七転び八起き”
ラスベガス日本人教会 砂漠の地ラスベガスから乾いた心に命の水を
今日は、‘七転び八起き’ということを考えてみました。人生には、色んな行き詰まりや挫折があります。失業や倒産、病気や離婚、また様々な人間関係のつまずきがあります。ある場合には、決定的な打撃を受けて、そこから立ち上がることができず、その苦しみから解放されるために死を選ぶ人もおられます。最近の象徴的な社会現象の一つと言われている自殺者の数は、日本では交通事故による死亡者の3倍以上もあるそうです。また平成10年以後は13年連続して自殺者の数が3万人を突破しています。この数字は、世界的に見ると、先進国の中で、人口に占める割合としては世界一だそうです。もしこの人たちが神を知っていたら、きっと違う道を歩まれていたに違いありません。日本に昔からある諺に「七転び八起き」というのがあります。これは、多くの失敗にもめげず、そのたびに奮起して立ち直ること。また、そこから転じて、人生には浮き沈みが多いということのたとえです。つまり、「七回転んでも、頑張って、もう一回起きるんだよ」ということを言っているわけです。旧約聖書の箴言に、「正しい者は七たび倒れても、また起き上がる」(24:16)という言葉があります。聖書では「七」は完全数を意味しますから、「七たび倒れる」というのは、完全な「ノックダウン」ということです。つまり、完全に打ちのめされて、立ち上がれない状態を意味しています。ところが、それにも拘らず、聖書は、「正しい者は七たび倒れても、また起き上がる」と言っています。箴言に度々出てくる「正しい者」というのは、神を信じ、信仰に生きている人のことです。つまり、キリストの十字架の贖いによって神との生きた関係を持っている人は、たとえ何度倒れても必ずまた起き上がることができます。いやそればかりか、起き上がる度ごとに神の愛と力を経験し、信仰が増し加わり、練り清められた品性を身につけるのです。ところで、あなたは木の年輪を注意して見たことがありますか? 年輪は毎年一本ずつ増えていきますが、その中心は真ん中でなく北側に片寄っています。それは、日光と南風を十分に受けて育つ南側はよく成長するので年輪の目幅が広くなり、反対に北側は寒さから身を守るために厚い皮をつけて戦うので年輪の目幅が狭くなるからです。しかし、木が伐採され、製材されるときは、陽の光を受けて育った南側の部分は板になり、北風を受けて育った部分は柱になります。柱は家の重みを支える重要な部分です。つまり材木でも、逆境で苦労して鍛えられた部分は、建物を支える大切な目的のために用いられるものになるということで、ここに人生の教訓があります。人生には浮き沈みがあり、順境の時も逆境の時もあります。もちろん、誰も逆境の中を通ることを望みません。しかし、人生は長い目で見れば、むしろ順境の時よりも逆境の時の方が私たちの益になる場合が多いのです。ですから、もしあなたが今試練の中におられるなら、試練とはそういうものであることを忘れないでください。今日の一言: 倒れても必ず立ち上がることができる平安鶴田健次ブログランキングに参加しています。クリックで応援してください。