ブック・レビュー 『ヨブ記講録』

聖書に出てくる用語、クリスチャンが使う用語を説明しています。 ヘブル的視点で解説されていますので、すでにクリスチャン歴が長い方にも新しい発見があるかもしれません。


中山 弘正
明治学院大学教授

論争の中にさえ「福音」が隠されていることが解明される

 神の前の義人ヨブ、今日ならば主イエスの信徒。それがなぜ、厳しい不運、試練に出会わねばならないのか。悪人にこそ因果応報のはずではないか。義人ヨブの受けた大災害の謎は、今日の主の信徒の日々出会う大小の試練の謎である。

 見舞いに来ながら、口を開くと激しくヨブの「不義」をせめ立てる友人たちとの義人ヨブの打続く論争。前巨著『創世記講録』の多数の登場人物の織りなす一大絵巻とは異なり、ごく少数者での執拗な論争を何十章と追うのであるから、著者の労苦もひとしおであっただろう。

 著者は、全四十二章のはじめと終りの数章を除き圧倒的な部分を占めるこの論争──もっとも第四の男エリフについてはヨブはもう答えようともしなかったが──も、丁寧にきちんと一章ずつ講解していく。

 すると読者は、この一見繰り返しとも見える長大な論争自身の中に、著者が繰り出す聖句、古今東西の古典・信仰書、現代作品、著者自身を含むお証詞などの助けをえつつ、多彩で深い内容が隠されていたことを教えられていくのである。そしてすべての章が、その章にふさわしい歌い慣れた讃美歌の一節とそれに続く簡潔な祈りでしめくくられていく。

 仲保者キリストの存在・待望(第十九章)をはじめ、『創世記』が「福音書」であったようにこの『ヨブ記』の論争の中にさえ圧倒的な「福音」が隠されていることが解明される。

 そして、ヨブ自身の激しい「神への論争」という姿勢こそがキリスト教世界から「科学」も「資本主義」も生み出して来たことも示峻される。そして、義人すなわち主の信徒の試練が、ついに真の主に出会うためだったことが本当に確信させられる。血のにじむような牧会の日々の中からつむぎ出された『ヨブ記講録』、この「名僧知識」の第二巨弾を諸兄姉にも、ぜひ、とお薦めしたい。

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