「火のような色の大きな龍・・・その尾は天の星の三分の一を引きずって、それを地に投げ落とした。」(啓示12:3,4)
エホバの証人の組織の中心になっているのは、聖霊で油そそがれたクリスチャンすなわち天的希望を持つクリスチャンです。とりわけ、エホバの証人は、油そそがれた長老、その中でも、統治体の兄弟たちを重要視しています。しかし、聖書は油そそがれたクリスチャンに盲従することの危険性を示しています。なぜなら聖書は天的希望を持つ者のすべてが最後までエホバに忠誠を保つわけではないことを示しているからです。(啓示2:14,20。テモテ第二4:10)
油そそがれたクリスチャンは、天的召しを受けたからといって救いを捉えることが保証されているわけではありません。それは、私にも言えることですが、油そそがれたクリスチャンのエホバに対する立場は流動的です。聖書は多くの油そそがれたクリスチャンが天的な召しを受けた後、サタンの影響力により、エホバに対して不忠実になってしまうことを示しています。(啓示2:14,20。テモテ第二4:10)
啓示の書は、サタンが天の星の三分の一を引きずって、それを地に投げ落とすと述べています。エホバの証人は、この聖句は、サタンがかなりの天の霊者のみ使いたちをエホバから引き離したという意味であると解釈しています。しかし、私は聖書中の星という語を検討して、これはサタンが油そそがれたクリスチャンの多くをエホバから引き離すという意味であると考えるようになりました。
聖書が「星」と言う場合、もちろん文字通りの無数の天の星を意味することがあります。(創世記1:16)しかし、預言書の中で、「星」という語は、大抵比ゆ的な意味で用いられています。そして、星は、み子イエスを意味する場合があります。(啓示22:16)しかし、「星」が複数である場合、霊者であるみ使いたちを表すこともあります。ヨブ38章7節で、「神の子たち」つまり霊者たちが「明けの星」と呼ばれています。
しかし、預言書の中で、「星」という語は、天的召しを受けたクリスチャンも意味しています。例えば、イエスの右手の上にある「七つの星」は、油そそがれた「会衆の使いたち」です。(啓示1:16,20)また、ダニエル書の「小さな角」によって地に落とされる「天の軍」の「星」は、北の王によってつまずかされる天的希望を持つクリスチャンです。(ダニエル8:10)また、ダニエル書には、「多くの者を義に導いている」「洞察力のある者」が「星のように輝く」とも述べられています。(ダニエル12:3)この聖句でも、星になぞらえられているのは、油そそがれたクリスチャンです。
では、啓示12章4節の「星」は、み使いたち、油そそがれたクリスチャンのどちらを意味しているのでしょうか。ダニエル書では、「星の幾つかを地に落と(す)」と書かれており、啓示の書の「地に投げ落とした」という表現と類似しています。このことは、啓示の書の投げ落とされた星が油そそがれたクリスチャンであることを示唆していると思います。(ダニエル8:10)
また、啓示12章7~9節で、天で戦争が起こり、悪魔サタンとその使いたちが「地に投げ落とされた」と述べられています。ですから、悪霊たちを地に投げ落としたのは、悪魔サタンではなく、ミカエルであるイエスと彼に従うみ使いたちです。ですから、啓示12章4節で、サタンがみ使いたちを「地に投げ落とした」と述べられているとしたらおかしいことになります。
また、ノアの時代に、天での奉仕から離れたみ使いたちは、サタンに無理やり説得されたからではなく、自分で地上の女たちに対する性的欲望を培って地上に降りて人間の姿をとりました。(創世記6:2)
ですから、これらのことを考えても、啓示12章4節で、地に投げ落とされる「星」は霊者なるみ使いたちを表しているのではないと思います。つまり、啓示12章3,4節は、かなりの数の油そそがれたクリスチャンが悪魔サタンの影響力に屈してしまうことを表していると思います。
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サタンは油そそがれたクリスチャンの一部を不忠実にさせる
それは、エホバの証人の統治体の兄弟たちのように長年真理において忠実を保ってきたクリスチャンにも起こりえる事態です。なぜなら、聖書は、エルサレム会衆の長老団の中で中心的な役割を果たしていたペテロが霊的に危うい事態にあったことを示しているからです。(ガラテア2:9)
ペテロは、非ユダヤ人がクリスチャンになるのに神により用いられたのに、割礼組に対する恐れのために、非ユダヤ人との交わりを避けていたことがありました。(使徒10:44-48。ガラテア2:11,12)ペテロがそのままにされていたなら、ペテロはクリスチャンはモーセの律法から自由になったという聖書の真理から離れ落ちてしまったでしょう。その真理から逸脱は、聖書の他の真理も否定することにつながりかねませんでした。
While Peter was staying at the house of Simon the Tanner in Joppa, he had a vision concerning unclean animals, a symbol of Gentiles, whom Jewish people considered unclean. Messengers arrived from the Roman centurion Cornelius, so Peter went with them (Acts 10:1-48)
ペテロは神が律法を守らない非ユダヤ人を受け入れられているという啓示を受けたが後にその真理を否定しそうになった
しかし、パウロが、ペテロのその行動を戒めました。(ガラテア2:14)そして、長年にわたって会衆への手紙の中でクリスチャンがモーセの律法を守る必要がなくなったことを聖書から論じました。最終的にペテロは、パウロの聖書に基いた論議を受け入れたために、最後までエホバに忠誠を保つことができました。(ペテロ第二3:15)しかし、パウロの霊的援助がなかったならば、ペテロはエホバに是認された立場から離れ落ちていた可能性があります。
初期クリスチャンは、パウロの手紙を読んで、パウロの論議が聖書に基いているか確認しました。(使徒17:11)ですから、あるクリスチャンの主張することが聖書にしっかり基いているか確認する必要があります。
私は、エホバの証人の信条の多くは、聖書に基いていると思います。しかし、その信条や解釈の一部は、聖書と調和していないと思います。大群衆は、油そそがれたクリスチャンの解釈は絶対大丈夫と考えるかもしれませんが、ペテロの例も示しているように、油そそがれたクリスチャンも聖書の正しい解釈からそれることがあります。それで、大群衆に属するクリスチャンは、エホバの証人の組織の信条をただ鵜呑みにするのではなく、それが聖書にしっかりと基づいていることを確認して後、受け入れる必要があると思います。
私は、自分の聖書の解釈にできる限り自分の憶測を入れないように、聖書に基いたものになるように努力を払っています。是非、皆さんに、油そそがれたクリスチャンの論議が聖書にしっかり基いているかどうか確認していただきたいと思います。ベレアの人々のように、「それがそのとおりかどうかと日ごとに聖書を注意深く調べ(る)」ことが必要です。(使徒17:11)そのようにして第一にみ言葉に従うことが大切です。そうすることは、クリスチャンの救いに不可欠です。(ローマ10:2。テモテ第一2:4)
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