組織神学入門! 骨太の信仰を目指して-組織神学を学ぶ効用

聖書に出てくる用語、クリスチャンが使う用語を説明しています。 ヘブル的視点で解説されていますので、すでにクリスチャン歴が長い方にも新しい発見があるかもしれません。

関野 祐二
聖契神学校 校長

ソシキ神学あれこれ

 「神さまって、いつからいるの?」「目に見えない神さまが確かにいるって、どうしてわかる?」「赤ちゃんは死んだら地獄へ行くの?」「神さまはアダムとエバが罪を犯すことをいつから知ってた?」「天国でも飲み食いするの? 満腹感はある!?」。

 これは、今年の夏に奉仕した中学生キャンプで、講師の私に寄せられた質問の一部。実際生活上の事がらはほかのスタッフが受け持ち、私のところには神学的な(?)難問ばかりが持ち込まれました。

 知的好奇心旺盛な中学生たちの問いに答えるには、一般常識や経験ではなく、文字どおり組織神学の知識を総動員しなければ対応不可能。アタマの中をよく整理してお答えしました。

 「組織神学」と聞けば、いかにも堅そうで自分とは無縁の難しい学問に思えます。「教会の組織について学ぶ神学ですか」との美しき誤解もチラホラ。「頭でっかちの神学よりも祈りや信仰心が大切」との声も聞こえそうです。

 けれども組織神学とは、神ご自身を知り、みこころにかなう歩みをするため欠かせない、だれもが必要な実際的な学びの分野なのです。

 いや、すでに私たちは聖書を読む際、無意識のうちに組織神学の知識をベースや骨組みとし、「神学をしている」はず。耐震強度偽装事件を持ち出すまでもなく、基礎や骨組みはしっかりしているに越したことはないでしょう。ではいざ、組織神学の世界へ!

組織神学は軽視されがち

 聖書を基にまことの神を学ぶ「神学」には四つの部門があります。

 聖書の言わんとする内容を聖書各書から学ぶ聖書部門、キリスト教会二千年の歴史と遺産、信条などを学ぶ歴史部門、この二つの営みで明らかになった聖書の真理(神知識)を体系的に統合した教理部門、以上の三つを、説教・礼拝・牧会・教育・宣教など教会の営みに適用する実践部門です。

 つまり組織神学とは、聖書から得られる体系化された神知識のことで、教理部門の一部になります。聖書と啓示からはじまって、神、人間、キリスト、罪についてなど九つの項目を体系的にし、知識を深める学問で(九頁表を参照下さい)、一般に「神学」と言えばコレです。「聖書を学ぶ」場合、特定の聖書箇所を解釈・適用する学びと、聖書全巻から特定の教理(たとえば救い)を学ぶことは、本来車の両輪のように必要なものなのですが、後者すなわち組織神学の学びは軽視されがちです。

神について体系的に学ぶ

 聖書は長い期間をかけ、多様な文学様式で書かれた書物の集成です。そこからイエス・キリストを核心とする神の真理全体をバランスよく学んで現代に適用するには、いったんテーマ別に体系化する論理的作業が不可欠です。

 教会は、その歴史において常に聖書の真理全体を告白し、共有してきました。そこでは誤った教えや異端との対決、異教的思想に対するキリスト教信仰の弁証が常に要請されてきたのです。教会の一致と健全化、真理の証しのためには、組織神学がどうしても必要です。

 神は私たちに、霊においてだけでなく知性においても主を賛美するよう求めています(1コリント一四・一五)。人間に与えられた知性により神を知り、賛美することは、私たち信仰者の務めであり特権と言えましょう。

神の性質を知っていると

 WWJD(イエスさまならどうするか)と書かれたブレスレットは、信仰者が生活の諸局面でどう行動するかに役立ちます。でも、肝心な主イエスの人格やご性質を知らず、聖書物語の断片的記憶やみことばの部分引用だけでは、対応不可能でしょう。

 骨格がしっかりしてこそ、坂道や逆風にも耐え得る力強い歩みが保証されます。「神は決して約束を違えない真実で誠実なお方」との組織神学的(?)確信が、筆者と伴侶のこれまでの歩みをどれほど支えてきたか、計り知れません。

パリサイ人は反面教師

 「知識は人を高ぶらせ、愛は人の徳を建てます」(・コリント八・一)とあるように、組織神学の知識は人を高慢に陥らせる危険を常に伴います。その典型がパリサイ人でした。膨大な律法の知識はあっても、神や人への愛が欠けていた彼らは、私たちの反面教師です。

 また、神学には細分化、抽象化の危険があります。木を見て森を見ず、現実離れした神学議論に陥った苦い歴史が過去の教会にもありました。カルヴァンは「神をあがめる目的で神を知る」べきであると言いましたが(ジュネーヴ教会信仰問答6)、まさしく神をあがめ、生き生きと神に仕えるために、学ぶのです。

組織神学を学ぼう

 先日、神学校の組織神学クラスで「罪」について学んだ時、「罪とは的外れの意味」とのなじみ深い説明をめぐり、議論が白熱しました。

 テキストとして使用しているエリクソン著『キリスト教神学』第3巻に、「人が悪い標的を目指したために的をはずすことを意味する」と解説されていたからです(一三二頁)。神の喜ばれる良い標的(たとえば兄弟愛とか聖潔など)を目指したのに力と技量の不足からたまたま的をはずすことではなく、最初から正しい標的がわからず誤った的を射ることを罪としているのです。

 確かに、闇の中を歩む罪人がキリスト信仰なしに正しい標的などわかるはずもないので、「的外れ」ではなく「的違い」のほうが適切でしょう。このニュアンスの差は微妙のようで実は重大なのです。弱さから的をはずして罪を犯しました、との言いわけが成り立たぬ深刻さと、神を意図的に無視して勝手な的を想定する人間の邪悪さを知るべきなのです。

 これまでの理解と他者への説明の誤り、それを教えてくれた組織神学の重要性に、一同深く納得したのでした。

コツを三つ

 最後に組織神学を学ぶためのコツを三つ紹介します。

 一、つまみ食いでいいから、まずは教理本や組織神学書の目次や索引を使って、興味ある項目を拾い読みしてみる。注解付き聖書の索引も有用。

 二、みことばを読む際、自分に適用する前に「神さまはどのようなお方か」をその箇所から考え、組織神学全体系の中で理解するよう努める。

 三、聖書、神、人間、救い、信仰生活などについて、生活のただ中で日ごろから課題と知的好奇心を持ち、聖書から解決を得る習慣を身につける(たとえば「祈りと摂理の関係」など)。

 人生の激震にも耐え得る教会と信仰生活を構築するため、自らの耐震強度を過信(偽装!?)することなく、あなたも組織神学を学んでみませんか。

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Emmanuel

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