新約聖書よもやま裏話 第8回 ザアカイと中風の人の赦し 罪を赦す権威

聖書に出てくる用語、クリスチャンが使う用語を説明しています。 ヘブル的視点で解説されていますので、すでにクリスチャン歴が長い方にも新しい発見があるかもしれません。

伊藤明生
東京基督教大学教授

ザアカイ

 聖書に登場する有名な取税人と言えば、エリコのザアカイであろう。(ルカ一九・一~一〇)エリコは、エルサレムから三十キロほど行ったヨルダン渓谷近くに位置し、エルサレムを出入りする物品に関税が課せられるところであった。そのエリコに住んでいたザアカイは取税人のかしらで、金持ち、そして背が低かった。彼はチビのために劣等感を抱いていたかもしれない。守銭奴であったかも。でも、ザアカイの話の中心は、劣等感からの解放でも、金の亡者の改心でもない! 罪の赦しこそが話の核心である。

 エルサレムに行く途上でイエスはエリコの町に入った。イエスの周りに人だかりができたためか、ザアカイはイエスの姿をひと目見たいと思ったようだ。しかし、背が低く、人々がイエスの周りに群がっていたためにイエスを見ることはできなかった。そこで、ザアカイは、近くにあったいちじく桑の木によじ登った。そのとき驚くべきことが起こった! イエスがちょうどザアカイのいる木の下に来たときのことだ。イエスが木を見上げて「ザアカイ」と呼んだのだ! そして、「急いで降りて来なさい。今日あなたの家に泊まらなければならないから」と。

 周囲の群衆はもちろん、ザアカイ自身もびっくり仰天したに違いない。けちで、取税人で人々から税を厳しく取り立てていたので、ろくに友人もいなかっただろう。喜び勇んでイエスを家に迎え入れた。「罪人の家に宿を取るとは!」と、イエスに対するつぶやきが聞こえた。しかし、その人を名前で呼び、客人としてその家に泊まるという行為は、世間から後ろ指を指される罪人を心から愛し、その罪を赦すということであったのだ。イエスの愛に触れて、まず罪赦されてザアカイは回心した。そして、恵まれない人たちをあわれみ、犯した不正をつぐなう気持ちも生まれた。

中風の人

 罪の赦しといえば、中風の人の話(マタイ九・一~八、マルコ二・一~一二、ルカ五・一七~二六)を避けて通ることはできない。イエスがある家で教えていたとき、四人が寝たきりの中風の人を運んできた。ところが、あまりの人だかりで、イエスに近寄ることができなかった。文字どおり、足の踏み場もない状態! 中風の人のためその四人の友人は、必死でなす術を考えた結果、なんとその家の屋根をぶち抜いてしまった。 それほど頑丈な造りではなかったようで、イエスがいるあたりの屋根から天井までをぶち抜いて、少々穴を広げて、寝床ごと中風の人を屋根からイエスのおられるところに降ろした。

 イエスの教えに夢中になってイエスの周りに陣取っていた人たちは、度肝を抜いたにちがいない。天井からぼろぼろ残骸が落ちてきてしかも、寝たきりの人が屋根からつり降ろされてきたのだから! きっとその場にいたその家の住人は、驚いただけではなくけしからん奴らだ、と腹をたてたことだろう。

 そこまでしてでも中風の人をイエスのもとに運び、いやしを求めた友人たちの信仰をイエスは見過ごさなかった。そして、一言「子よ。あなたの罪は赦されている」と言ったのだ。

律法の規程を無視して

 そこには律法学者たちもいあわせたから、さあ、たいへん! 神学論争の始まり始まり。イエスは神を冒涜した、と律法学者たちは考えた。しかし、律法学者たちは、何を冒涜と見なしたのだろうか。

 細かいようだが、ぜひ注意して区別してほしい。イエスは「わたしはあなたの罪を赦した」とは言っていない。イエスが言ったのは「あなたの罪は赦された」である。つまり、イエスはここでは「わたし神が赦した」とは言ってはいないのである。

 実は、当時のユダヤ人社会で、神がある人の罪を赦された、と宣言することが、職責上許されていた人々がいた。祭司である。ただし、祭司たちは旧約聖書の律法に規定されている通りに、その人が所定の手順に従い、適切ないけにえを献げ、場合によってはつぐないを果たすなど決められた手続きを果たしたことを確認したうえで、「神はあなたの罪をお赦しになった」と宣告することができた。

 この中風の人の箇所で、律法学者たちが取り沙汰している問題は、イエスが律法の規程をいっさい無視して罪の赦しを宣言した点にほかならない。祭司たちの赦しの宣言はまがりなりにも律法に基づいているが、イエスはそうでなかったため冒涜とみなされたのである。さらに、イエスは罪の赦しの宣言が正当であることを裏付けるように、中風の人をいやされた。「起きて、寝床を畳んで帰りなさい」と。

 罪の赦しはキリスト教の核心部分だ。宗教的、道徳的に正しい「聖人君子」でさえも、神の御前では、悔い改めて、罪赦していただかなければならない罪人なのであることを忘れてはならない。

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