御恵みの証言-主は生死の瀬戸際で私を御救いくださりました

あなたが信仰上で困惑や困難にぶつかることがございましたら、いつでも私たちにご連絡ください。あなたの助けになることを望んでいます。私たちがキリストの中に互いに愛し合うように。

2005年2月、主の御恵みのおかげで、私は主の福音を受け入れました。牧師は、主はこの世界を愛しておられ、私たちを罪から贖うために、主は自らが十字架に釘付けにされて私たちの罪を背負われ、私たちを御救いくださり、私たちが主を私たちの救世主として受け入れ、主の前で悔い改めて罪の告白をしてさえいれば、主は私たちの罪すべてを御許しくださり、私たちは主の多大な御恵みを受けることができると説教されました。これを聞いて私の心は感動し、私は主イエス様は本当に私たちのことをとても愛してくださっておられると思いました!従って、私は主の善良な信仰者になって最後まで主に従って行くと心の中で決意しました。主イエス様は聖書の中でこう仰りました:「人の子がきたのは、失われたものを尋ね出して救うためである」 (ルカによる福音書 19:10)。「全世界に出て行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えよ。」 (マルコによる福音書16:15)。 これらの御言葉より、私は福音を伝道することは主の御旨であると分かりました。教会に入ることを主から選ばれ、自分の罪を許していただくことの平安と喜び、そして主の御恵みと祝福を受けていたことを考えると、私は主の愛に報い、主の福音を伝道して主の証言をすることに最善を尽くすべきだと思いました。しかも、より多くの人々が主の御救いを受けられるようにすることは、自分のための善行を行っているとも考えられました。

2005年11月15日、私は自宅である兄弟と待ち合わせをして福音を伝道しに行くことになっていました。突然、誰かがドアをノックしているのが聞こえました。ドアを開けてみると、そこには隣に住む叔母がいました。話を聞いてみると、叔母は私に石を粉砕して欲しかったのです。私は断りたかったのですが、彼女はこう言ってきました:「今日行ってくれないと困るわ!他の男3人はこの仕事のことよく分かってないけど、あんたは分かってるでしょう。しかも、あんたはいつもそういう所で働いてるんだから、自分の作業量は減らして、彼らにやり方を教えてやってちょうだい。いつもより20元余分に払うからさ。」 これを聞いて、私はこう考えました:「仕事の量を減らしてもっと稼げる、それはいいな!こうして、私は彼女と約束しました。叔母が帰った後、私の妻がこう言いました:「今日は仕事には行かないでくれる?兄弟姉妹たちと福音の伝道するんでしょ?」私はこう言いました:「兄弟は何時来るか分からないし。今日はやり方を教えに行くだけで、他の連中よりもっと稼げるんだから。行かないわけがないだろう?」 そして私は道具を手にして振り返らずに出発しました。

運転手のシャオ・ワンは四輪の農業用トラクターを使ってトラックを石でいっぱいにし、私たち5人は石の上に座りました。15キロ(およそ9マイル)ほど行った後、このトラックは運転手がブレーキを踏んでも下り坂ではすぐにはスピードを落とせないことが分かりました。なので、私は平らな路面で止まってチェックするように頼みました。平らな路面上ではトラックに異常は見つかりませんでした。出来るだけ早くに到着したかった私は彼にゆっくり運転を続けるよう頼みました。1kmも行かないうちに、私たちは曲がりのある下り坂にきました。トラックは未だスピードを落とすことができませんでした。そして私はシャオ・ワンが動揺しているのが見えました。彼はブレーキを踏みましたが、ブレーキは利きませんでした。そして彼はハンドルを切りましたがそれも利きませんでした。トラックのスピードは増々速くなっていきました!私はこう彼に叫びました:「慌てないで!慌てないで!スピードを落として!スピードを落として!」 私がどのように叫んでも無駄でした。他の皆も叫びました:「スピードを落として!スピードを落として!」 その瞬間、私はトラックの前部と荷台が左右に揺れ動いているのが見えました。トラックは横転しそうになっていたのです。私はあまりの恐怖感に心臓が飛び出しそうになりました。私はこう考えながらトラックから飛び降りようとはしませんでした:「もう終わりだ!トラックが溝に落ちたら死んでしまう。」

この瞬間、私は突然主イエス様のことを考え、急いで心の中から主に助けを請いました:「ああ、主なる神様、トラックが横転してしまいます。どうか私を御助けください。。。」私はシャオ・ワンが急にハンドルを左に切ったのを見てそれ以上祈りを捧げる余裕がなくなりました。瞬く間に私はトラックと石と共に溝へと落ちていきました。私は石が全部転がり落ちて行くのが聞こえました。突然、私は後ろから誰かに背中を押された感じがして、意識を失いました。

どれだけの時間が経過したかは分かりませんが、私は意識を取り戻しました。私は溝の中で自分が2つの切り株の隣で横たわっているのに気が付き、この切り株は石を遮ってくれていました。私は数回瞬きした後、「おお、私はまだ死んでいない」、と思いました。そして私は両腕を伸ばして足を丸め、体中に何の痛みもなく、傷も出血もないことに気が付きました。胸に少しだけ痛みを感じただけでした。足にも痛みはなく、新しい靴も2つ穴が開いているだけでした。私はゆっくりと立ち上りました。その時、私は誰かのうなり声を耳にしました:「う~ん、う~ん」私が振り返ってみると、他の男性2人が立ち上がれなくなっていました。もう1人の男性は立上りましたが、彼は顔と手が血まみれでした。彼の手の甲は擦れ、指4本が潰れてひどく流血していました。叔母さんは肋骨を手で覆いながらじっと耐えていました。彼女は声を上げました:「痛い!痛い!」運転手のシャオ・ワンは顔色が悪く、高速道路の脇で足を引きずりながら電話で話をしていました。トラックに乗っていた人全員が怪我を負いましたが、私だけが無傷で済んだのです。私はこう思いました:「私は今日こんな危険な交通事故に巻き込まれたのに怪我をしなかった。これは主イエス様の御加護であったに違いない!主なる神様、有難うございます!」その瞬間、私は興奮して感泣しました。私は心の中で主に御加護をくださったことを感謝し続けました。

私たちが事故を起こした場所はれんが工場と建設現場から遠くありませんでした。彼ら全員が急いで私たちの所まで来てくれました。私はれんが工場の人たちが遠くからこう言っているのが聞こえました:「私がキルンからカートを押し出した時、シャオ・ワンの車が見えて、4、5人が突然溝に落下して行ったんです。全員が石に押し潰されて死んだに違いないと思っていました!」他の人はこう言いました:「彼らは死んでなかったとしても間違いなく重度の障害を負うことになるでしょう。」建設作業現場の作業員はこう言いました:「トラックはあんなに深い溝にひっくり返って落ちて行ったんだ、誰も生きては出てこれないよ!彼らは落下して死んだか、石に潰されて死んだだろう!」しかし、彼らは現場の様子を見てびっくりしました。彼らの1人がこう言いました:「凄い!彼らは本当にラッキーだな!どうやって生き延びたんだ?実際に神の御加護を授かったんだ!」私と同じ村の村民であったその内の1人が私の方に寄ってきて両手で私の手を掴みました。彼は私をじろじろ見て、信じられないという表情で私を見つめながらこう言いました:「あなたは荷台の前方の右側に座っていた人ですか?」私は、「そうですよ!」と返事すると、彼は、「あなたが最初に溝に落ちて行くのを見ましたよ。私たちはあなたは石に潰されて死なないにしても、重度の障害は負うだろうと思ってたんですが、無事だったんですね!でもどうやって切り株の所に落下できたんですか?ものすごい不思議だし魔法みたいだ!」私は彼の言ったことを聞いてこう思いました:「彼の言う通りだ!最初に落下したのは私だから、本来なら私は死んでるか重度の障害を負っているはずなんだ。私は切り株のある溝に落下するなんて思ってもいなかった。この切り株がなかったら私は間違いなくいのちを落としていただろう!」これは正に主イエス様による素晴らしい御業、御気遣い、そして御加護だったのです!その後、私の隣人である叔母がタクシーを呼び、重症を負った人たちを病院へ、そして私を家に送ってくれました。

私が自宅に到着すると、私の妻がこう言いました:「仕事に行ったんじゃないの?どうしてこんな早く帰ってきたの?兄弟が福音を伝道しに行くためにあなたを探しに来たけど、あなたがいなかったから帰っちゃったわよ。」 私は彼女を一目見ましたが何も言いませんでした。私が何も言わないので彼女は心配そうにこう言いました:「見てごらんなさいよ!何で体が埃まみれで顔も黄ばんでるの?一体何があったの?」私はうつ向いてこう答えました:「俺たちはもう少しで到着って所で溝に落っこちたんだよ。主イエス様の御加護のおかげで俺だけが無傷で済んだんだ。そうでなければハーデスとご対面して生きて帰ってこれなくなるところだったんだ。」後ほど、妻に事故の話を詳しくすると、彼女も感謝しながらこう言いました:「主なる神様、有難うございます!これは全て主の御加護なのよ!だから、行かないでって言ったでしょう?主の御加護がなかったら無事でいれたと思う?」その後、妻は私のために食事を作りに行ってくれました。私はベッドの上に座って、事故のことを思い起こしました。あれは本当に恐ろしい体験でした。その後、私は主に感謝の祈りを捧げました。私は感極まって涙しながらこう言いました:「ああ、主なる神さま!あなたの御気遣いと御加護に感謝いたします。私はあのような大事故が起こった時は死んだに違いないと思っていましたが、あなたの素晴らしい御加護の下で生き延びることができ、怪我1つ負いませんでした!ああ、主なる神様!これはあなたが全てにおいて主権を握っておられることを間違いなく示しています。私が今こうやって祈りを捧げることができるのは、正にあなたから授かった御恵みをおかげです!」

その後、私は聖書でこの記述を目にしました:「たとい千人はあなたのかたわらに倒れ、万人はあなたの右に倒れても、その災はあなたに近づくことはない。」 (詩篇 91:7)。「しかし、あなたがたの髪の毛一すじでも失われることはない。」(ルカによる福音書 21:18)。主なる神様に感謝いたします!主は死んでいるもの、生きているものに関わらず、全てにおいて主権を御持ちであられます。私がトラクターまたは石によって潰されて死ぬのかどうかも主の手中にあったのです。神の御許可がなければ、私たちの髪の毛1本すら傷付くことはないのです。今回の事故について考えると、主の御加護がなければ、私は他の皆よりもひどい怪我を負っていた、もしくはいのちを落としていたことでしょう。私は主のみが私の拠り所であられ、主のみが私が必要とする時に御助けくださることを実際に体験しました。主のみが私を災難から救うことがおできになるのです。

私はもう一年近くも主を信仰していますが、主の御言葉を毎日読んではいても、主の道に従うことには集中せず、もっとお金を稼ごうとだけしていたのです。私はお金が全てを解決してくれると思っていました。私は福音を伝道して主の証言をするとは言っていましたが、自分の利益を直視した時にはお金を選んでいたのです。これは主に対する欺きとみなされていたのではないでしょうか?しかし、主は私の行動を基に私を扱うということはされず、あの大事故の中で変わらず私を大切にしてくださり、私を御守りくださったのです。主の偉大な愛について考えていると、私は主にとても恩義があると感じました!それと同時に、私は生きるか死ぬかという状況の中でお金に救ってもらえることはないということを体験しました。私たちがどれだけ裕福であったとしても、お金は災難の目の前では何の役にも立たないのです。主イエス様は遠い昔にこう仰りました:「たとい人が全世界をもうけても、自分の命を損したら、なんの得になろうか。また、人はどんな代価を払って、その命を買いもどすことができようか。」 (マタイによる福音書16:26)。この交通事故を通じ、私は主の御言葉を聞き、善良な行いを十分に行った場合に限り、主に認めていただけることを理解し、その事実がより明白になりました。私はこの先、主の証言を行うために福音を伝道することに努力を注ぎ、実際の行動によって神の愛に報いて行く必要があります。主なる神様に感謝いたします!全ての栄光、主にあれ!

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