新約聖書よもやま裏話 第10回 たかが?されど! 『ダ・ヴィンチ・コード』

聖書に出てくる用語、クリスチャンが使う用語を説明しています。 ヘブル的視点で解説されていますので、すでにクリスチャン歴が長い方にも新しい発見があるかもしれません。

伊藤明生
東京基督教大学教授

 編集者からの「強いられた恩寵」で、ダン・ブラウン著『ダ・ヴィンチ・コード』(角川書店)を読んだ。はじめはお義理で読み始めたが、読み出したら、止められなかった。正直言って、この種の小説は大好きだ。

 ルーヴル美術館の館長ジャック・ソニエールが殺害されるところから話は始まる。だれが? 何のために? 

 パリの警察当局が第一容疑者と目したのがハーバード大学の宗教象徴学教授ロバート・ラングドンであった。本人は重要参考人程度に思っていたようだが、何と実は容疑者! 探偵小説、推理小説、スパイもの、謎解き、この手のものには目がない私のような人間には、たまらない小説である。

史実と虚構の境目

 しかし、『ダ・ヴィンチ・コード』が提示するチャレンジは、娯楽小説として単純に楽しめないところにある。事実と虚構とが入り乱れていて、史実と虚構との境目が時折定かでなくなる。著者に公平を期するために触れておくならば、虚構でない部分については、冒頭、一頁目に「事実」と表題を付して明記してある。(この「事実」がどこまで事実かは議論の余地がある!)登場人物たち、そして事件も虚構である。

 でも、パリのルーヴル美術館に始まり、実在する「オプス・デイ」なる宗教団体が犯罪に手を染めたり、実在する秘密結社シオン修道会が登場したりする。ヴァチカンなどカトリック教会が、本作品に対して強い懸念を抱くことは納得できる。実際、歴史ノンフィクション『レンヌ=ル=シャトーの謎──イエスの血脈と聖杯伝説』(柏書房)から盗用したとして裁判沙汰にもなっている。

イエスとマリア

 さて、『ダ・ヴィンチ・コード』では、冒頭の殺人事件、被害者の家族が、ナザレ人イエスとマグダラのマリアの直系の末裔であったとしているが、これは歴史的事実でない。ところが、興味深いことに、ナザレ人イエスとマグダラのマリアとの「関係」を疑う伝統は根強い。紀元二、三世紀(あるいはもっと後)に書かれ、新約聖書の一部にはならなかった外典と呼ばれる古代の文献(新約聖書よりも後に書かれたもの)にもすでに見られる。

 ブロードウェイのロングランとなり、映画にもなった『ジーザス・クライスト・スーパースター』では、マグダラのマリアは、まるでイエスの恋人のように描かれている。オーストラリアの学者バーバラ・シーリング著『イエスのミステリー──死海文書で謎を解く』(日本放送出版協会)でも、イエスがマリヤとの間に複数の子をもうけたことになっている。『イエスのミステリー』は、そういうスキャンダラスな部分のおかげでベストセラーになった。

 イエスとマグダラのマリアとは、スキャンダルを好むワイド・ショー的な世間の関心の的となってきた。

聖書は捏造されたもの?

 『ダ・ヴィンチ・コード』には、こういうネタから始まって、聖書は捏造だとの主張までもが見出される。著者ダン・ブラウン自身がそう信じているかどうかは皆目見当がつかない。(でも、敬虔なキリスト者ならこういう小説は書かないであろう。)新約聖書よりも後に書かれた外典の主張、さらにはダ・ヴィンチの主張(厳密には、ブラウンがダ・ヴィンチの理解だとする主張)を聖書よりも信頼する根拠がいったいどこにあるのだろうか。

シオン修道会の「真実」

 シオン修道会は一一世紀末に設立された秘密結社である。その主張にこそ、新約聖書よりも正しい歴史理解があるといえるのだろうか。

 ヘロデ大王が幼子イエスを亡き者にしようとしたように、キリスト教会がイエスとマリアとの末裔を歴史から抹殺しようとしてきた。そのため「正しい」事実は失われかけたが、かろうじてシオン修道会の「秘密文書」が残された。このように論じること自体は不可能ではない。

 しかし、時間的隔たりを考えると、「異端」と指定されて抹殺されかけたが、極秘に「真実」が後代に伝えられたと考えるよりも、実は後代になってからでっちあげ、弾圧・迫害されたので、「地下」に隠れたと理解するほうが妥当であろう。

福音の魅力

 真実が公から隠され、一部の少数者がそれを守ってきた可能性は、完全には否定できない。しかし、不自然な主張であり、詐欺の常套手段でもある。詳細は、ハンク・ハネグラフとポール・L・マイアー共著『ダ・ヴィンチ・コード──その真実性を問う』(いのちのことば社)を参照していただきたい。

 『ダ・ヴィンチ・コード』で主張されるキリスト教の「真実」のほうが、歴史的正統的キリスト教の福音理解よりも、魅力的であるとは思えない。キリストの福音を「聖なる血統」を守ることなどということに堕しては断じてならないと私は思う。

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