イエスと統治体の権威に関する聖書的な考察(7)今日の証人の状況とわたしヨハネの経験

正しいか間違っているかは別として、私は最善を尽くしましたが、これらは私の意見を表明しているだけです。

 

  ヨハネです。先回の記事で、一世紀のエルサレム会衆は必ずしも当時の諸会衆の唯一の本部ではなく他の会衆も自主的に行動していたことを説明しました。ですから、今日、昔のエルサレム会衆の役割を果たしていることを主張する統治体の統治下にある証人の組織だけが七つの会衆とは言えません。 

 今回は、証人たちの組織の外に、聖書に忠実であろうとする聖霊で油そそがれたクリスチャンが存在すると言える理由を説明させていただきたいと思います。それで、今回は、今日エホバの証人の状況はどうなっているか、また、わたしヨハネはこの点でどのような経験をしたか二つの点を取り上げたいと思います。

(1)エホバの証人の今日の状況はどうなっているか

 私は、エホバの証人が、性的な不道徳や偶像崇拝などの神の律法に違反する行いに対して基本的に毅然とした立場をとり、そうした罪を犯す信者を排斥するということを知っています。 

 確かに、証人たちは世界のある地域の会衆の児童の性的虐待が、問題になりました。性的な虐待を犯した長老や奉仕の僕(以前の呼称今は援助奉仕者)(テモテ第一3:8)がそのまま放置されたということが世界の各地でありました。しかし、それは、証人たちの常態ではありません。 

 わたしは個人的に性的な不道徳のゆえに排斥されてしまった経験を持つ証人の信者を何人も知っています。わたしは、性的な不道徳を避けるという点では、聖書の要求に従うように多くの証人の会衆で努力が払われていると思います。 

 聖書は、神の律法に違反している世の人とは交わることができまずが、クリスチャンは、会衆内で、神の律法違反をする者とは接することをやめるようにと指示しています。(ガラテア5:9-11新世界訳改訂版)

 

 また、わたしは証人たちが、世界の各地で、地震や津波などの災害の時に、被災地の証人や一般の人たちに利他的な愛を差し伸べたことを知っています。証人たちの中には、そのような愛ある善意の兄弟たちが存在しています。さらに、証人たちの本部や支部も、被災地の信者を助ける組織的な愛ある努力を払っておられると思います。

 

 言うまでもなく、知識よりも、確かに愛が重要です。(コリント第一13:8,9,13)しかし、正確な知識を得ることも神のご意志です。「神は,あらゆる人が救われて,真理の正確な知識を得ることを望んでいます。 」(テモテ第一2:4新世界訳改訂版) 

 しかしながら、証人の組織から排斥されるのは、イゼベルのように性的な不道徳や偶像崇拝を行なうクリスチャンだけではありません。統治体の兄弟たちが教える教理と同意しない聖書の正確な知識を重んじるよう努めるクリスチャンも排斥されます。 

 そうしたクリスチャンは、神の律法を守っていても、そして、その主張が少なくとも、当人の観点からは、聖書に基づいていたとしても、ただ統治体の教える証人の教理と異なっていることを信じたり、教えたりするならば排斥されます。

 

 例えば、以前の新世界訳聖書の訳の仕方について異議を唱えた、日本人の聖霊で油そそがれたクリスチャンがおられました。わたしはその兄弟の作成した文書を少し読みました。わたしはその兄弟の言われることにすべて同意しているわけではありません。 

 しかし、少なくとも、その兄弟は、ご自分の見地からは、聖書に基づいて語っておられたと思います。そして、わたしは、その兄弟がとにかく、とても聖書に精通していて、神に不忠実になろうとする意図は持ってはいなかったのではないかと思います。 

 その兄弟は、聖書に熱心であり、証人の組織に対してもかなり、信頼を持っていたと思います。でも、その兄弟はとにかく、統治体と意見が異なっていました。その兄弟は、証人たちから排斥されてしまいました。 

 その兄弟の排斥には、証人の本部、すなわち統治体あるいは支部からの指示があったのではないかと思われるふしがあります。

 

 わたしは統治体が、ある兄弟が聖書に基づいて論じていると考えるならば、それに同意できない部分があっても、そのように主張する信者を大目に見ていたら良かったのにと思いました。なぜなら、一世紀のエルサレム会衆の監督団は、自分たちの構成員の意見と異なる意見を語った聖書から論じたパウロを排斥しなかったからです。 

 そして、パウロが割礼の問題で聖書から論じるためには、幾年、あるいは何十年も要しました。聖書的な論議が行われて解決するためには、時間がかかるからです。とりわけ、聖書に基づいた忠実な解釈に関心のある人は、長年、聖書を読んでいると聖書の理解が変わる場合もあるかもしれないからです。 

(2)わたしヨハネの経験 

 わたしは、最初、証人から音信を聞いた最初から、天に行ってエホバ神にお会いしたいという強い願いを持ちました。その時、証人たちから天的な召しはほとんど終わっていると学び、非常につらいことでしたが、天的な希望をあきらめるように努めました。

 

 わたしは熱心なエホバの証人の奉仕者でした。さらに、証人の統治体には、深い敬意を持っていました。イエスが、羊はイエスの兄弟に協力することを求めていたことを知っていたからです。(マタイ25:40)わたしは証人の教え全体を熱心に調べて受け入れ、そして、証人の出版物の記事の勧めに従って、聖書を定期的に読んで聖書に対する理解を深めていきました。

  ネットの中で、証人たちが組織の崇拝者であると言われていますが、実際わたしも証人の組織の崇拝者の一人であったと思います。わたしは証人の出版物にある教えは、小さいことでも守るように努力をしてきました。長老たちが言うことが、出版物に調和しないということにも気づくことがあるほど、普通の長老たちより、統治体の教えに熱心だったと思います。

 

 でも、統治体の勧めに従って、聖書を読み進めていくと、統治体の教えの一部が、聖書の言うことと調和しないことに気づくようになりました。そして、組織を崇拝して組織に盲従するのではなく、第一に聖書の神エホバを崇拝しなければならないと考えるようになりました。

 

 今からおよそ20数年前のことになりますが、わたしは聖書に基づいて、啓示の書のイエスの右手の上にある七つの星は、聖霊で油そそがれた監督を表すのではなく、男女を含む聖霊で油そそがれたクリスチャンであると考えました。そのことについてなぜそのように考えるのか聖書に基づいて論じた英語の手紙を書いて本部の統治体に送りました。 

 その頃に、自分が聖霊で油そそがれたクリスチャンとして神から召されているという自覚が強くなり、一年はその衝動を押さえたのですが、象徴物にあずかり始めました。でも、統治体からは、わたしのその理解がなぜ聖書的に間違っているのかを論じるお返事はいただきませんでした。 

 わたしは、わたしが書いた手紙を統治体は、日本の証人の責任ある立場にある人には、転送したのではないかとも思うのですが、とにかく、日本の責任ある立場にある監督がわたしと聖書から論じるということもありませんでした。でも、統治体は、わたしの手紙を日本の支部にシェアすることはなかったのかもしれません。 

 さらに、わたしは2004年9月頃に啓示17・18章に登場する大いなるバビロンが偽りの宗教の世界帝国でなく、米国であると考え始めました。わたしは最初は聖書の全体的な調和から考えて、そのように考え始めました。 

 その後、統治体の兄弟に、なぜわたしがそのように考えるのかを聖書から論じる手紙を送りました。さらに、ニューヨークにあった本部を訪問して、文書を本部のベテル奉仕者に渡して、統治体の兄弟たちに渡してもらうよう頼みました。わたしはその時すぐには排斥されませんでした。  

わたしは証人の旧本部に聖書から論じた文書を持っていき渡しました

 

 また、その後、日本の地元の会衆の長老たちにも、わたしがなぜそのように考えるのかを示す聖書的な根拠を説明した文書を提出しました。でも、統治体の兄弟たちからも、地元の長老たちからも、わたしの論議がなぜ間違っているのかを聖書から論じる文書はいただきませんでした。さらに、聖句からわたしが間違っている点を口頭で指摘されることもありませんでした。 

 その後、わたしはある程度の期間、エホバの証人としてとどまっていましたが、しばらくして、「背教」という理由で、地元の証人の会衆から排斥されてしまいました。わたしは、その排斥の背後には、何らかの統治体の指示があったのではないかと思います。 

 聖書に基づいた信条を持つことは重要なことです。また、証人たちは、その信条の根拠は、神の言葉聖書であると主張しています。ですから、わたしは統治体の兄弟たちが、わたしの聖書の解釈に同意をしないのであれば、なぜそうなのかを聖書からわたしに説明するべきだったと思います。 

わたしは統治体に聖書から論じた手紙をお出ししたので統治体はどこが間違っているか聖書から論じたお返事をくださるべきだったと思います

 

 そうすれば、わたしは統治体が言われることに基づいて、その上で、聖書に基づいてさらに考えてみたと思います。わたしも、エホバ神とイエス・キリストに不忠実になろうとする意図はありません。わたしは聖書を愛していて、聖書が述べようとすることを正確に理解したいと願っています。 

 わたしは排斥されても、エホバ神とそのみ言葉聖書に対する信仰は失いませんでした。わたしは自分がエホバ神から非とされているとはちっとも思いませんでした。わたしは聖書に基づいて語っていたので、エホバ神とイエス・キリストのみ前に正しいことをしているという自覚がありました。 

 わたしは聖書の研究と、神への祈りを続けました。そして、聖書研究を続行すると共に自分が見い出した大いなるバビロンは国家であるという確信は、深まっていきました。そして、自分が見出した聖書からの発見を一般の公開するために、ネットでブログを始め、今日に至ります。 

 それで、今日の証人たちの状況は、一世紀の状況と異なります。一世紀のエルサレム会衆の年長者団は、自分たちの意見や立場と異なるからといって、聖書から論じるパウロを排斥することはありませんでした。聖書から論じるパウロの話に耳を傾け続けました。 

 しかし、今日では、統治体の教える教理とその方針に反するならば、聖書に基づいて論じられているクリスチャンも証人たちの組織から排斥されてしまいます。そして、多くの場合、その聖書に基づいて考えられているそのクリスチャンの解釈について、それがどうして、聖書的でないかということを聖書から論じた統治体からのお返事はありません。 

 もちろん、統治体の兄弟たちは、ご自分たちの世界的な組織の世話で大変お忙しいと思います。でも、聖書的な根拠に基づいた証人の信条に対する異議は、重要なことで、いずれ時間をとって考慮する必要があると思います。  

 わたしは自分が証人たちから排斥された時の自分の理解がすべて正しかったとは思いません。それ以降、聖書を研究して、大いなるバビロンはひとつの国家であるという理解に対する確信は深まっていったのですが、その他の点でも、証人たちの解釈と異なる点が徐々にですが、増えてきました。 

 でも、わたしは証人たちの統治体が、創造者と神の言葉聖書を信じ、神の律法を守ろうとしているその立場に反対しているわけではありません。また、三位一体と地獄、霊魂不滅の教理を否定する統治体の理解は正しいと思います。 

 私は、生涯死に至るまで、エホバ神とそのみ言葉聖書とイエスに忠実を保ちたいと願っています。自分が聖書の正しい教えだと考えることに従ったので、排斥されたのであって、自分がエホバ神とイエスに非とされたとは考えていません。 

 ですから、聖書とその言葉に忠実でありたいと願って努力をしている聖霊で油そそがれたクリスチャンが証人たちの組織の外に存在するという事態が起こっています。 

 その聖霊で油そそがれたクリスチャンはエホバの証人の組織から排斥されたとしても、神やイエス・キリストや聖書に対する信仰を投げ捨てたいとは考えていません。 

 神の律法に不忠実なイゼベルが七つの会衆の一つに属していたのですから、たとえ、自分の観点からであっても、神に忠実を保ちたいと願っているその聖霊で油そそがれたクリスチャンは七つの会衆に属し続けていると考えるのが妥当なのではないでしょうか。 

性的な不道徳を行なうかの女イゼベルが七つの会衆のひとつテアテラ会衆に属していたのであれば・・・ 

神の律法を守り聖書に忠実に従いたいと願う聖霊で油そそがれたクリスチャンは証人から排斥されていても七つの会衆に属していませんか

 

 ですから、七つの会衆の中に属しているのは、エホバの証人の中の聖霊で油そそがれたクリスチャンだけでなく、証人でないクリスチャンであっても、忠実であっても不忠実であっても、神の王国を目標とする立場を表明しているクリスチャンであるとみなすのが妥当だと思います。 

イエスの管理下にある七つの会衆とは証人の組織だけでなく世界中の天的希望を表明しているクリスチャンを意味する

 

 そして、最後に神に是認され神の王国に入るのは、証人であるかどうかにかかわらず、聖書に調和した正確な知識を持って「終わり」まで、「たとえ死ぬことになっても,忠実であり続け」る聖霊で油そそがれたクリスチャンになると思います。(啓示2:10。マタイ10:22新世界訳改訂版)

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