(1)神道の古事記における日本の成り立ちに関する教え
日本人は、何百年もの間、天皇制が続いたために、戦前や戦時中は、天皇が神の子孫だと信じていました。そして、古事記や日本書紀を真実の歴史だと信じていました。
『古事記』は、西暦712年天皇の系譜や古い伝承を元明天皇の時に書き記し、編纂したものとされています。古事記は上中下の三巻になっています。そして、上巻に、日本がどのように始まったかが記述されています。
でも、わたしは現時点で、日本憲法の中で政治に携わらない天皇制のシステムが日本で認められていることに対して反対はしません。
日本の歴史の中で、天皇が長い間支配階級にあり、敬意を払われていたことは既成の事実だからです。天皇を始め皇族は日本と諸外国との平和と親善に貢献してこられました。そのことは、感謝するべきことです。
しかし、神道も仏教も基本的に万物の創造者なる神という概念がありません。天皇家の多くの方々が信じている日本の神様によって日本が造られ、天皇が神の子孫であるとという教えは、事実に基づかないまったくの偽りであると思います。今回はそのように考える理由をご一緒に考えたいと思います。
(2)非理性的な古事記の日本の成立の記述
古事記の上巻によると、兄妹のイザナギノミコトとイザナミノミコトが二人で海をかきまぜて、日本の島々を作り出し、そこで二人は結婚生活を送りました。
そもそもイザナギとイザナミは誕生したことになっているので、最初があるはずなのですが、古事記は、イザナギとイザナミがどのようにして存在するようになったのかは説明していません。そして、古事記では、神であるイザナギは、神武天皇の7代先祖とされています。神武天皇が実在する人間であるとすると、どこの時点で、神から人間に移ったのかという疑問が生じます。
また、イザナギやイザナミはどのようにして、天から泥水を垂らすために天の雲の上にいることができたのでしょうか。彼らが霊者という記載はありませんが、死んでしまう人間のような存在が雲の上にいることができたという記述はおかしいのではないでしょうか。
さらに、人間が果たして天の鉾からしたたり落ちる泥水によって日本の島々を作ることができるでしょうか。さらに、古事記の中では、確かに、イザナミも死んで黄泉の国に行ったことになっていますから、神なのに死ぬという点で人間と変わらないことになっています。もし、人間と異なる超人間的な存在であれば、どうしてそれらの神々は死ぬのでしょうか。
そして、日本を作った神がイザナギとイザナミという神であれば、世界の他の大陸や島々はどうなりますか。それらの大陸を作った神々が存在したことになります。そうすると、古事記の記述からすると、世界の多くの大陸を作った神々がたくさん存在していることになります。
しかし、古事記の日本が造られた経緯について述べる記述はなぜ中国、米国、ヨーロッパなどを作った神々について言及していないのでしょうか。それらの地域が存在していることを古事記の上巻作成当時知らなかったのでしょうか。
また、中国の方が大陸が大きいのですから、中国を作った神の方が、上だということにならないでしょうか。それなのに、日本を作ったイザナギの娘の天照大御神(あまてらすおおみかみ)が神々の住まいである高天原を支配するようになったのでしょうか。
イザナギがイザナミのいる黄泉の国から戻ってきた時、黄泉の汚れを洗い流した際にアマテラスオオミカミが左目から生まれたとされています。神が神の左目から生まれるでしょうか。父神の左目から生まれたというアマテラスは実在しますか。
父の神の左目から生まれたアマテラスは実在する神ですか
さらに、この時、イザナギの右目や鼻からも神が産まれました。なぜ、黄泉の国のイザナミを恐れて逃げ帰ってきた時に、神々が産まれたのでしょうか。
尊い神であるなら、聖なることをした後に、聖なる者から生じるのなら少しは理解できますが、神が何か、汚れたことをした後に産まれたとされるのはおかしくないでしょうか。
そして、イザナギが娘に主神となるよう命じたのであれば、イザナギの方がアマテラスよりも、立場が上なのではないでしょうか。アマテラスを主神にした後、イザナギの立場はどうなかったのでしょうか。古事記は説明していないようです。
神々は自然発生するのでしょうか。もし、そのような記述が事実であれば、世界には、日本のイザナギの神以外の神々がみそぎをした時に、自然発生した神々が無数に存在することになってしまうのではないでしょうか。また、次々に自然発生する神々は、わたしたちの崇拝に値しますか。
しかも、日本を支配する神々は、神が汚れを清めた後に、自然発生したことになります。単に汚れを清めた後に、日本の神々が発生したのであれば、そのことは日本を他より勝っている立場に置くとは思えません。わたしはこの記述は、天皇の先祖が優れていて、世界を支配する立場になるという根拠になるとは思いません。
古事記の日本の神について述べる記述は明らかに到底理性的に受け入れられる記述とは言えません。
(3)古事記が述べる黄泉の国は存在しない 古事記では、妻のイザナミは死んで黄泉の国に行きました。『古事記』では、天上界にある神々の住む「高天原」と、地上の人間が住む世界と、地中にあるとされる黄泉の三つの世界があると教えています。黄泉の国が存在するのでしょうか。
しかし、日本の島々を産み出すほどの力のあったイザナミの神が、なぜ死ぬことになったのかはおかしいことです。死ぬのは人間です。死ぬのであれば神とは言えないでしょう。
イザナギは妻のイザナミが死んだ後に、黄泉に追いかけていきました。どうして、イザナミは死んで黄泉の国に行くことになり、夫のイザナギは生きていたのに、黄泉の国に行くことができたのでしょうか。そして、イザナギはイザナミが醜い姿をしていたのを見て逃げ帰りました。人は死ぬと、醜い姿で生き続けているのでしょうか。これも、あり得ない話ではないでしょうか。 また、イザナミは、夫に逃げられたので、「私はこれから毎日、一日に千人ずつ殺そう」と言いました。それでイザナギは、「それなら私は人間が決して滅びないよう、一日に千五百人生ませよう」と言ったそうです。夫に逃げられたので人を一日大勢殺すと言った日本の神を尊敬できますか。これは、まるで悪霊のような特質をしているのではないでしょうか。
また、姿が醜くなったなら、夫婦としての愛が冷えたのでしょうか。また、神なら、死んだ者をよみがえらせることができるはずでないでしょうか。
そして、大抵の現代人は、地下に死者が住む黄泉が存在しないことを認めているのではないでしょうか。私たちは、火山が爆発してマグマが出てくるので、地球の内部はマントルが融解してできるマグマがあることを知っています。
そして、最新の研究によると、地球の中心は364万気圧・5500°Cという超高圧高温状態であるということです。ですから、地球内部にどんな物質世界、地下世界も存在しえません。ですから、黄泉の国は存在しないのではないでしょうか。
Kelvinsong地球の内部は超高温なので黄泉の国は存在していません
聖書は、確かに霊者が住む天界と人間が住むこの物質界が存在することを認めています。しかし、人間は死ぬと土に戻ると教えていて、死者が生活する世界が存在するとは言っていません。(創世記3:19)
聖書によると、死んだ人が活動している世界としての黄泉または陰府は実在しません。聖書が黄泉と述べる場合、文字通りの墓もしくは比ゆ的に死者がいる場所を意味しています。死者は意識がなく存在がなくっているので、死者の住む世界も存在しません。
Richard Buckley, Mathew Morris, Jo Appleby, Turi King, Deirdre O'Sullivan, Lin Foxhall
人は死ぬと土に戻り存在しなくなるので死者の住む世界は存在しない
そして、わたしたちが地球について知っている状況はこのことと一致しているのではないでしょうか。
(4)日本だけでなく全世界を創造された神エホバ
聖書によると、世界を創造されたエホバ神は、永遠の昔から存在しておられました。そして、永遠の将来にわたって存在していかれます。聖書は、神について、「あなたが地と産出的な土地を産みの苦しみによるかのように生み出される前から,実に,定めのない時から定めのない時に至るまで,あなたは神です。」と述べています。(詩編90:2)ですから、エホバ神は不滅であり、時間を超越した存在です。
そして、この方が一人で全宇宙を創造されました。エホバ神は日本だけを作られたのではなく、全人類が生活している地球を含む太陽や星のすべてを、創造されました。ですから、エホバ神は地球全体を支配するただひとりの至高の神です。(詩編83:18)さらにエホバ神は、「聖なる者」、まったく汚れとかかわりをもたれない神聖な方です。(レビ11:45)
通常、何かが存在し始める時に、その設計者が知力を働かせて仕事をしなければ産み出されないというのが普通ではないでしょうか。メーカーが車やパソコンや電化製品などさまざまな製品を作り出しますが、メーカーは知力をフルに働かせて新たな物を創造します。
聖書は、エホバ神が「働き続け」られ、その労によって全世界を造り出されたと教えています。(ヨハネ5:17) 聖書は真の創造者について次のように述べています。「エホバ,あなたの偉業は何と多いのだろう。あなたは知恵によって全てを造った。地球はあなたが造ったもので満ちている。」(詩編104:24)
ですから、まことの神がその世界を創造された時、それは自然発生したのではなく、神は「知恵」をフルに働かせて無数の物を創造してくださいました。それは、人間世界で、設計者が創意工夫をこらして製品を作るのと同じです。 ですから、私たちは神が愛に基づいて知恵をふりしぼって世界を創造してくださったことに感謝できるのではないでしょうか。このような方こそ、わたしたちの崇拝を受けるのにふさわしい方ではないでしょうか。
聖書の記述は現実に起こることと調和しています。一方、イザナギが体を洗って汚れを落としただけで、神々が自然に産まれたという記述は、何もわたしたちに神に対する敬意を育みません。また、わたしたちが知っている世界の実情に反しています。
このことからも古事記に書かれている自然発生した神々の記述は、まったく、あり得ない作り話であると言えるのではないでしょうか。全宇宙を知恵をもって創造された神が存在されるという聖書の記述の方が理性的に受け入れられるのではないでしょうか。
(5)実在しない神ではなくわたしたちの救い主となってくださるまことの神を崇拝しましょう
古事記の中で神々や日本の成立について述べられていることは、神話であり、まったくの作り話であり、偽りで事実ではありません。その話はまったく不合理で、信じるに値しません。
でも、わたしは古事記に述べられている現天皇の先祖に関する記述がすべて作り話であるとは考えていません。古事記の中には、実際にあった史実も含まれているかもしれないと思います。ですから、今の天皇が古い歴史を持っているだろうとは思います。
でも、古事記に日本の神について書かれていることは、不合理で、実際に起きたことだとは決して思いません。それで、伊勢神宮などでは、多くの神々が祭られていますが、そのように神々の存在するという信仰の元になっている古事記の記述は、合理的な現代人が信じることのできる真実の記録だとは思いません。
それで、わたしは天皇制の存在と存続に反対はしませんが、古事記の神話の部分の記述は事実ではありませんし、その中に記述されている神々は、存在しないと思います。存在しない神を崇拝しても、何の益にもなりません。
聖書はこのように勧めています。「心を尽くしてエホバに仕えなさい。実体のないものに従おうとしてはなりません。そうしたものは役に立たず,救ってもくれません。実体がないからです。 」(サムエル第一12:20-21)
そのように現実に存在しない偽りの神を崇拝しても、日本が苦難に直面した時救ってはくれないでしょう。実在していないからです。また、そのようにすることによって、まことの神エホバ神に是認されることはありません。
まことの神はご自分について次のように言われています。「それは私エホバではないか。私のほかに神はいない。正しい神,救い主は,私以外にいない 」(イザヤ45:21)
エホバ神は実在しない神なのではなく、確かに存在しておられる救い主です。エホバ神だけが苦難に直面したご自分の崇拝者を救ってくださいます。私たちは創造者であり至高者であるエホバ神だけを崇拝しましょう。
He is a cross pendant.
He is engraved with a unique Number.
He will mail it out from Jerusalem.
He will be sent to your Side.
Emmanuel
Bible Verses About Welcoming ImmigrantsEmbracing the StrangerAs we journey through life, we often encounter individuals who are not of our nationality......
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