助けにはならない言葉
近親相姦の行為について忘れてしまうようにという言葉は普通助けになりません。近親相姦になるわいせつ行為をされた女性の多くは,その出来事を簡単に忘れてしまうことなどできません。ある人々の場合それは意識に刻みつけられていて,感情的な傷のようになっています。
一人の被害者は次のように言いました。「私は7歳の時に祖父に暴行されました。それも一度や二度ではありませんでした。私はうぶで,何も知りませんでしたから,されるがままになっていました。しかし今はその影響を絶えず感じています。以後ずっとそれはまさに悪夢のようになっています。その記憶は,しばらくの間わきへ押しやることはできても,またすぐに浮かび上がって来て,胸をむかむかさせます。自分が恥ずかしい,汚らわしい者に思えますが,私のほうが悪かったわけではなかったのです」。
確かに近親相姦の感情的な傷跡は目に見えません。しかし,肉体の傷と同じほど現実のものなのです。ではどのようにすればその傷を持つ人たちを助けることができるでしょうか。一つの方法は,被害者の語ることに耳を傾け,「すっかり話してしまう」ように励ますことです。
助けになるかもしれない言葉
助言をする人は助けることが大切で,批判的であってはなりません。使徒パウロはクリスチャンたちに,『互いに親切にし,優しい同情心を示す』ことを勧めています。(エフェソス 4:32)ですから、近親相姦の相談を受けるどんな人もとびきり親切でなければなりません。
父親に犯された一人の女性は,次のように語っています。「一番大事なことは,ショックを受けたような素振りをしないことです。細かい事柄をいちいち問いただすのではなく,話される事柄を何でもそのまま聞くようにして,冷静な態度を保ち,同情心を示すことです。被害者の感情を理解するようにしていただきたいと思います」。
冷静な態度を保ち,同情心を示すのは必ずしもやさしいことではありません。なぜなら、ある婦人は自分の問題を話す時によく興奮し、時にはけんか腰になって話すことさえあるのを認めています。「優しい同情心」を抱く円熟したクリスチャンなら,そのような態度が自分個人に対するものでないことにすぐ気づくことができます。それは心の動揺の表われなのです。(フィリピ 2:1‐4)
話を聴いたり,慰めたりすることは、本当に助けになります。ある被害者は,「年上のある姉妹とそのことについて話して,本当にほっとしました!私は……その人と一緒に泣きました」と語りました。(ローマ12:15)別の人は,「話を聴いてくれる人がいるということが一番大きな助けになったように思います」と言いました。
ですから、近親相姦の被害者に助言を与える人々は,エホバ神と同じように,相手の言うことに耳を傾ける必要があります。(詩編 69:33)聖書は「他の人が自分より上であると考えてへりくだった思いを持(つ)」ようにと勧めています。(フィリピ2:3)それで、相談を受けた人は、苦しんでいる被害者が自分より上であると考えて、被害者の感情を見下したりすることなく、思いやりをもって耳を傾けることが大切です。
性急に意見を述べたり,判断を下したりする必要はありません。(箴言 18:13。ヤコブ 1:19)もし被害者の感情的動揺が激しいなら,経験の深い助言者は,その動揺の理由とそれに対処する方法を見定めるよう,その人を助けることができるでしょう。
次のような質問は隠れた感情を引き出す助けになるかもしれません。「どんなことがあったか話したいと思いますか。自分自身についてどう考えていますか。お父さん[あるいはおじさん,またはだれでもその人を犯した人]についてどう考えていますか。そのことで自分を責めていますか。そのようなことがあったから自分は他の人たちより悪いと考えていますか」。
愛のある助言者なら,答えを聞いてもショックを受けてはいないことを示すでしょう。むしろ,そのような気持ちは別に珍しいものではないということを説明するでしょう。そのことを知って気持ちが軽くなった人たちもいます。
もし被害者が,自分の経験した事柄のために,自分は価値のない人間だと考えていたらどうでしょうか。祖父,父親,そして継父に犯されたある若い女性は次のように語りました。「助言者は,その人が大いに価値があるということに気づくよう助けるとよいと思います。私も,自分は学校の友達とは違うのだと考えていたものです。友達とくらべて自分は汚れていると思っていました。それから十代の時に何度か問題を起こしたことがありました。しかし今では,エホバがこのことでいつまでも私をとがめだてされることはないということを知っています。エホバは私を価値のある者と見てくださいます」。(詩編 25:8)
イエスは、ご自分の言葉に関心を持つ人々に対して、「あなた方の頭の毛までがすべて数えられているのです。それゆえ,恐れることはありません。あなた方はたくさんのすずめより価値があるのです。」と言われました。(マタイ10:30,31)それで、神の言葉に関心を持つ人は、髪の毛の数さえ神に数えられているほど、神から深い関心を払われており、神にとって価値があります。
被害者が憤りを感じていることもよくあります。リンダ・T・サンフォードは自著「物言わぬ子供たち」の中でその理由を説明してこう述べています。「子供は大きくなるにつれて性活動の真の意味を知るようになり,大人が自分に対して大変不当な行為をしたことを悟り,裏切られたような気持ちになる。その年上の人を尊敬し,信頼していたのに,大丈夫だと言ったその人の言葉は真っ赤なうそであったことを知るのだ」。
それでも助言を与える人はその人を助けることができます。その人が怒る気持ちはよく分かること、そして被害者の怒りが正当なものであることを認め、エホバも、悔い改めない罪人に怒りを抱き続けられるということを親切に指摘できます。(ヨハネ 3:36)
聖書は、「隠されているもので明らかにならないものはな(い)」と述べています。(ルカ8:17)そして、近親相姦をした人がひそかに隠れて罪を犯したと考えていても、エホバは、昔ノアの洪水の前の時代や、ソドムとゴモラの性に狂った人々を裁かれたように、近親相姦をして悔い改めない人を裁かれる時が来ることを述べることができるかもしれません。
しかし,怒りに負けてしまうことの危険も巧みに指摘しなければなりません。(エフェソス 4:26)優しく次のような質問をしてこの点をよく考えてみるように助けられるでしょう。「その怒りは役に立っていますか。それとも害を及ぼしていますか。その怒りにひどく影響されているということは,今でもその人があなたの生活に影響を及ぼすのを許しているということですか。その人が罰も受けずにうまく逃げおおせたと本当に思えますか。エホバはひそかに罪を犯した者たちに対してさえ裁きを行なう方ではないでしょうか」。(詩編 69:5。ルカ 8:17。ローマ 12:19)
被害者から相談を受けた人は、何よりも辛抱強く愛をもって時間をかけて被害者の言うことに耳を傾けることができます。そして、聖書の神のお考えに注意を引いて、罪悪感を感じている被害者が神にとって価値ある者であることを述べることができるでしょう。
次回は、「近親相姦の傷跡を癒す-神は理解して助けてくださる」の記事をアップしたいと思います。
※この記事は、ものみの塔1984年1/1の記事「近親相姦の被害者に対する援助」を参考にして作成されています。
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