「そして自らは、そのからだなる教会のかしらである。彼は初めの者であり、死人の中から最初に生れたかたである。それは、ご自身がすべてのことにおいて第一の者となるためである。」
(「コロサイの信徒への手紙」1章18節、口語訳)
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日本語版はある程度内容的な編集が施されています。 聖書の引用は原則として口語訳によっています。例えば「1章18〜26節」のように章と節のみを記したものは、それが「コロサイの信徒への手紙」の箇所であることを示しています。
コロサイは南フリギアにあるリュコス川の渓谷、エフェソからシリアに通じる道の傍に位置していました。エフェソまでの距離は約160kmでした。近辺の町にはラオデキヤ(コロサイからの距離は約15km)やヒエラポリス(4章13節)があります。
コロサイ教会はパウロが設立したものではありません。実はパウロはコロサイの町を一度も訪れたことがありません(2章1節)。この教会を設立したのはエパフラスではないかと推測されています(1章7節)。彼は50年代の半ば頃にエフェソにおり、パウロの福音宣教を通してキリスト信仰者になりました。後に彼は故郷のコロサイに戻って教会を設立し、さらにラオデキヤにも教会を設立したと考えられています(2章1節)。
コロサイは毛織物工業の中心地であり交易上重要な街道に面していました。ですからこの町に大勢のユダヤ人が住んでいたのは不思議ではありません。それでもコロサイの教会はキリスト教に改宗する前に異邦人であった人々がその大多数を占めていたと考えられています(2章13節)。
パウロは「コロサイの信徒への手紙」を牢獄の中で書きました(4章3、18節)。この時パウロが投獄されていた場所が60年代初頭のローマであったのはほぼ確実です。「コロサイの信徒への手紙」のいくつかの写本の末尾に「テキコとオネシモの助けによってローマで書かれた」と記されていることもローマ説の正しさを支持するものです。
コロサイの町は61〜62年に起きた地震によって大打撃を受けました。パウロがこの手紙を書いたわずか数年後にコロサイは崩壊したことになります。その後の文献にコロサイに関する記述が見当たらないことから、震災後この町はもはや再建されることがなかったと思われます。
パウロがこの手紙を書いたのはコロサイの教会に広がりをみせていた異端の教えに気をつけるように警告するためでした。この異端は種々の宗教の混合物でした(これは英語で「シンクレティズム」といわれます)。この混合宗教には禁欲主義的な面(2章16節)や天使たちや他の霊的諸力への崇拝(2章18節)も含まれていました。さらに信者は割礼を受けることも要求されたようです(2章11節)。
おそらくパウロはコロサイの教会の直面している困難な状況について彼のもとを再訪したエパフラスから知らされたのでしょう(1章4、7〜8節、4章12節)。
パウロの五通の手紙にはもうひとりの手紙の差し出し人としてテモテの名前が記されています(「コリントの信徒への第二の手紙」1章1節、「フィリピの信徒への手紙」1章1節、「コロサイの信徒への手紙」1章1節、「テサロニケの信徒への第一の手紙」1章1節、「テサロニケの信徒への第二の手紙」1章1節)。キリスト信仰者になってからというものテモテはパウロに従ってきました(「使徒言行録」16章1〜3節)。
テモテは手紙の代筆者ではなくパウロと共に手紙を送信した人物でした。もしもテモテが代筆者だったのなら、彼の名前は手紙の冒頭にではなく末尾に記されていたはずだからです(例えば「ローマの信徒への手紙」16章22節)。
パウロは神様によって召され権能を与えられた正統な使徒でした。それゆえに彼には自分が設立したのではない教会に対しても正しい教えと助言を与える資格があったのです。パウロは自らの名によってではなく、コロサイの教会の真の設立者、イエス・キリストの御名によって教会に語りかけました。
普通のキリスト教徒であることはたしかに信仰者としての出発点としては正しいものだが、それだけでは人をより優れた真のキリスト信仰者にする「何か」が欠けている、といった考えかたに端を発して様々な異端が現れました。その「何か」の例としてよく挙げられるのは異言や大人の洗礼(再洗礼)です。異言が話せることを優れた信仰者である証拠とみなしたり、幼児洗礼を否定し「信仰者の洗礼」のみを認めたりするという霊的に驕り高ぶった態度がこれらの異端に共通する特徴です。
コロサイでもそれと同じタイプの異端が現れたようです。コロサイの教会の指導者であったエパフラスが信徒たちに教えたことに異端教師たちは別な何かを付け加えようとしたのです。
例えば「パウロが教えていることの全貌をエパフラスはまだあなたたちに伝えていない」などとうそぶきつつ、異端教師たちはパウロとエパフラスの間にも教えに関して食い違う点があることをことさら強調しようとしたのかもしれません。
それに対してパウロはこの感謝の祈りでコロサイの教会では設立以来「人を救う真の信仰」が正しく教え続けられてきたことや、パウロとエパフラスの間には教えの内容に相違がないことを強調しています(8節)。
「ガラテアの信徒への手紙」を除く他のすべてのパウロの手紙は感謝の言葉で始まっています。これは私たちも大いに学ぶべきでしょう。感謝はさらなる感謝、信仰、希望を生み出しますが、不信仰は不満を大きくするばかりだからです。
コロサイに来た新しい教師たちはエパフラスが福音の全貌を伝えてはいなかったと強弁し、コロサイの信徒たちの信仰を補完するためにやってきたとうそぶいたのです。
パウロはガラテアとコロサイの教会の置かれた状況がまったく同じであることを看破しました。ガラテアの教会の状態については「ガラテアの信徒への手紙」5章1〜6節に述べられています。福音を他の何かによって補完することは不可能です。人間ができるのは福音をそのまま受け入れるかあるいは拒絶するかのどちらかです。福音は「加工」できないのです。コロサイの信徒たちは必要とされる信仰と知識を持ってはいましたが、それらに習熟するためには信仰者として成長しなければなりませんでした。
信仰の中で成長するというのは何かを行うことではなく、イエス様のお近くで生きることであり、どのような状況においてもイエス様に依り頼んでいくことです(11節)。もしもイエス様との生き生きとした結びつきがあるならば、私たちは信仰の中で成長していく力をイエス様からいただくことができます。このためにはさまざまな「霊的な訓練」によって心を紛らわすのではなく、キリストとの生き生きとした結びつきをもつという最重要課題に集中するべきなのです(「ヨハネによる福音書」15章5節)。キリストのうちに留まることによってのみ私たちは信仰の実を結ぶことができるからです(10節)。
この箇所はパウロの手紙の中にあるキリスト讃歌のうちのひとつです。もう一つは「フィリピの信徒への手紙」2章5〜11節にあります。両方とも手紙が書かれた当時すでに存在した礼拝式文からの引用であろうと推定されています。
パウロは引用した礼拝式文に二つのことを付け加えました。
He is a cross pendant.
He is engraved with a unique Number.
He will mail it out from Jerusalem.
He will be sent to your Side.
Emmanuel
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