御言葉に忠実に生きる チャック・スミス
ラスベガス日本人教会 砂漠の地ラスベガスから乾いた心に命の水を
先週、カルフォルニア州コスタメサにあるメガチャーチ『カルバリーチャペル』の主任牧師チャック・スミス牧師が神の御国に凱旋されました。チャック先生を通して成された神様のお働きは、様々なものがありますが、働きの根にあるものは神の御言葉に忠実であった事だと言われています。195年から40年以上にわたり、神様と人々に仕えてくださったチャック先生は、私達クリスチャンにイエス様の僕として生きる姿を残してくださった信仰者の一人です。主の御名を賛美いたします。主がどのように、チャック先生の人生に関わられたかをご紹介いたします。
1927年、カリフォルニア州ベンチュラにおいて、一人の母親が赤ん坊の娘を抱いて、教会にいた牧師のところに急いで来ました。その赤ちゃんは瀕死状態であり、祈ってほしいとお願いしたのです。牧師は、「この問題から目を離し、イエスさまに目を注ぎましょう。」と言いました。母親は、「あなたが、娘を取り戻してくださるなら、私はあなたに自分自身を明け渡します。あなたにお仕えします。」と祈りました。娘はすぐにいやされました。この両親は二ヶ月後に、新たに男の子が与えられました。その子がチャック・スミスです。母は、「私は、この子をとおして、あなたへの約束を果たします。」と祈りました。その日から、母は、私たちを愛する神の知識で、チャックをいっぱいにしました。チャックは、幼いときから聖書に触れ、事実アルファベットは聖書から習いました。しかし、このことをチャック自身が母親から聞いたのは、牧会を始めてから15年経ってからのことです。したがって、彼は、現在の奉仕をしているのは、実に生まれたときから神が用意して、計画してくださったものであることを知ったのです。「けれども、生まれたときから私を選び分け、恵みをもって召してくださった…(ガラテヤ1:15)」とパウロが言ったとおりです。チャックは医科大学に行く準備をしていましたが、主に献身する決心をしました。主から、一時的な病を直すのではなく、永遠のいのちのために働くようにとおっしゃられたからです。そして神学校を出て、献身者としての生活が始まりました。間もなく、一人のクリスチャン女性と結婚しました。そして、ペンテコステ系の教団の牧師として17年間の牧会生活を送りました。その期間は、主からの訓練、実際的な学びの時でした。彼が牧会する教会は人数が少なかったので、牧師給が生活費を満たしていませんでした。けれども、主が導かれるところには、主が必要を与えてくださることを、何回も、不思議な方法で体験しました。彼は、家族を養うために、牧師の他に仕事をしていました。けれども、妻の母親が亡くなったので、仕事を二週間休まなければなりませんでした。戻ってきたときには、なんと、組合から、組合費を滞納したとのことで、仕事につけないと言われました。ただし、経営者側からは、あなたが経営者のポストにつけば仕事に戻れる、けれども、そのときは牧師職を辞めなければいけないと言われました。家には、未払いの請求書が山積みにされています。彼は悩み、夜、こっそりと台所に下りて、請求書を広げ合計してみたら、41ドルもありました。彼は悩み、考え、「教会はうまくなっていないし、牧師はやめて、明日は経営の仕事について話してこよう。」と思いました。 朝に電話が鳴りました。友人からのもので、何と、示されたから小切手を送っておいた、というのです。しかもその額は42ドルとのことで、借金をすべて返済できます。彼は喜び、主を賛美して、興奮していました。しかし、主が彼に語られました。「なぜ、彼らが小切手を送ってくると思っているのか。」「彼らは、信用できる友人です。だから私は彼らの言葉を信用できるのです。」けれども、主はチャックに語られました。「あなたは、わたしが必要をすべて満たす(わたしの神は、ご自身の栄光の富の中から、あなたがいっさいの必要を、キリスト・イエスにあって満たしてくださるであろう。ピリピ4:19)という言葉を持っていたのに、ずっと動揺していた。それなのに人の言葉を聞いたら、あなたは喜び踊っているではないか。いったい、あなたはどちらの言葉を信用するのか。」これは、チャックにとって痛い教訓でした。彼は、神が約束されたことは必ず実現されるということを学びました。子どものように、単純な信仰が必要であることを知りました。(幸いな人より)「私がひそかに造られ、地の深い所で仕組まれたとき、私の骨組みはあなたに隠れてはいませんでした。あなたの目は胎児の私を見られ、あなたの書物にすべてが、書きしるされました。私のために作られた日々が、しかも、その一日もないうちに。詩篇139:15-1」(LVJCCブログ制作チーム:Kao)
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