福音と福祉NPO法人ホッとスペース中原を訪ねて 弱さの中に神がいる

聖書に出てくる用語、クリスチャンが使う用語を説明しています。 ヘブル的視点で解説されていますので、すでにクリスチャン歴が長い方にも新しい発見があるかもしれません。

著者インタビュー佐々木炎さん
日本聖契キリスト教団 中原キリスト教会牧師
NPO法人ホッとスペース中原代表

弱さの中に神がいる

佐々木炎師は、社団法人「日本介護福祉士会」で認定専門介護福祉士(仮称)の養成や認定委員も務める福祉のプロ。東京基督教大学をはじめ、各地の大学や専門学校でも教鞭をとるが、同時に中原キリスト教会牧師でもある。「牧師なのか、福祉なのかと問われることはよくあります。牧師じゃなくて、伝道師でしょうと言われたこともありますよ。ですが、私は福祉の働きは、教会の働きだと思っています。教会は礼拝する場であり、福祉の場、地域の人たちの集まる場、たくさんの機能があると思っているんです。〝弱い人たちのそばにいる”このキリストの福音を伝える教会だからこそ、福祉を行うことができると思うのです」
教会員はわずか十数人、毎週の礼拝出席者も三十人ぐらいと小さい教会だ。だが、現在「ホッとスペース中原」のスタッフは、パートを合わせて六十~七十人、利用者は二百人にも及ぶ。
「十二年前、私と妻ともう一人の三人で始めました。福祉の働きをすべての教会がやればいいとは思っていません。ただ、この働きについて日本の教会がどうとらえるのか、それは問われていると思います。そして、小さな教会でもこのような働きができる。気づける人がひとりでもいれば、教会は変わるということを伝えたいですね」

◆社会から必要とされなかった自分

福音と福祉、という明確なヴィジョンを語る佐々木師だが、この生き方に至るまでには、本人が「負の遺産」と呼ぶ、壮絶な過去があった。
佐々木師は、一九六五(昭和四〇)年に三人兄妹の長男として生まれた。当時高校生だった母は、事故によって高次機能障碍を負い、精神病院に強制入院させられていた父を助けようとして、本妻のもとから、父と一緒に逃げる。母の実家から居場所を隠すために、水も電気も通らない村外れの山の中の掘っ立て小屋で暮らしていたという。そんな事情の中、「母は私を産むことに決断を迫られたと思います。その決断がなかったら、私は生まれてこなかったでしょうね」
この世に生まれてくることさえ危うく、生まれた後でさえ、自らの存在は、社会からは無視された。「妾の子ですからね。拾ってきたものを集めて生活していましたし、灯りは電気ではなくろうそくで、勉強もできませんでした」障碍ゆえか、子どもたちに暴力をふるう父への憎しみ、偏差値や見た目で人を判断する社会への反発から、佐々木師は、ヤンキーへの道をまっしぐら。「自分より不幸な奴はこの世にいない」そう思う日々を送っていた。
そんな彼を救ったのは、学童や保育園の子どもたちと、一人の青年だった。
「子どもたちが僕を取り囲んで、殴る。でも、殴られてうれしい。存在を必要とされている、そう感じたんです」外見で自分を判断しない子どもたちとのふれあいが、少しずつ彼をいやしていった。佐々木師の両親がクリスチャンだったこともあり、「子どもを通して教会に導かれました。教会も、私を否定はしないでくれた」
そして、二十歳のころにヘルパー二級の免許をとる学びを始めたが、そのとき出会ったのが、難病に冒され、話すことはおろか、ベッドにじっと寝ることすらできない同い年の青年だった。
「それまで私は、自分がいちばんみじめな人間だと思っていました。でも彼は、自らの体の動きさえ自分の意志でどうにもならない。神様どうして……。ショックをうけて、彼とかかわるようになったのです」彼に「何がしたい?」と問いかけると、ひらがなボードを指して、「町で女の子をナンパしたい」という答えが返ってきた。彼をヤンキー車に乗せ、何年ぶりかの町へ連れ出した。
「私は一度もそれを聞かれたことがなかった。聞いてくれる人もいなかった。だから、私はいつも相手に聞きます。『何がしたい?』と」
これは、現在行っているデイサービスなどでも貫かれている思いである。
「聞かれないと、主体性はどんどん失われていくんです。いつも同じ対応をしていると、人は何も期待せず、言わなくなります。でも、私たちはお茶を出すことひとつをとっても、『飲みますか?』『何がいいですか?』と尋ねます」
それは大変ではと問うと、「何をいちばんとしているかですね。もともと私は福祉がやりたいんじゃなくて、人らしく生きてほしい、と願って接しているんです。幸せになってほしい」。

◆そして〝人間”となっていく

二十一歳で神学校に通い、卒業後は特別養護老人ホームに二年ほど勤めながら、福祉を学びなおした。そのころ知り合った妻・直子さんと二十七歳で結婚し、当時はまだ珍しかった専属介護士として、会社の重役や大学学長などVIPのケア、およびそのコーディネートをしていたという。その一流の介護を「地域の人々へ」と、神にささげる決意をし、単立教会で五年ほど手伝いをしながら牧会の現場を学び、一九九八年に福祉事業と教会を始める。
「お金や知識、地位、力……どれも、彼らを救うことができなかったのを私は見ています」。だからこそ「福音」を伝えたいと願う。そのためには、「いかに福音を〝受肉したもの”として表すか。ことばで〝神はあなたを愛してますよ”と言うのではなく、態度でそれを相手に感じとってもらう。実感してもらわないといけない」。
そして、「ひとりでやるには限界があります。私たちは、チームプレイなんですよ。たとえ〝嫌だなー”と思う相手でもケアしなければならない。それは、聖書でも、福祉としても理解できるんです。だから利用者さんの声を聴き、スタッフ同士で話し合う。どうしてかかわりたくないかを考えていくと、意外と自分の中に問題があるんです。それは、相手との価値観や教育の違い、つまり〝偏見”です。そのことを自ら認証しなければいけません。そうすると、たとえ相手を好きにならなくても、かかわることができます」
だが、問題のある人が教会に来ると、正直困ってしまうことは多いだろう。
「そうでしょう。でも私たちは違います。そういう人たちこそ、私たちと教会を変えてくれると考えています。聖書を読むと、この小さい者は、私たちを豊かにするために神様が送ってくれたんだ、と思うんです。彼らから受けるものを、まだ知らないだけです」
今後の福祉は、スピリチュアル・ペインが重要になってくるという。
「だれでも、自分のことは自分でしたい。介護が拒否されるのは当然です。でも人は最後に、すべてを手離さなければならない。そのとき、だれに委ねたら平安になれるのか。今は痛みや弱さはいらない、と排除する社会です。でもその苦しみがあるから〝なぜだろうね”と、一緒に生きることができる」
自らの過去を振り返りつつ、「傷はなくなることはありません。でも人とかかわって、自分の傷がだれかをいやしたとき、それが神様が与えてくれたものだと気づくときがあるんです。そのとき、私の傷も包み込まれるのです」傷がいやされているから人とかかわるのではない。かかわることによって、傷はいやされていく―。
「だから、利用者さんが来たら、一人ひとり名前を呼んで歓迎します。スタッフやボランティアさんの名前もです。福祉というと、こちらが高齢者を助けることだと思われますが、小さい子ども、障碍者、高齢者など、社会であまり尊重されない人から学ぶこと、人生を変えられることが実はあるのです。私たちは、ずっとそれを受け取らないできた。そこから自分が人間的に成長することをわかろうとしなかった。もっと極端に言えば、神様はそういう人の中にいるんです。私たちは、ケアをしているんじゃなくて、ケアされているんです。かかわることで、私自身が、本当の〝人間”になっているんです」
今日も佐々木師は、一人ひとりに呼びかける。
「――さん、元気でしたか」

The Cross Pendant

He is a cross pendant.
He is engraved with a unique Number.
He will mail it out from Jerusalem.
He will be sent to your Side.
Emmanuel

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