一日の苦労は、その日一日だけで十分である。
マタイによる福音書6章34節

神が私たちに願われる姿とは、どんなものでしょうか?
「○○であること」の○○にどんな言葉が浮かびますか?
私は「正しくあること」だと思っていました。
正しいことを行うことも大切ですが、聖書には「いつも主にあって喜んでいなさい」と書かれています。
日々の重荷を神に預けて、「喜んでいること」が神の願われる私たちの姿なのです。

<関連する言葉>

あなたがたは、主にあっていつも喜びなさい。繰り返して言うが、喜びなさい。あなたがたの寛容を、みんなの人に示しなさい。
主は近い。何事も思い煩ってはならない。ただ、事ごとに、感謝をもって祈と願いとをささげ、あなたがたの求めるところを神に申し上げるがよい。
そうすれば、人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るであろう。
ピリピ人への手紙4章4~7節

わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である。
 ヨハネによる福音書15章1節

私たちは、木につながって栄養を受け、成長していく枝です。
豊かな人生が実るように、神が手入れをしてくださいます。
実がなるために必要なことは、イエスにつながっていることです。
<関連する言葉>

もしわたしのいましめを守るならば、あなたがたはわたしの愛のうちにおるのである。
ヨハネによる福音書15章10節

 

そこで、わたしのこれらの言葉を聞いて行う者は皆、岩の上に自分の家を建てた賢い人に似ている。
マタイによる福音書7章24節

聞いただけで満足せず、従っていくことが大切なのだと肝に銘じる言葉です。
<関連する言葉>

霊魂のないからだが死んだものであると同様に、行いのない信仰も死んだものなのである。 
ヤコブの手紙2章26節

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