イエスと統治体の権威に関する聖書的な考察(8-2)教会の現状とキリスト教集会の出席の勧め

正しいか間違っているかは別として、私は最善を尽くしましたが、これらは私の意見を表明しているだけです。

 今回の記事は、イエスと統治体の権威というシリーズとは、少しテーマが異なりますが、ひとつには今日のキリスト教の教会がどのような状況にあるかを説明したいと思います。

 次の点として、エホバの証人の集会であっても、キリスト教会の集会であっても、出席することには益があり、神の保護と助けをもたらすと考えられるという点について話したいと思います。そのため、その集会に不十分な点があっても、まだ聖書研究が十分に行われていない現在、出席することが私たちの益となり勧められる理由について話したいと思います。

(1)一部のキリスト教会は牧師が証人の統治体のように聖書から論じることを拒否する場合がある 

 今回、キリスト教会で、証人たちの統治体にあたる牧師が、ある分野では、聖書から論じることを拒否する場合があることをお伝えしたいと思います。キリスト教会は多くの場合、三位一体を教えています。ある教会の牧師は、三位一体の教えは教会の土台となる伝統なので、聖書から論じるということはしないとはっきり言われました。 

 また、別のキリスト教会では、証人が殺人や性的不道徳を退ける努力を払うことをきらっていて、その点で、証人はキリストの贖いに不信仰でまるで間違っているかのように言いました。神の律法に従うことを強調すると、教会に人は来なくなることを恐れているようです。わたしがその点で証人と同じ考え方をしていることを非難されました。そのために、ある教会の牧師はわたしのその教会出席を望まなかったようでした。 

  わたしは、どのキリスト教のグループにしても、神の律法に従う努力をしないならば、エホバ神の保護と祝福は得られず、敵の迫害による死亡率は高くなってしまうと思います。

 わたしたちが神の「律法を忘れ」ないということが、神がわたしたちを「守り,助け出し」、「生き続けさせて」くださるという結果になります。(詩編119:153,154新世界訳改訂版)神がもたらす天からの保護を度外視してはならないと思います。

 

 一般的に、若い人は証人たちからもキリスト教会からも離れていっている傾向があります。証人、あるいはキリスト教会が聖書から離れている点にひどく批判的になっていたり、進化論や無神論の影響を受けたり、聖書の反対者の影響を受けている若い人たちもいるでしょう。  

 しかし、それでも神の律法に従うことを強調する証人たちやキリスト教会の方が、若い人の出席率がいいように思います。若い人は普通、神の律法に従うことをきらうように思えますが、神の律法や、家族の大切さが強調されていることに案外感謝をしているようです。それで、神の律法を強調することは、必ずしも、若い人を遠ざけず、神の祝福をもたらすのでしょう。 

 さらに、わたしの知っている証人たちの王国会館でも、若い人の出席率の良い教会の場合も、パソコンと大画面のスクリーンや賛美の音楽や演奏を用いていて、聴衆の注意をひいています。現代的に視覚と音楽に訴えるところが若い人をひきつけているのかもしれません。さらに、出席率の良い集会では、聖書からの教育のレベルがいい傾向があります。 

 それで、キリスト教会では、証人の統治体にあたるのが、個々の教会の牧師です。そして、教会にとっては、おおむね、三位一体の教えが、その中心的な教えです。 

 まるで証人の統治体のように教会の牧師は三位一体の教えに関しては、聖書から論じようとしません。そして、わたしは少なくともふたつの教会からは、三位一体の教えを受け入れないので、教会にこないでくださいと言われました。

  しかしながら、youtubeなどの動画で確認すると、海外でも教会によっては熱心な聖書研究が行われていて、聖書預言の解釈を行なう努力が払われています。また、三位一体を奉じる日本の教会でも、聖書研究によって、聖書の教えを理解しようとする努力が払われています。 

(2)キリスト教の聖書の集会が完全に正確な知識と調和していなくても出席した方がいい理由 

 エホバの証人やキリスト教会の聖書の解釈に間違いがあるからといって、どこのキリスト教の集まりにも出席しなくなるのは、良くないと思います。クリスチャンは、どこかの集会に交わるというのは、エホバ神の命令だと思います。ヘブライ書には、「仲間と集まることを怠ってはなりません。よく欠席する人たちに倣わないようにし,いつも励まし合いましょう。」と命じられています。(ヘブライ10:25新世界訳改訂版) 

ロシアの証人の王国会館での集会

http://jhwww.narod.ru/sakhalin.html

証人の集会では聖書からの良い教育が行われていて有益だと思います

 

 格言にも、「自分を孤立させる人は自分の欲求ばかり満たそうとし,あらゆる役立つ知恵を退ける。」とあります。(格言18:1新世界訳改訂版) 孤立すると実際的な知恵に逆らって行動することになると述べられています。 

 ペテロ第一の手紙には、「皆さんは信仰を抱いているので,・・・神の力によって守られています。 」とあります。(ペテロ第一1:5) それで、信仰を抱いているならば、保護されます。 

 それで、孤立しているよりも、どこかの証人の集会、あるいは他のキリスト教の集会に交わるならば、神の保護があり、生存率が高くなると思います。教会の人の小さな信仰でさえ、神はその祈りを聞かれて助けてくださると思います。 証人の集会にも教会にもご年配の方が交わっています。例えば、どこかの国の修道女の平均寿命がとても長いという情報を聞いたことがあります。それで、証人でなくてもその信仰にエホバは応じてくださっているのではないかと思いました。 

 しかし、上で述べたように、どのキリスト教のグループにしても、神の律法に従う努力をしないならば、エホバ神の保護は得られず、敵の迫害による死亡率は全体的に高くなってしまうと思います。(詩編119:153,154新世界訳改訂版) これは、全体的な印象ですが、どちらかというと、同性愛を認めているような教会では死亡率が高いように思います。私が過去にしばらく交わっていた日本基督教会では、個々の教会によって違うと思いますが、同性愛や偶像崇拝を大目に見ていて、ご年配の方のお葬式が頻繁にあるような気がしました。同性愛は、それ自体不健康な生活スタイルで、偶像崇拝をすれば、エホバ神の保護は失われるでしょう。 

  そして、エホバ神を崇拝していることを公言して、神の律法を守るよう努めている証人のグループの方が、明るく喜びがあり、なおかつ生存率が良い傾向があると思います。そして、これは、全体的な印象なのですが、一般的に、神により頼む信仰がなく、神の律法を度外視して生活している互いに助け合わない孤立しがちな一般の人の方が死亡率が高いように思います。 

   証人の教えは、間違っている部分もあります。とりわけ、その預言的な部分はそうです。しかしながら、わたしはブログで、聖書の解釈を公表してきましたが、わたしの解釈も、最初は証人の教えを鵜呑みにしていて、聖書で十分検証しなかったので、間違いもあったと思います。

 もちろん、自分はエホバの証人の統治体よりも、より正確に聖書を理解していると考えています。また、聖書の研究を続けることによって、新しい発見が数多くあり、より一層聖書についての理解が深まっています。聖書がより明確に理解できるようになってていると感じています。でも、そのわたしも現時点では、聖書を100%正確に分かっているわけではありません。

 ですから、聖書を100%正確に理解し解釈できていないのであれば、わたしはエホバの証人も、他のキリスト教会も、いわゆる五十歩百歩で、あんまり変わりはないと思います。エホバ神の目にどこかの点で間違っているわけです。わたしも、その点で同じです。わたしも聖書を100%理解しているわけではなく、間違った判断をすることもあります。 

 もちろん、より正確な知識に基づいて行われていて神の律法に従うように奨励しているキリスト教のグループに交わった方がいいと思います。愛を示すよう努力が払われているグループは交わりやすいです。この点では、キリスト教会毎、また、エホバの証人の会衆毎に違っていて、どこのキリスト教の団体でも、一長一短があると思います。 

 ですから、どこのキリスト教の集会の聖書の教えも進歩の途上にあると考えて、最低限、キリスト教の神に信仰を抱く人の集まりに集まって信仰を励ましあうのがいいのではないかと思います。 

 わたしは、現在でもキリスト教関係の集まりに出席するよう努めていますが、そうすると、どこの集まりでも、何らかのメリットがあります。新たな聖書に関する気づきがあったり、役立つ実際的な情報を得られたり、新たに愛すべき人、友達になれそうな人を見つけることができる場合もあります。 

 例えば、証人たちの集会に行けば、証人の集会では、聖句がたくさん引用されるので、聖句に精通する助けになります。 

 わたしたち人間は基本的に社会的な存在です。私たち人間は、ずっと孤立してひとりで生活するようには意図されていないと思います。ひとりで学習することに時間を割くことは益がありますが、私たちはクリスチャンは互いに愛し合うように命じられています。(ヨハネ 13:34) 

 聖書は孤立することを勧めてはいません。エホバは,「あなたのためになる生き方を教え」ると述べられています。(イザヤ48:17新世界訳改訂版)孤立しているならば、自分が他の人に愛を示すことができず、また反対に実際的なサポートは得られません。エホバは、わたしたちクリスチャンの益のために、クリスチャンが集まりあうことを勧めてくださっていると思います。 

 集会に行けば、他の信仰の人と知り合って、話し合うことは、心を温め、また、生活に役立つ情報を得られたりすることもあります。信仰の家族から、肉の家族と同様に、あるいはそれ以上の助けが得られることがあります。ですから、キリスト教の集会に行くことは何らかのメリットがあります。 

 それで、どこのキリスト教の集まりでも、限定的な益があると思います。イエスは「2人か3人が私の名によって集まっている所には,私もいるからです」と言われました。(マタイ18:1)つまり、イエスはそうした集まりに注意を払ってくださっていると思います。 

イエスは二人か三人以上のご自分の名による集まりには注意を払ってくださることを約束された

 

 もちろん、わたしも、聖書朗読をする定期的な集まりを設けることができた場合、多くの方に来ていただければ嬉しいです。可能であれば、聖書朗読の集会を設けて、聖書の啓発的な教育を行いたいです。 

 たとえ、イゼベルのような女性やその淫行の相手であっても、悔い改めるなら、再び、エホバに受け入れられることになります。反対に、現時点で、神に是認されていても、神に忠実を保たなければ、天の報いを捕らえ損なうことになります。 

 結局、エホバとイエス・キリストによる救いを得る根拠となるのは、現在の状況ではなく、聖霊で油そそがれたクリスチャンの最終的な状況です。最後まで、忍耐して忠実を保ったクリスチャンが救われることになると思います。イエス・キリストも「終わりまで耐え忍んだ人が救われます」と言われました。(マタイ10:22新世界訳改訂版) 

 ダニエル書によると、聖書についての真の知識は聖書研究の進展によって「真の知識が満ちあふれ」ることになっています。(ダニエル12:4新世界訳改訂版)将来的には、聖書の教理や預言についての正確な知識が求められることになると思います。 

将来聖書の研究が進み真の知識が満ちあふれる時にはクリスチャンに正確な知識が求められることになるでしょう

 

 しかしながら、現時点では、聖書についての知識と信仰のレベルがさまざまな神の王国の希望を表明しているクリスチャンが、証人であると、キリスト教会の成員であるとを問わず、七つの会衆の成員であるということになると思います。そして、現在まだ不十分な点があっても、そのどこかに出席することによって、神とイエスの是認を求め、また、その交わりから益を得られると思います。

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